僕の出会った狂人達❸

アルゼンチンタンゴのステップを踏みながら「おはよう」と陽気に挨拶をしてくる
おん年75歳のY原さん、通称アルゼンチンタンゴおじさんが存在する。
現在僕はゴミ清掃員として働いているのだが、僕はそのアルゼンチンタンゴおじさんにえらい気に入られている。
何故かは知らないが昔から僕は自分がそう願っても思ってなくても独特な癖を持った人が勝手に寄ってきてしまう特性をしている。
これは何世代も前の祖先が何か僕にそういった人達を引き寄せる才能みたいな、ありがた迷惑なものを与えたのかもしれないとほのかに思っている。
このY原さんは挨拶の時だけアルゼンチンタンゴならまだいいものを、ゴミを回収している時も運転をしている時もアルゼンチンタンゴのステップを踏みながら作業をしている。
流石に運転している時は危ないからやめるだろうと思っていたら器用に片足だけタンゴのリズムを刻んでいる。
ひとときもタンゴをやめないなんともストイックなおじさんでもあるのだ。
なんでもこのY原さんはお年寄りを相手にパフォーマンスをしていてそのパフォーマンスがアルゼンチンタンゴなのだと僕は勝手に思っていた。

このY原さんは実は周りからはあまり良く思われていない節があった。

それはマイペースすぎるからだ、普通社会に出るとある程度ルールをわきまえて周りに合わせたり空気を読んだりしてしまうものだが
Y原さんはそんなことに気を止める事も悪びれる事もなくただ平然とアルゼンチンタンゴのステップを踏み続けるだけのおじさんなのだ。
周りが少しイライラするのもわかるのが、ゴミ回収という仕事は体力と早さが勝負なのにこのY原さんがタンゴを踏みながらゴミ回収するものだから回収が異様に遅れてしまうのだ。
他の組が終わっているのに、僕らの組だけ終了するのが1番遅いなんて事は日常茶飯事だった。
しかしこんな事でイライラしててはY原さんの思うツボなのだ!いや!向こうはきっと何も思ってない、遅れても何してもヘラヘラしてタンゴを踏み続けるY原に怒ってしまっては完全にY原さんの完全に勝ちなのだ。
だからY原さんと仕事をやる時はなるだけ気持ちを無にして僕もヘラヘラやる事にしている。
そうすると向こうもあれ?俺と同種か!?なんて思ってしまいやたらと僕に話しかけてくる負のスパイラルの坩堝にハマってしまう。

「横須賀くんはお笑いやってるんだって?」

どこからその情報を仕入れてきたのか、Y原さんは僕に聞いてきた

「はい」

「そうなんだ〜じゃあ一度僕が主催しているパフォーマンスイベントに来てよ〜」

とうとうきてしまった!

僕はこの手のオファーには細心の注意を払っているのだが、何故かその時妙に興味が湧いてしまいY原さんのオファーを軽返事で受けてしまった
するとY原さんは大喜びで大アルゼンチンタンゴステップを踏んだ。
当時まだべっこちゃんというコンビを組んでいて流石に相方にこのオファーを引き受けてしまったとも言えずピンでそのイベントに参加した。
会場はどこかの区民集会所の一室にお年寄りが集められイベントをやるというものだった。
Y原さんは僕を前座に組み込ませ大いに盛り上げてくれという簡単にできるでしょ??的な感じで僕に言って肩を叩いた。
客入れの曲は誰が歌っているのかよくわからない昭和歌謡曲
こぶしを効かせた歌が集会所に響き渡りいよいよ僕の出番が近づいた

「横須賀くん頼むよ〜〜」

僕は心の中でうるせーと思ったがここですべっては自分の威信にも関わるので全力でやるだけだった
ネタは確か老人ホームに来た歌謡曲歌手がお年寄り相手に四苦八苦するという、この会場、客層にぴったりなネタを持ってきていた

僕はどうも〜と威勢の良い声で登場した。
周りは2、30人のお年寄り、僕が登場して2、3人が拍手してくれたが、後は誰かと喋っていたり、外をボーッと見ていたり、お菓子を食べていたりと地獄の無法地帯だった。
まさかネタの内容と同じような状況なもんで
何がリアルで何がネタなのかわからなくなり
終始フワフワしてネタが終わっていたような
記憶が微かにあるぐらいだ。
すっかり肩を落とした僕に、Y原さんは

「これも勉強!勉強〜!!」

やかましいわ!と思ったが素直に受け入れることにした。
いよいよY原さんの出番だ
いったいどんなパフォーマンスをするのだろう、僕は興味津々だった。
Y原さんがステージに向かうと客がシーンとなりY原さんに注目していた。
僕とはえらい違う反応!
Y原さんはお年寄りのスターのようだった。
さぁどんなタンゴを踏むのかお手並拝見だ。
するとY原さんはステージの中央に椅子を置きそこに座った。
おぉー椅子を使ったダンスか!
期待で胸が膨らむ
Y原さんがおしりから本らしきものをさっと出し、それに目線を合わせた。

「1935年、第二次世界大戦の最中の日本!!・・・」

ん!!??

「パナマのペリリュー島ではアメリカ軍と日本軍が陸上戦闘の火蓋が繰り広げられていた!!」

朗読劇かい!!!

アルゼンチンタンゴやらないんかい!!!

そしてペリリュー島とはどこだね!!!!

思わず自然に声を出してしまった
それからY原さんはずっと戦争の朗読を聞かせて、とうとうアルゼンチンタンゴは踊らずにそのまま終わった。
お年寄りは割れんばかりの拍手をY原さんに送った。
完敗だった。

ステージを終えたY原さんは袖に来て

「良かっただろう」

と言ってアルゼンチンタンゴを踏みながら去って行った

そこでタンゴ出すかい!!!

翌日又Y原さんと一緒に仕事をした。
相変わらずアルゼンチンタンゴを踏みながら仕事をしていた
そのタンゴが忌々しかった。
昨日の戦争の朗読を聞いて普段と違うY原さんを見たもんだから、Y原さんのタンゴは暗い現実世界を受け入れるのを回避するためにアルゼンチンタンゴのステップを踏んでいるのだなと勝手に解釈して腑に落とそうとしていた。

仕事終わり帰りの車の中でY原さんが

「ちょっとこれ聞いてよ〜」

いったい何が始まろうとしているのだろう?
おもむろに古い手のひらサイズのラジカセをダッシュボードの上に置き、勝手に再生ボタンを押した。
テープから流れたのはY原さんの自分で撮った朗読だった。
ラジカセでおじさんの朗読を聴きながら帰るのは初めての体験だった。

「1993年、日本は冷夏による米不足に悩まされていた!!」

いつの何の問題の朗読だよ!!

戦争からだいぶ時代飛んで最近のことかい!!

それから永遠と米不足に悩まされる日本人の心をまとめあげた朗読を聞かされていた。
味わったことのない地獄の車内タイムだった。

「横須賀くん新作どうだいいだろう」

「はい、よかったです・・・」

なんか重労働してからのY原さんのラジオで聴かせる朗読は疲れがどっと体全体に重くのしかかりぐったりとしてしまう内容だった。
いったいこのアルゼンチンタンゴおじさんは何者だろう?

帰りなんとなく見様見真似でアルゼンチンタンゴのステップを踏んでみた、
少し気持ちが軽くなった・・・

校閲

校閲Part 2