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日向坂46「シーラカンス」考察 ~大人の隣に寄り添う四期生のラブソング~



こんにちは。おふとんと申します。



今回は日向坂46の9枚目シングル、「One choice」に収録された四期生楽曲、

「シーラカンス」

の歌詞について考えていきたいと思います。



この曲、僕の中では"PPGP"こと

「パクチー ピーマン グリンピース」

と並ぶ、9thの収録曲の二大巨頭です。


歌詞がだいぶ抽象的なので解釈の仕方は色々あるのかなと思うところもありますが、

僕なりに割としっくりくる解釈ができたと思うので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




(サムネ、好き…!!)









1番を読む

雨の雫 頬に感じた 雑踏の中 空を見上げ
僕が「参ったな」と思ってた時
後ろから不意に 傘を差し出す 誰かがいて振り向いたけれど
名前も知らぬ女性だった

その眼差し どこかで会ったような
懐かしさは なぜ? 君は誰ですか?

シーラカンス 生きた化石のように ハートの底にいたんだ
ずっと忘れていたよ こんなエモい瞬間

あの頃と変わってない ときめきを見つけたんだ
まさか今も そっと生きてたなんて 奇跡だ

中学生か 高校生か ずいぶん前の恋する痛み
話し掛けようとしたら 不意に何か動いた

日向坂46「シーラカンス」


この歌には「君」と「僕」が登場します。(いつも通りですね笑)

筆者であるおふとんの考察と紛らわしくなってしまうので、おふとんの解釈を述べるときは「私」とか「筆者」いう主語を用いることにします。




いきなりサビ終わりの歌詞になってしまうのですが、
この物語の中で「僕」は中高生の時代を「ずいぶん前」であると感じています。

年齢まではわかりかねますが、「僕」は社会人だと、私は思います。

そして私は、雑踏の中、空を見上げる「僕」は、社会人の象徴として

「都会のオフィス街で日々仕事にいそしんでいる」

のだと感じ取りました。

なぜかと聞かれるとちょっと説明しにくいです。
勝手に自分の働いている街と重ね合わせている部分はあります。

「シーラカンス」の物語全体を見ての考察なので、後ほど振り返ってみてもらえると嬉しいです。



そこに突然雨が降ってきたのですが、見知らぬ女性である「君」が登場します。

見ず知らずの人に傘を差しだす人って、誰なんでしょう?

そんなお人よしな方、いますかね?



まあそれはさておき、「僕」は「君」の名前すら知らないわけですが、ふとその瞳に懐かしさを感じるようです。

幼馴染なのか、元恋人なのか、中高生時代に何か「僕」の記憶のワンシーンに強く印象に残った人の面影を感じるようです。


そして「僕」は「君」のを眼差しを見て、過去に感じたことのあるときめきを思い起こします。

そのときめきはシーラカンスのようにずっと心の奥底で生きていて、忘れかけていました。


ときめきではあるのだけど、同時に痛みも宿していたので、
「僕」はシーラカンスに触れるのをこれまで躊躇っていたようです。


でも、「君」と出会って感じた懐かしさ、
それは2番では「不思議な感じ」だなんて歌われていますが、
そんな感情がきっかけで「僕」はシーラカンスに触れてみることにしました。






2番~ラストを読む

カフェのテント 慌てて逃げ込み 雨宿りする僕の隣に
君はなぜいるのか? 傘を持ってるのに…
なんか変だよね 不思議な感じ だけどどうしてだろう 悪い気はしない
雨が降り止まなきゃいいのに…

黙ったまま 何分こうしてたか
このドキドキは何? どうなってしまうの?

シーラカンス 今でも生き延びてた 絶滅したわけじゃない
誰も気づかぬように どこにいたのだろう?
大人への氷河時代 自然淘汰されないまま
忘れさられここで蘇るとは ミステリー

ずっと前に失くしたと思ってた 僕にとって大事なものを
胸の奥で見つけたんだ ねえなんか嬉しいよ

日向坂46「シーラカンス」



「僕」は傘をさしてくれた「君」に申し訳なくて、
「大丈夫ですよ」とカフェのテントに逃げ込みました。


でも「君」はついてきます。


傘を持ってるから帰ればいいのに、、、ストーカーなんでしょうか?




