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母が生きた証

先月、10月14日 母が永眠しました。
享年95歳でした。

14年前父が他界して3回忌を自身で済ませると、さっさと施設へ入居してしまいました。
社交的で明るい性格の母にとって、高齢の一人暮らしは辛かったのだと思います。
施設に入居してからは、入居者との人間関係で悩みを抱えたこともあったようですが、施設主催の催し物やお出掛けを楽しみにして暮らしている様でした。
そんな中でも一つだけ心残りがあったようで、会う度に愚痴をこぼしていました。

母に限らず、母と同世代の戦後厳しい日本を生き抜いてきた方たちは、家について強い拘りを持っているように感じます。(わたしだけの感覚かも知れませんが・・・)
家を継ぐとか墓守をするとか、次世代に自分たちが築いたものを受け継がせるという日本の古くからの風習もあり、私の両親も夫婦二人で築いた小さな家とお墓を子どもたちに譲渡そうと考えていました。

でも子どたちは私と姉の二人姉妹。
しかも二人とも他家へ嫁いでしいました。

昨今では少子化やグローバルな生活事情もあり、こうした家に拘ることなく独立して家庭を築いたり、先代からのものを受け継ぐことができず、墓じまいをする方も多いようです。
私が住む地域では空き家も増えました。
子どもたちは大学へ進学すると同時に他県へ巣立っていきます。
大学卒業後も学歴に見合った就職先を求めて都会へ旅立ちます。
地元に残ったとしても、職場で転勤を命じられて他県へ移動することもあり、地元での定住もなかなか難しいです。

私たち姉妹も実家を継ぐことはできません。
母も頭では理解できていても、心情的にはどこか許せない気持ちがあったように思います。


10月14日。
私はいつも通りに仕事をし、帰宅途中の車の中で病院からの呼び出しの電話を受けました。
施設の方の話では、その日いつも通り朝食を食べ、その後まもなく体調が悪くなり入院したという事でした。
私が病院に駆け付けた時には、意識はしっかりしていましたが息苦しそうで会話ができない状態。急いで姉や親戚に連絡したり、入院の手続きをしたり。
医師の説明では日付を超えられるかどうかという状態でした。
きっと母は私や姉に言い残したいことがあるはず。
姉が駆け付けるまでは何とか持ちこたえて欲しいと、苦しむ母に「頑張って」と言い続けていましが、私の方が傍で見ているのが辛くなり、「先生、もう楽にしてあげてください」とお願いしていました。

母は90歳を超えた高齢者だったので、いつ何があってもおかしくないと覚悟のようなものはしていましたが、闘病することなく突然の死だったこともあり、ふんわりとした薄い布で現実を覆ったような、いまだに曖昧な感覚の中にいます。
買い物している時に母の好物のお菓子を見つけると「買って行ってあげよう」と思い立って手に取り、すぐに「そうだった、もういないんだった」と元に戻す。そんなことを繰り返しています。


きっと近い将来には、母の希望とは反対に、実家やお墓をそのまま維持していくことは難しくなると思います。
最後に「ごめんね」とひとこと言えたら良かったと、今更ながら悔やまれてなりません。

今頃先に逝った父と再会を喜んでいてくれたら嬉しいな。
昨夜見た夢の中で母が笑っていたので、きっと父の道案内で無事に天国へと旅立ったのだと思います。














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