見出し画像

呪いの石!

非言語コミュニケーション(Non-Verbal Communication)
と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
手話や相槌、アイコンタクトなどほかにも様々なものがある。様々ある中で私は、写真表現というものを持っている。写真で私の気持ちを表現する事ができる。
例えば、こちらの作品。

画像1

物理的に触れ合っているにも関わらず、見えていない部分では触れ合えず、心から徐々に離れていく、近くて遠い距離感を表現した写真です。
しかし、私はそれを表現しようと撮影しましたが、他の人には違うものに見える可能性もあります。可愛い人、どこで撮ったの、とか、情けの目をしていてもっと早くこの人から離れればよかった、という気持ちを表現しているとかまた様々あります。
要するに伝わっていないんですね。私の表現と、受け取り手の気持ちは一致していないのです。

非言語コミュニケーションを補うために言語コミュニケーションを使う。
2月に私が南三陸をテーマに写真展を開催した際、多くのアンケートを集める事ができたのだがその中に
「写真の紹介や説明が欲しかった」「ただ写真を並べただけでしょ」という感想があった。何だか悲しい気持ちになったことを覚えている。それは、ひとつのコミュニケーションだけで満足してしまっていることに悲しさを覚えたということだ。
前日、前々日に展示準備をしている際に当初予定していたキャプション作成を省いた。それは、当日私が常に在廊出来るからということと、話す機会、コミュニケーションを増やして南三陸のことを知ってもらおうという提案があったからという理由があった。私は当日常に在廊していて話ができる状態であった。そうであるにも関わらず何も聞かずにその意見にたどり着いてしまったのだと残念な気持ちになった。しかし、質問や意見を私に伝えてくださった方々のアンケートには「この写真から力強さを感じた」「さまざまな思いが想起されました」など前向きなコメントをいただけた。(写真展のことについてはまたの機会に書かせてもらいます。)

私は、常に非言語コミュニケーションを意識して表現をしている。しかし、非言語コミュニケーションだけで伝わらないものもある。伝わらない部分を言語コミュニケーションで補えば良い。それは、キャプションでも言葉でも何でも。

会社内の会議や、友人との会話ではメラビアンの法則が表すように、非言語コミュニケーションの方が重要になってくるかもしれない。
しかし、何かを表現することにおいて、特に写真表現をする私にとっては、それらは同等で、互いに補い合うコミュニケーションであると言える。


写真撮ってるので見てください
https://www.instagram.com/ganometherapics/?hl=ja

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?