プログラムは書けるのに文章は書けない

文章を書けないのはどうしてだろうと長い間考えていて、今日はそれについて少し話そうと思う。

まず、文章を書けない理由として思いついたのは、書くときに「構造」を意識していないことだ。

プログラムを書く場合は構造を意識せざるを得ない。なぜなら、基本的に目的となる大きな機能を作るために、より小さな機能から階層構造的に作っていくからだ(処理をすべて時系列にそのまま並べて書くなら話は別だが)。プログラムにはきれいに書くための方法論がたくさんあるし、そういうのを考えることに長い時間を費やしてきたから僕はプログラムは書けるのだと思う。

一方で、文章を書く場合は構造を意識しながら書いてこなかった。例えば、下の記事は僕の note で一番古い記事だが、思ったことを羅列しているだけで、それぞれの段落間につながりがない。ツイートが複数並べられているような感じだ。

そういうわけで、文章の構造を知るために、年末年始に論理学の本を読んで議論の進め方を勉強をしていた。議論のような文章の場合は、前提から結論を出し、その結論がまた次の前提になって進んでいくような構造があるらしい(このあたりの話は気が向いたらもう少し詳しくどこかにまとめておきたい)。これを知ったことで、文章を少しプログラムに近い見方、すなわち構造を意識した見方ができるようになった気がするし、自分の書いた文章が多少読みやすくなったと思う。

しかしそれを知ってもまだ書ける感じがしないので、別の問題がありそうである。

その別の問題というのは、おそらく、伝えたい内容、主張がないことかもしれないと最近思い当たった。議論には必ず最終的な結論、主張がある。しかし、僕の場合、とりあえず書き始めるが最終的に伝えたいことがないことがよくある。

では、結論なぜ結論がないのに文章を書こうとするのだろう。もしなにかの主張をするために文章を書くなら、その主張がないと目的が存在しなくなるので、文章を書く必要はなくなるはずだ。しかし、僕は主張がなくてもなにかを書こうとしていた。

つまり、僕の書こうとしていたのは基本的には思考のバックアップをとるための日記的な文章であって、なにかを主張するような文章ではないのではないだろうか。それを存在しない一つの結論に向かわせるように書こうとするから、筆が進まなくなるのではないか。

これは仮説に過ぎないのだけれど、もう少し色々書いてみようとしているとわかる気がするので、この記事はこの辺で終わろうかと思う。すっきりしなくて申し訳ない。

僕の作りたいものは最終的にすべてコードに落とし込めると思うんだけど、まだ知らないことや具体的な構造にまで落とし込めない概念は、やはり自然言語を使って考えるしかないので、引き続き文章を書く練習を頑張っていきます。