でも「僕」は悪い気はしないみたいです。
むしろ、雨が止まずにずっと一緒にいられたらいいのに、なんて思ってます。



どうやら「僕」もなかなかな奴だったみたいですが、それはいったん置いておきましょう。


こうして雨音だけ響く時間が過ぎていくうちに、
「僕」の中のドキドキは高まっていきます。


そしてそれは(大人への)氷河時代を乗り越えるときに忘れ去られ、
今ここで再発見された大切な感情に近いのだということが、
2サビで歌われます。


それを見つけられた「僕」は喜びを感じているようです。








考察


ここまで普通に歌詞をなぞってきましたが、
そのままの意味で捉えると激ヤバな登場人物だと思います。


どういう順番で考察していけばよいか少し迷いましたが、
登場人物の「真の姿」をひとつづつ紐解いていきたいと思います。







歌詞の中で「君」は通りすがりの女性ですが、これはもちろん比喩であって、

超絶お人よしな方 

でも、

初対面の人にストーキングする人

でもありません。




「君」を特定することは少し難しいです。強いて言えば、

「きっかけ」か「運命」

あるいは

「日向坂46 四期生」

かなと思います。






そして「シーラカンス」は、

「過去の僕が、大好きで、無我夢中で取り組んだこと。その時の気持ち」

の比喩として、心の奥底に眠っています。



これは歌詞の中では具体的に指定されていません。

部活で取り組んだスポーツかも知れないし、
音楽や美術かもしれないし、
はたまたビデオゲームかもしれません。


この曲を聴いたあなたが思い出したこと、それがすべて正解です。


中高生時代に熱中したことがあった「僕」も、大人になりました。


学校を卒業すると、働くことになります。
大人になると、視野が広くなります。

働くようになると、否応なしに時間は削られていきます。
視野が広くなると、自分の立ち位置が分かるようになります。

時間が削られると、何かを諦めることが多くなります。
自分の立ち位置が分かると、周りの目が気になって動けなくなります。


思い当たることはありますか?


もちろん当時の気持ちのまま頑張れている人もいると思いますが、
少なくとも筆者は思い当たることがありますし、
何かしら思い当たることがある人がほとんどなんじゃないかなと思います。


大人になるにつれて振り切った「シーラカンス」に今さら触れるには、少し「痛み」を伴うかもしれません。



ふと運命的に出会った「君」が、
「僕」の中でシーラカンスのようにそっと眠っていた熱意や希望を思い起こさせてくれる。


こうしてみると「君」は、

ひたむきに真っすぐ前へ進む四期生

のことなのかもしれません。



楽曲「シーラカンス」はそんな四期生が大人に寄り添う、
彼女たちなりのラブソングなのだと私は思いました。







でも最後に思ったのは、この曲。



運命的に「君」と出会っても、「何かが動いた」だけなんです。

別に「僕」が当時の熱意を取り戻して何かを始めたわけでも、
気持ちを新たに殊勝な心掛けを宿したわけでもありません。


「何かが動いた」だけなんです。その後は「僕」次第。




最初、「四期生らしい曲」だなとこの曲を聴いていました。

曲の爽やかさやトキメキは確かに四期生そのものだと思います。




でも歌詞をこうして考察してみると、おもてなし会で

「ただ隣にいるアイドルになりたい」

と言った「正源司陽子らしい曲」なのかなとも、ふと思いました。








最後に

考察パートではかなり断定的にべらべらと書いてしまいましたが、

「根底から違う曲なんじゃない?」

とどこかで別の考察がなされ、
完璧に納得させられこの考察をすべて投げ出してしまう恐れを感じているくらい、不安定な土台に色々乗せてしまったな、と自覚しています。


もし楽しんでいただけたなら幸いです。

コメントやSNSなどで、どんな感想や考察でもお伝えいただけると嬉しいです。



最後まで読んでいただきありがとうございました。



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