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冬になると毎年いいニットを1着買う

中学生か高校生くらいのとき、母と「笑っていいとも」を見ていると、テレフォンショッキングに中井貴一が出ていた。中井貴一が着ていたのはグレーのVネックのシンプルなニットで、それは素人目にはどうみてもユニクロのエクストラファインメリノだった。週末になると1990円まで値段が下がる割に高品質で暖かく、「MADE IN VIETNAM」という文字をみてコストパフォーマンスの裏にある労働という名の不平等に悲しくなるあれだが、「中井貴一が着るとユニクロでもこんなにカッコよく見えるんだね」と馬鹿正直に独り言をいうと、母が「中井貴一がユニクロでテレビ出るわけないでしょう!多分カシミアのいいやつで何万円もするはずよ」と言った。衝撃だった。


そのときにはわからなかった。ユニクロのニットは結構暖かいし、見た目も変わらないのに、どうして高いものを買う必要があるのか。

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社会人になり、自分のお金で好きなものを買えるようになると、少しずつ、モノに対する価値観が変わっていった。買い物をするとき、「せっかくならいいものを」という選択肢が生まれた。そして考えてみる。いいモノってなんだろう。デザインや形が特別で、個性的なものもいいけれど、長く使いたい。ならばと、クラシックなデザインの、”いいニット”を買うことにした。ガシガシ着ても持ちが良く、何年も着れる服ならサステイナブルだ。

長く使えるモノがいいと思ったもう一つの理由は、「一緒にいろんなことを経験して歳をとっていく」という感じがいいなと思ったからだった。いいモノなら長く使えるし、こんなきっかけで買ったなあとか、あそこにいったときに着ていたなあとか、あの人と出掛けたときに着たなあとか、思い出を蓄積できる。手入れをしながら育てていく感じも楽しい。父親がTHE NORTH FACEのダウンジャケットを持っていて、実家で見せてくれたことがある。30年くらい前の大学時代、バックパックの旅をするためにバイト代を貯めて10万円近く出して買ったのだという。そのダウンにはシミがあったが、そのシミを見つけ、「旅の途中、北京の露店で肉まんを食べているときに肉汁をこぼしたんだよなあ」と言っていた。自分にはそのシミが逆にとても深みのあるものに見えたし、汚れてもそれを味わいにしていくことができるのはいいなあと心底思った記憶がある。

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そして去年。
フィンランド旅行の帰り、東京で大学時代の先輩に会った。その先輩は大手百貨店に勤めたあと退職し、今は実家のニットメーカーで働いている。質にこだわったニットを生産する、知っている人は知っているブランドなのだという。自分の「毎年ニット」の話をすると盛り上がり、先輩も熱くニットを語ってくれた。ほしい、と思い、「年末に東京にきたとき、お店に買いに行きますね」と約束してお別れした。

2週間後、当時住んでいた奄美大島の家に、小包みが届いた。中には「クリスマスプレゼント」と書かれた手紙とともに、チャコールグレーのタートルネックが入っていた。さらさらした質感がとても気持ちよく、薄くて暖かい。その先輩からだった。

デザインや形が特別なわけではない。中井貴一のニットと違うのはVネックかタートルネックかくらいで、単純な見た目だけで言えば、それこそユニクロのエクストラファインメリノと見間違うかもしれない。

でも、そのニットをきているときの自分はとても幸せな気持ちになる。
尊敬する先輩が働く会社で作っていること。その先輩がサプライズでプレゼントしてくれたこと。去年はこのニットを「ことしの1着」にすることにし、自分では新しく買わなかったことー。

この服が好きなのは、”この話”が好きだからだ。

ときどき「それユニクロ?」と聞かれることがあるが、そのときは立板に水のごとく「大学時代の先輩がやっているニットブランドのニットで、去年いただいたんです。すっごく暖かいんですよ」と言ってやるのだ。そのときの自分はとっても笑顔で、とても面倒臭く、ウザいと思う。

ユニクロにお世話になるのは相変わらずだが、エピソードにまみれた小うるさいコーディネートは楽しい。ただの自己満足なのだから、何かに縛られることもないし、「毎年1着、ご褒美に買うニット」というだけで、自分の中ではその服が特別な1着になる。

朝晩が寒い季節になってきた。
どんなニットを買うか、ことしはまだ決めていない。

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