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若者から学ぶ仕事への向き合い方

またフリーの身になって、金を稼ぐことの辛さを味わう日々だが、ある意味、世の中が変わってきたような気がした出来事があった。

打合せを終えて家に帰るために電車に乗った。相変わらずおばさんや学生で混雑していたが、運のいいことに座れた。さて、ゆっくり本でも読むか、と思ってページをめくりはじめると、ふいに睡魔が襲ってきたため、そのままうつらうつらしていた。

意識が朦朧とするなか、若い男女の会話が耳に入ってきた。どうやら高校の同級生らしいが、進学してそれぞれ別の専門学校に通っているようだ。しかもふたりとも美容師をめざしているらしい。とにかく同じ目標、同じ経験、同じ感性というように、何かにつけて一緒にしたがる人たちが多い中で、お互いにいうべきことを言い合っていた。

例えば男の子がカールの巻き方がうまくいかないと愚痴れば、斜めにロットが入っているのではないか、先生によく聞いておくべきだ、と自分の経験を交えながら、女の子がどう学ぶべきかを教えていた。

専門学校でどのような教育がされているのかわからないが、要するに即戦力養成のための専門機関であり、そのための時間は2年間と限られている。春先まで高校生だった彼らも、1年目から職業人としての技術をマスターすべく教科と実技をこなす毎日らしい。なぜかシャンプー実技のときは夜遅くなるらしく、それでも友達とスタバでお茶をしておしゃべりをするため、帰宅時間は夜中12時近いらしい。たぶん、彼らには遊んでいるような時間はないだろう。

少なくとも大学に入学したての頃の私にはそのような使命感はなかったし、危機感すらなかった。来年には卒業を迎え、資格を習得しながら、自分の腕一本で生きていくことを迫られる。ちょっと待てよ。現在、社会人として働いている人たちと同じような状況を、この子たちはもう間も無く経験することになるわけだ。

昨日まで同じ時間に、同じことを、同じレベルで学んでいればよかったものを、この4月からは自分のペースで、それぞれの価値観で、それぞれ目標とするレベルで学び取らなければならない。しかも男も女も同じステージに立たされることになる。だからアドバイスさえも単なる技術論に終わらず、必ずといっていいほどどう取り組むか、という姿勢にまで言及するのだ。凄い、凄すぎる。しかも私の最寄り駅よりも後の駅に乗り継いだから、通学だってそんなに楽ではないだろう。

私の選択肢は、彼らのようではなかった。大学に入学することすら、4年間のモラトリアムととらえていたし、実際に何も身についたとは思えない。結局、そのつけが回ってきたということか。こうやって文章を書くことも、英語を習得することも、何もかもが経験を積みながら、この年になってようやく一念発起したに過ぎない。

人生って厳しいはずだよな。彼らの会話を聞きながらよっぽど私は自分の居場所を探す、ということに淡泊だと反省させられてしまった。たぶん、切羽詰まった問題に触れることがなかったのだろう。親も一所懸命に働いて子どもに苦労させまい、とがんばってくれたから、余計にほんわかした温室で育っちゃったということだろう。

今、彼らはそんなに余裕がなくて辛い思いもしているのだろうが、ただ若さがある、エネルギーがある、そして夢もある。40の声が聞こえ始めたオヤジではあるが、彼らのがんばりを見習って、また明日から始めてみたいと思った。

まだまだやってみたいことがたくさんあるのだから。

*****

美容学校へ行くなんてチャラチャラして…
と思っていたオジサンは
車内で交わされる彼らの真剣な言葉に
打ちひしがれてしまったと同時に
もう一度
自分の生き方や働き方に
向き合う決意をしたのだと思う。


意外なほどに
このエピソードは憶えていて
その時の真剣な彼らの言葉が
今でも浮かんでくる。

もうゆっくりしたい。
できれば辞めたい。


そういう気持ちがないわけではないが
“間”をあけてしまったら
それまで積み重ねてきたことが
リセットされてしまう。


やってみたことがないから
本当にそうなるか分からないが
本能的に感じてしまうのだ。

だから
リタイアしたとしても
自分の興味のあることに
真剣に向き合い続けなければ
死んだも同然だと思う。

ただこれまでと違うのは
お金を稼ぐということから逃れることで
違う境地が待っているような気がする。

進め。
いざ行かん。


#あの頃のジブン |26

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