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答えは知ってるんだけど

俯瞰で一歩引いた状態で人の話を聞いていると、
目の前の状況というか、話の問題点みたいなものが
ぱーっと見えてくる時がある。
そして同時に、解決策のようなものも見えてくることがある。

なんでこの人たちは言い争っているのか
なんでお互い折り合いがつかないのか
なんで同じことを繰り返すのか

同じようなシーンを
何度も何度も見てきた私は
(またこのパターンか)と辟易していることが多い。

おそらく私は答えを知っている。
でもそれは決して人前では言わない。
それは、その答えというものがとてもシンプルだから。

私は議論等の場において話がぐちゃぐちゃしたり
平行線になったり、結論が出ないのがとても苦手だ。
話が堂々巡りする時間が人生で一番無駄だと思っている。
そんなことに時間を浪費するなら、なるべく話をシンプルにして
問題の本質をきちんと紐解いて対処したい。

でも、シンプル(単純明快といってもよい)ということは、
その答えに余計なものが含まれていないということ。
柔軟性に欠けてしまう。
その答え次第では相手の気持ちを度外視してしまう可能性が非常に高い。

言われた側からすると
すごく破壊的で乱暴なのが欠点

(嫌なら止めちゃえばいいのに)
(そんなのこれ一択でしょ)
とかね。
嫌でしょ、私もこんなこといきなり言われたら間違いなくキレてる。

もうひとつ、話が平行線になる最大の理由が
お互いに痛みを押し付けあっているわがままがぶつかっているから。
これに尽きると思う。

こうした問題の解決には少なからず痛みを伴うことがほとんどで、
誰もがそれを引き受けたくないから
互いに押し付けて擦り付けて、
責任逃れと嘘をまき散らす。

(こういうのって早いうちに痛みを引き受けた方がまず得するんだけどね)

そうこうして帰ってくる言葉は大概、
「そうは言っても」
「そこをなんとか」
「そんな簡単な話じゃねぇんだよ」
ごねごねオンパレード。

内心では
(話をややこしくするから余計事態が悪化するんだけどなぁ)
とは思いつつも、
頭ごなしに否定したり答えをバッサリ言ってしまう行為もまたそれで
話がややこしくなる原因になるのは重々承知なので、
この手を使うのはほんとの最終手段が必要な時だけとしている。

私は神様でも何でもないので、
ああしろこうしろ言ったところで
天啓にもならなければ、ありがたい格言にもならない。

だから私は絶対に答えを言わない。
代わりにだま~って彼らの言い争いを聞いている。
「どうぞ気の済むまでおやりなさい」
そしていつの間にかすーっといなくなる。

以上、イジワルな時の私。

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