おそらく、ごく普通の退職エントリ(前編) 大学進学~就活・就職~転職活動開始前



こんにちは。おふとん、と申します。



突然ですが、2024年の2月で新卒からおよそ4年勤めている会社を辞めることになりました。


別に上場企業でもなかったし、イカしたベンチャーでもなかったし、普通の会社でした。


「退職エントリ」として映えるようなキラキラ転職では無いわけですが、転職活動はやはり大変でしたし、一応最初で最後の転職にしようという気持ちもあるのでここにまとめていきたい次第です。


つまり、ただの日記・記録、自分語りです。


普通の転職ってこんな感じに地味に進むよね~、ってことは共感してもらえるかもしれません。


参考にはならないと思いますが、ちょっと気になったら読んでもらえると嬉しいです。




大学進学~就活


僕は群馬県の高崎という、県下最大の都市ではありますが、まあ普通の田舎から進学で名古屋に出てきました。

進学当時は就職の事なんか何も考えてなくて(そもそも潰しが効くからという理由で経済学部に入った)、 父親が自動車部品のメーカーに勤めていたので、

「せっかく名古屋来たし、トヨタとかデンソーとか入ったら喜ぶかな〜」

くらいの気持ちでした。
(名古屋に進学で出てきた理由も別にそういう業界に就職したかったわけではなく、なんとなく高崎より都会で、高校から誰も行かないから全く新しい人間関係を築けたら面白いな~という適当な理由でした)


就職のことなんてなにも考えていないまま過ごしていましたが、大学3年生くらいになると少しずつインターン行きはじめる人がいて、流石に就活を意識せざるを得なくなってきた気がします。

僕も3年の春夏に、大手旅行会社と名古屋のIT企業の1dayインターンに行きました。

ただまあ、そこで僕は「就活してるな〜」と満足して一旦就職のことは忘れました。


でも、10月になって後期の授業が始まるとみんな
「長期でベンチャーのインターン行ってきた!」
とか、
「コンサルの内定貰えそう!」
みたいな話を始めてたんですよね。


それはそれはびっくりしちゃったんですが、当時僕は軽音サークルの部長をしていて、バンドが楽しすぎて11月末に予定していた一番大きなライブまでは何も受け付けないことにしてました。
サークルの同期は理系の子ばかりで基本的に院進するから、焦りみたいなものもなくて。

(しかもこの期の単位は全て落としました、3コマしか受けてなかったのに)



そんなでも11月末のライブを終えてしまうと急に「ヤバイヤバイ就活しなきゃ」って気持ちになってきて、
ライブの翌日、とりあえずいろんな就活サイト登録しよう! と思ってなんとなく登録したマイナーなサイト。

名前なんだっけなぁ...リクナビとかマイナビじゃなくて、安っぽいサイトだったんですよ。そこに金融情報を扱うちょっと面白そうなインターンの案内があったんです。


でも、何より僕を惹き付けたのは

「東京までの往復交通費、2万円支給!」

の文言。

貧乏学生だった僕は、 「夜行バスで往復すれば片道5000円かからないから、1万円以上浮くぞ!」 と思って即申し込みました。



バカだ。



まあでもインターンに行ってみると、駅直結の、当時の僕からしたらありえないくらいでデカいビルに入っていて、物理的に色々圧倒されました。
(入社してすぐ移転してしまったのですが)


色々自社サービス触らせてもらったり、社員交えて簡単なディスカッションしてみたりといった普通のインターンではあったんですが、 インターンの最後に「希望される方は1月に早期面接します」と案内がありました。


当時僕はどうやって就職するかもわかってなくて、「来年どうしよ〜ピエン涙」みたいな感じだったので、なんかもう運命の出会いなんだと思ったんですね。



「このレールに乗ればとりあえず就職できるのだ」と。



帰ったら即申し込みました。

2次面接までは当時は珍しいスカイプの面接で、1対7とかいう圧を感じる回もありましたが、
フィードバックを貰ったとき、「この人たち初対面の癖に、意外と俺のこと理解してやがる!」 と思ったのを覚えています。

