変化とヘンカ
近頃、周囲に変化が多い。
物理的な変化というよりは、
人の考え方やなどの精神的なものに、
そういうヘンカが見られる。
時は3月。
学校で言えば学年末、会社で言えば決算期。
そして4月からはじまる新たな生活に向けて、
期待と不安が入り混じる大切なときだ。
人は安定を求める生き物であり、
不安の中に身を置くことを心地よいと
思う人は、あまりいないだろう。
そして、
不安の中から新しい何かを見つける人が
多いことも事実だ。
NHKのプロジェクトXに出てくるような、
何かを成し遂げてきた人の過程が平坦な
ものではなかったこと、
決して短期間では実現しなかったことなど、
苦しい時期を乗り越えた人が成功を勝ち取る
図式ができている。
その精神力とあきらめないことが成功の
キーワードだと、メディアも書き立てている。
しかし困ったことに、
一つのことだけを続けていくことを私は、
大の苦手としている。
つねに世の中の成功例とは違う方向に向かう
癖がついてしまい、
この年になりながらまだいろいろなことに
迷い続けている。
そのくせ人一倍、自分の満足いく成功を
願っているからややこしい。
周囲からはあからさまにではないが、
このような態度にあきれている人も
多いと感じる。
私自身がそんなに変わった人間、
つまり一般的にいわれるような
芸術家肌だったり、
ミュージシャンのような
ビジュアル系でないことも、
混乱を招く原因ではないかと考える。
あまりにも普通の、
どこにでもいるようなおっさんだけに
見分けがつかない。
ただ、人との違いをはっきりさせるとすれば、
自分が嫌いなことはやりたくないし、
やらないと決めてしまうことにある。
妥協することを拒否するとかいう
段階ではなく、自分でもあきれるほどに
わがままなのだ。
例えば、どんなに応援している野球チームが
最下位にいようとも、必ず優勝すると叫び、
しかも、負けがわかっていても、
絶対に引き下がることはない。
どんなに不利になろうが、どうしようが、
妥協することの気持ち悪さに比べれば
なんともない。
妥協した後の後味の悪さは、
これ以上ない不愉快極まりない気持ちに
させられるからだ。
自分で自分を責めることほどいやなことは
ないと、考えている。
結局、自分自身は大きくなり、
そしてあらゆる経験をしたとしても、
性格までは変わらないのかもしれない。
それなりに世の中の渡り方も覚えて
きたつもりだが、どうも性に合わない。
三つ子の魂100までとはよく言ったもので、
私の3歳までの経験は、
相当に強烈だったのだろう。
こんなに変化が大きく、
早い時代だからこそ、
こういう人間の存在価値が
あるのではないだろうか。
妻や子供、親までも理解してくれない
かもしれないが、
信じるべきは自分の心が
感じるところしかないと、
信じている。
2002/03/20 Wed
#あの頃のジブン |03
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