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これを読めば文春砲が好きになる!

【超訳】事件は人間が起こす。週刊誌は「人間の知りたい」という好奇心そのものが生み出した欲望のメディアともいえる。ジャーナリズム一辺倒が全てではない。人間の業を肯定する、そんなメディアを我々は必要としている。

「週刊文春」編集長の仕事術
超訳まとめ

週刊文春は何を考えているメディアなのか。スクープを連発する一方、関係者から訴訟されて世間からバッシングされる機会も多い両極端な存在。実は私の職場の隣のビルに文藝春秋ビルという立派な本社を構えている。外観は粗々しさよりも、凜とした佇まいの風格ある存在感。誰もが最初は「あれが噂の・・・」と口にする。果たして週刊文春の矜恃はどこにあるのか?その答えを編集長の仕事術としてまとめれた本で紹介したい。

週刊文春の取材は「ことあれかし」の精神

「ことあれかし」というのは立花隆氏の言葉で「何かが起きないかな」と期待する気持ちである。松本清張氏は「週刊誌とは生態解剖だ」と表現したことがあり、これこそが週刊誌の本質を突いた表現であるというのだ。

売れるか売れないかは結果オーライであるという割り切りが大事。だからこそ、追求すべきは「見たことないもの」であり、「予想がつかないこと」にとことんこだわるべきだ。決して「ありそうなもの」に忖度してはならない。ときに読者やターゲットも全無視して「自分がおもしろい」と思う判断基準を信じてフルスイングする。この姿勢こそが、読者の共感を呼び、スクープの連発につながっている。

スクープとは人間そのものを映す鏡

「作られた虚像より、人間がみたい」この言葉を見た時に、週刊誌というメディアは、私たち人間の欲望が作りだしたメディアであると感じた。というのも、文春砲が発射されるたびに世間が毀誉褒貶するのは、実は自分自身の生々しい欲望に向けられたものであることに気づいてるからではないかと思う。「週刊文春は人間の業の肯定」と評した新谷編集長の言葉は非常に的を射た表現だ。

また、この本では、本当の情報の価値と、本当の情報を取ることの難しさを教えてくれる。事件は人間が起こすものである。と同時に、その事件を起こした背景や真実なども含めた本当の情報というのは、人間対人間のとことん深い付き合いからしか取れないものであるからこそ、スクープというものには、価値があるのだろう。

週刊文春が暴露メディアと言われる理由

「週刊誌はクラスで人気のあるいじめっ子でなければダメだ」という言葉が紹介されている。社会正義を啓蒙するのは新聞で十分であり、そこに痛快感、よくぞやってくれたという快哉を通して、世の中のガスを抜き、憂さを晴らすのが週刊誌というものの存在意義だ。

その中でも、週刊文春の矜持は、「なぜその人間を書くのか」という人間への興味にあるという。政治家だろうが、芸能人だろうが、悪趣味な暴露ではなく、「人間っておもしろいぞ」という人間らしさをとことん突き詰めていく、どんな人間かを浮き彫りにするということにある。

資本主義メディアである以上、もちろんビジネスの側面は否定できないが、「過激にして愛嬌あれ」文春魂というのは、人間を深掘りすることにあるという宣言を読み、個人的にはすごく腹落ちした感はある。

スクープをとるための仕事術

記者でなくとも、仕事におけるコミュニケーションは不可避であり、その点では参考にあることはある。以下に抜粋してみたが、どれも業種・業態を問わずビジネススキルとして意識しておきたいことばかりである。

・臆せずに接する図々しさが大切
・情報はギブアンドテイクが基本
・キーマンに接触したら共通の知人を交えた会合を開く
・トップが関心を持っている相手、好意を持っている相手と真摯に付き合う
・敬意は表しても迎合はしない
・まず頼んでみる。断れてからから仕事の始まり
・論よりファクト。ファクトの前では謙虚たれ
・組織三原則(嘘をつかない・弱い者いじめをしない・仕事から逃げない)
・判断を下す三要件(正当性・合理性・リアリズム)
・異業種コラボの条件(相手が熱をもっている・自分と対極にある相手)

フルスイングの姿勢がないとあのスクープは生まれない。文春砲がなぜ人々を魅了するのか。その原動力にある記者魂、人間の性まで徹底追求する姿勢にあったといえそうだ。

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