雨は雪、雪は雨
変化とはそれ自身には気づかれない。
例えば、雨は、雪を知らない。
降ったあとで寒さのあまりに凍結し、雪になっても、複数の雨つぶが固まってボタ雪になっても、雨は雨だ。雨は、こうした変化をなんと呼ぶか、知らない。人間の名付けた名前、言語など、知らない。
雨が氷結させられて地面に落ちて降り積もる。それでも雨は雪に変わっているとは知らない。折り重なって巨大な降雪になる、人間に雪だるまにされる、でも知らない。
雨は雨はそこにある。
雪の正体は雨つぶ、雪だるまの正体は雨、ともすると人間のほうが、だから、本質を間違える。
あの人はあれが好きだから、あれのように、優しい。あれのように、努力家だ。
表面が変わるだけで人間は見る目を変える。
それは、とても、めずらしいことのように、思われる。
人間の目玉がふしあなになるか、慧眼となるか、それもまたそのひとの正体次第。肌を脱ぎ骨を抜き、脳をひと塊だけ残してみて、それでもそれがまだ人間らしいのなら、きっと、とても魅力的なすてきな人間だったのだろう。
雪は雨であり、雨は、雲でもあり、水を含んだ空気でもあった。
今日の空模様もすばらしい混合色を宿らせている。
今日は、雨だろう。
変わっても変わらなくても。
雨だろう。
END.
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