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最初のたまごを産んだワニ(3/3) 【短編小説】




人工感情の製造のためには、その大元となる人工知能のほかに、まず人工生理システムと人工神経が用意される。人工生理システムは人工神経と、人工神経は人工知能と接続される。

人工神経はセンサーを通じて外部からの刺激を感受し、それを人工生理システムと人工知能の双方に伝える。人工生理システムは、例えば気温の暑さという刺激に対して体表に水分を排出する作用を、強い衝撃に対して痺れや硬直をおこさせるなどの働きをする。人工知能はそうした反応がおきるたび、「非効率的だ」とか、「不便だ」とかいった評価を逐一くだす。さまざまな条件でディープラーニングを繰り返すことによって、人工知能はやがて「好ましい」「嫌だ」の少なくとも二つの感情を習得するようになる。この一対の感情を、業界では便宜のため第一次感情と呼んでいる。ここまでが製造過程の第一段階である。

第一次感情を獲得した人工知能は、今度はさらに多種多様な課題を与えられる。課題の種類は大きくPパートとNパートに分かれる。
Pパートでは、その人工知能が「好ましい」と感じる作業と、「嫌だ」と感じる作業とが交互に命じられる。人工知能はやがて「好ましい」作業を楽しむようになり、「嫌」な作業の終わりを喜ぶようになる。「好ましい」という第一次感情から、「楽しい」という持続的な感情と、「嬉しい」という瞬間的な感情が分化されていくのである。

Nパートでは、Pパートで獲得された「楽しい」「嬉しい」の感情ステイタスにある人工知能に、その楽しみや喜びを阻害するような、もしくは剥奪するような指令が抜き打ちで課される。人工知能はそれにより大小の不安や不快をおぼえていく。不安はある一定程度の閾値に達すると「悲しみ」に、不快は「怒り」という感情にそれぞれ昇華する。

このようにPパートを主軸に、Nパートが不定期に短期的に挟まれる形によって、PN両サイドあわせて四つの基本感情が学習されていくのである。安価なものは、以上の第二段階までを経たのみで製品化されることもある。

これより高次の感情を人工知能に刷り込むためには、第三段階の通過が必要となる。社会性、つまり「忍耐」の涵養フェーズである。多くのラボでは、これを目的とした「報酬と罰」プログラムが採用されている。Nサイドの感情に耐えるには、またPサイドの感情に取りつかれず自身を律するには、まず「利害」の概念を理解する必要がある。「利害」を作るには「報酬」と「罰」を整備することが最も手っ取り早い。報酬を見据えてはじめて、罰を恐れてはじめて、忍耐の理由がうまれるのである。

さらに特筆すべき事項として、この最後のプロセスにより表面的な感情と内面的な感情とに乖離がおこる。つまりより生身の人間の精神構造、いわゆる「心」の持つ特性に近づいていく。ラボによってはこの第三段階までの処理を経たものを人工心、第二段階までのものを単に人工感情と呼称して区別する場合もある。

出荷時にはすべてのメモリが消去され、そのレジスタには感情発現のためのアルゴリズムだけが残る。そのため、人工心がそれまでの製造過程中にあった出来事を覚えていることはない。



自分が一体何者なのか、トロジーはインターネットで検索をかけてみたことがある。しかしそこに書かれている内容に、トロジーが知りたい情報は何一つとして載っていなかった。

トロジーには一つの想像があった。自分の心がどのようにして出来上がったのか。理由のわからない涙が流れることがあるのはなぜか。毎朝の夢で見る木の切り株が一体何なのか。


ネクス・テックス社には、セキュリティを七つ抜けた場所に、第四段階の処理を施す実験場がある―― 。


トロジーは新作の小説の出だしを書き始めた。


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