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人間の意識

誰もが同じ価値観ではなく、
自分ではちょっとなあ、
と思うようなことでも、
平然と言ってのける人もいる。

“平然”というのは私の価値観であって、
その人にとってみれば"当たり前"の
ことなのだ。

このように、
他人との違いが文明や文化を育み、
そこで紡がれ、
共有するされた価値観が、
ときに戦争という悲惨な歴史を
形作ってきたわけだ。

そんな文明論はともかく、
同じような環境で、
同じような教育を受けながら、
人はいつの時点で違ってくるのだろうか。

先天的なものか、
それとも後天的なものなのか。

いずれにせよ、
この違いがなくなったら、
人類は滅びてしまうのかもしれない、という
不安がよぎる。

しかし不思議なことに、
人間ほど、
その形にこだわる生き物もいないだろう。

自分が経験してきたことは、
誰もが同じである、
つまり、
普遍的なことだと考える人がいるので
やっかいだ。

どこかの本のタイトルにもなっていたが
最近は、“自分のことばかり言う”
人が多くなったのも、
何かのタガが外れたに過ぎないのかもと
思ってしまう。

かつてお釈迦様は
“無常”という言葉で、
世の中がつねにとどまることが
ないことを説き、
平家物語は“奢れる者は久しからずや”と、
人の世の儚さを伝えているのだが。

一人の人間ができることは大きくもあり、
そして、それは儚くもある。

もっと自分らしく生きることに価値を持ち、
"異なる"人間のあり方が認められる
ようになれば、決して「今の若い者は」
という発言にならないと思うのだが。

2002/03/15 Fri
#あの頃のジブン |01

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