人生の区切りを迎えて#19
他人に心躍るような刺激を与えることができるか?
■課題を肩代わりして解決する
自分勝手な私でも、誰かのために努力して喜ぶ顔が見たいと思う時もある。それが仮に報われなかったとしても自分らしくやることができたなら、それでいいと納得することができる。例えば、同じ職場で、同じ目標を持っているならなおやりやすい。やりやすいどころか、課題を見つけ出して、早急に手を打ち、行動に繋げるように目標設定するのは、得意中の得意だ。
それはどこで身につけた処世術かは分からないが、周囲の人が何を考えているか、どう感じているかに敏感で、自分のこと以上に気を使うというのが自分の性格であることも理解している。上下は関係ない。求められれば全力でその課題を解決するアイデアを考え、実行しながら改良する。
こういうふうに書くと、さぞ優秀な人材のように思われるかもしれないが、むしろ自分自身の課題に向き合うことができず、やったことも、たぶん偏りがあって、多くの人たちに支持されるようなものではないのかもしれない。そんなに自分を卑下しなくても、という声をかけてくれる人もいるが、他人がいて、そこにある課題を肩代わりして解決する、というのは、一見、見本のようなやり方だが、良い事例とは言えない。
■与えられる名誉と報酬は実力値ではない
なぜそのように思うのかといえば、そこに“自分”が存在しないからだ。本当に自分がやりたいことがないから、他人が持っている課題を解決することに奔走し、自分の課題を真剣に、熟慮を重ねて、具体的に行動することをしてこなかったのだと思う。
会社組織における役職位というのは、誤解を恐れずにいうと、基本的に会社にとって都合の良い人に与えられるものであり、決して、実力値とイコールではないことは明らかだ。だから、職位を上げていこうとすれば、その組織にとって都合の良い人材になるしかない。
最初はそれでも、職位が上がれば自分がやりたいことがやれるものだと思っていたが、反対に、職位が上がれば上がるほど、自分らしさは消えていき、いつしか諦められてしまう存在の一人になってしまう。耳が痛いという御同輩も多いと思うが、それは家族のため、会社のため、とか言って、自分で自分を納得させているのが事実であろう。
■独りよがりでいることが自分らしさ
組織を離れて思うことは、これが社会の仕組みであることに、なぜもっと早く気が付かなかったのだろう、ということ。こうやって冷静になって振り返ってみれば、役職も、報酬も、同僚からの賛辞も、すべては組織の中のイベントであり、その中にどっぷりと浸かっていた身としては、なす術がなかった。
もし私が、あえてその常識を壊す、諦める、やり直すことをしていたら、何かができていただろうか。そんな勇気あっただろうか。いや、勇気って何に対することなんだろうか。家族に心配をかけないで暮らしていける環境を提供すること?そりゃ、若い人たちは結婚しなくなってしまうよな。自分の人生をかけて家族を守っても、自分自身に何も残らなければ、自分の人生は何だったんだと思ってしまうことが、今は若い人たちは知ってしまったから。
あえてここから自分の人生を取り戻すとしたら、他人に心躍るような刺激を与えるのではなく、一緒になって考えて、一緒になってその果実を得て、分かち合えるようにしたいと思う。男だから、お父さんだから、長男だから…なんて関係ないと、子どもや親にも言おう。そして、しんどい部分を分かち合おうと言おう。誰かが誰かの支えになるのではなく、一人ひとりの存在が、誰かを支えている、そんな社会や組織が、未来の当たり前になることを切に祈っている。
———編集後記———
9歳の時に父親が亡くなり
いわゆる母子家庭になった。
もう半世紀前のことだけど
当時の母子家庭というのは世間からみれば
不安定な家族の形であった。
不安定と書いたのは
それによって子どもたちの行く末に
世間はステレオタイプの見方をしていたからだ。
いつしか私は世間を相手に演じることにした。
自分がいいではなく
世間がいいを選ぶのが普通になっていた。
それが処世術であり
認められる術だと思っていたからだ。
それがおかしいと思った兄弟は
もちろん自分の価値観を優先するから
結果としてお互いを受け入れられなくなった。
こう振り返ってみれば
私が世の中の常識をぶっ壊して
他人のことよりも自分のことを優先するなんて
所詮無理だったことがよくわかる。
あえて家庭では傍若無人だったのはその反動か?
そうやって生きてきたのだから
身体に染み付いているのだから
でも…もう無理しなくてもいいよね。
そう毎日のように自分に言い聞かせている。