最終面接の日は東京に来て、
お昼に買ってもらったタピオカを飲みながら国数英3科目のテストを解き、
面接で社長と『ボヘミアンラプソディ』の話で盛り上がり、
「これは受かったのか?眼中にないから適当にあしらわれたのか?」 という気持ちでのぞみに乗って帰りました。
(最終面接は交通費実費支給だった)

結局その会社に今勤めているので、やはり運命の出会いではあった気はしてます。


実はその後1社だけ、文房具の三菱鉛筆のインターンに行きました。
でも内定もらった後はもう気が抜けちゃってたし、名古屋から東京に何度も行くお金もなかったのでそのまま今の会社に就職しました。

3年の12月に始めて2月で終了したので、終わってみれば僕の周りでは最短最速でした。
その後は何も考えずずっとバンドして遊んでたので、ここに書くような記憶はありません。


内定式は何食ってるのか分からんけどなぜかおいしいランチにつれてって貰ったな、、
外側からカトラリーを使う事すら当時の僕は知らなくて恥かきました。




入社~転職活動開始前


僕の世代はコロナと一緒に入社した世代でした。

すっからかんの地下鉄に乗ってたどり着いた、4月1日の薄暗いオフィス街の景色は想像の真反対で、今でも忘れられません。


入社式の日は沢山書類にサインしたり、最低限の就業規則を説明されて内線スマホをもらったくらいでした。 もちろん、飲みになどいかず。

2日目も一応出社したのですが、午前中に各自ノートパソコンを渡されて、「じゃ、午後からテレワークで!」 と。


あの時は自分たちも人事の方も凄く大変だったように思います。

大学時代にリモート授業を経験していたわけでも無かったので、学生も社員も誰もノウハウが無かったんですよね。

研修中は新聞の読み合わせしたり、簡単なサービスの研修を受けたり、30分位散歩して自宅の周りの、いいところの写真取ってこい!みたいなのがあったり。

そんなこんなで、エンジニア職ではない僕はプログラミングの研修などもなく、GW後には配属です。


僕は一応当時希望通りの部署に配属されました。


されたものの、何と海外課だったんです。

当時僕の同期は15人いて、そのうち3人留学生、2人は外国語学部出身というグローバル人材の宝庫でした。商社でもないくせに。

チーム員も僕以外、外国籍2人、外国語学部出身2人、帰国子女2人という外国語エリート部隊。


僕といえば、大学生のとき単位が貰えるからという理由で受けたTOEICが700点いかないくらいだったかな?くらいなもので。
聞けない、喋れない、書けない、読めないで結構絶望してました。
(周りは最低で930点くらい取ってました、ンなことある?)


当時はBest regardsすら知らなかった僕は、
慌てて 「そのまま使える!英文ビジネスメール〇〇選」 とか 「金融英語を身に着ける!」 みたいな本を買って勉強しました。


一応付け焼刃の知識で読むくらいはできるようになったんですが、ちょうど仕事に慣れてきたときに年の近い先輩が2人一気に異動になってしまったんです。


2年目が終わろうとしていた頃で、当然二人の仕事は僕に降り掛かって来るわけです。
契約のこと、商品のこと、今進んでる計画のこと、やり残して放置されてること。


あの時は80時間くらいは残業しないと色々終わらなくて、ホワイト企業前提で入社した僕は若干鬱になってました。
今になってみれば、そのくらい働かなくちゃいけない時期くらいどんな企業にもあるとは思うんですけどね。


それでも仕事してれば効率よく色々進められるようになるもので忙しい時期も半年くらいで終わり、3年目になると直属の後輩も入ってきました。


外国語学部出身ですって。ぽえ〜。







今回はこのあたりで止めておいて、次回転職を決断したきっかけとか、実際どうやって転職したとか、なんかノウハウチックになりそうな気はしますが整理して書けたらなと思います。



本当にただの日記なので、ここまで読んでくれた方がいらっしゃいましたらありがとうございます。乱文でごめんなさい。


もし特定できても、どうか黙っておいてもらえると嬉しいです。




おそらく、ごく普通の退職エントリ(前編)  大学進学~就活・就職~転職開始前

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