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祇園橋

 俺は弱っちいから、いつも直ぐに転がされて、そして高確率で土俵の硬いところに頭を打ちつけていた。少し大きめの箱に入った車のプラモデルを手にすることは一度もなくて、参加賞と書いてある学習ノートを小脇に挟んで泣きながら家へと帰っていた。床屋の角を曲がり狭い路地へと入る。街灯が上から俺を照らしながら笑って冷やかしてくる。

「今年も負けたとかぁ?弱かね」

無視して歩くと自分の影がビヨーンと伸びる。段々とそれが縮まってきて次の街灯のとこまで行くと消える。木原のおばちゃんちを過ぎるとブロック塀が連なっていて、そのブロック塀の上に月がちょこんと腰を下ろしていた。月は何も言わない。ただこの時期の月は何だか偉そうな顔をしている。

 毎年、十五夜に諏訪神社の秋祭りがあって、夜は子ども会の相撲大会が行われる。一年生から三年生までいつも最初の取り組みで土俵の上に叩きつけられていた。


 またあの人に怒られる。


 一九九九年晩秋

 俺は異国の地で空を見上げていて、三十歳になっていた。秋晴れの空は、東京にある井の頭公園から見上げる空と似ていた。ニューヨークシティマラソンというイベントが行われていて、日本では有名な往年の歌手が参加しているという事みたいだけど、全く興味は無かった。俺はセントラルパークのベンチに腰掛け頭を悩ませていた。

 ギタリストがリフを刻みだし、ドラマーがそれに乗った。俺は小刻みに焦らしながら裏をとって入っていった。裏をとったつもりだったけどヴォーカルが入る前に演奏は止まった。完璧に裏のリズムを捕らえていた筈の俺のベースは、どうやら的外れだったらしい。違う曲を試してみても同じことだった。彼らは汚い言葉を口にして首を左右に振っている。言葉のヴォリュームこそ小さいけど、それは俺に突き刺さった。ミクスチャーをやりたいのなら、そのルーツであるファンクが分からないのは致命的だと思ったけど、俺は「OK」と呟きベースギターを背負ったままスタジオを出た。

 ベンチに立てかけたベースの横には大きめのボストンバッグが横たわっている。ボストンバッグの中には、少しばかりの衣類や生活用品と、今ここアメリカで人気の日本のテレビゲーム マーケットモンスター通称マケモンのグッズも詰まっている。ゲームオタクの大橋に、絶対役に立つからと、日本のマケモングッズは需要が高いからと、金に困ったら売ればいいからと、そんな事を力説されたから仕方なく持って来たけど、そもそも俺はゲームに疎いし、これがどのくらいの価値があるのかも分からない。マケモンのコインやカード類は結構な重さで、移動する度にかなりのストレスを伴う。大体こんなモノを何処で売り捌けばいいものかも全く見当がつかなかった。そんな事よりも、バンドをやっていくという事に見切りをつけないといけない事が分かってしまって、それが俺にのしかかっていた。

  あの人の顔が目に浮かぶ。

 (小学生 天草)

  あの人は恐怖の対象だった。何もない単なる日常だったとしても、車のエンジン音が聞こえると急に、何か悪い事をしてしまっていないか、宿題は終わらせたか、夕飯のおかずを残さなかったか、母ちゃんのいう事を聞いていたか、そんなことを、キューンと痛くなるおなかを感じながら考えた。床屋の角を曲がって細い路地へと入ってくる車は俺んちくらいしかなかった。木原のおばちゃんちを過ぎるとブロック塀に反響してエンジン音が更に深みを増す。おなかの中が暴れだし収集がつかなくなった辺りでエンジン音が止まり、玄関の開く音がする。すると、さっきまでのが噓みたいにおなかはケロッと治る。

「おかえりなさい」

そう発すると、なぜだか身体が小刻みに震え始める。あの人の表情は怒った感じでもなく、かと言って機嫌が良いというわけでもなく普通に、普通というのも何だか変な表現なのだけども、それがかえってなんかあるんじゃないか?と勘ぐらせる。

「風呂には入ったとか?」

そう聞こえてから、しまったと気付いた。さっきまでテレビのアニメに夢中で、台所から母ちゃんが何か言ってた事を聞き流していた。

「だんだん父ちゃんが帰って来らすけん、先に風呂に入っときなっせ」

その言葉を記憶の変なとこから思い出した。それから焦って、あの人の機嫌を損なう前に風呂場へ直行しないといけなかった。急に立ち上がって狭い居間を走ったものだから、座布団に足をとられて滑って転んでしまった。手をついてしまったところは運悪く、あの人の夕飯が並び始めていた低いテーブルの上で、煮物の小鉢をひっくり返してしまった。痛いとか、熱いとか、そんな余裕は無く、鼻の奥が締め付けられていく。

「なんばしょっとか」

あの人の怒りと共に、俺は身体ごと飛ばされて柱に背中を打ちつけた。母ちゃんが雑巾を持って来て、こぼれた煮物を拭き取りながら場をおさめるように言った。

「はよ風呂に入りなっせ」

俺は泣きながら風呂場へと行った。

  夕食を食べながら、あの人は真剣にテレビの野球中継を観ている。


 一九八八年五月

 十九歳。俺はこいつと新宿でライブハウスのステージに立っていた。こいつはKという奴で高校で知り合いつるむようになった。最初は訳の分からない事ばかり口にしていて、宇宙人が喋っているんじゃないかと思う程にKの言動は理解出来なかった。パンクという言葉や雰囲気は何となく分かっていたものの、ちゃんとパンクに向き合えたのはKのおかげで間違いない。こいつのおかげなのか、こいつのせいで変なものに首を突っ込む羽目になったのかは微妙なとこだ。そんなKと高校を卒業し上京した。表面上は就職なのだけど、俺たちはバンドをやるのが目的だった。

 上京したての一九八七年四月に始めてスタジオへ入った。神奈川を走るJR横浜線橋本駅前の楽器店に併設されたスタジオだった。俺は元々ギタリストだし、でもKもギターを買った。こんなところに知り合いもなく、俺たちは二人でやるしかなかった。曲を作った方がギターとヴォーカルを担当して残った方が、やったこともないドラムをやる。はっきり言って滅茶苦茶だったけど楽しかったし、何かが始まった気がした。

 何度目かのスタジオで俺はドラムセットに座って、その時思い付いたリズムを無意識に叩き始めた。するとKはギターをそこいらに立てかけたままマイクスタンドへと近付いて行った。それからスイッチが入ったみたいに絶叫し始めた。

「ゲロゲロゲロゲロ吐いちまえ!ゲロゲロゲロゲロ吐いちまえ!」

ドラムを叩きながら俺は訳が分からなかった。ドラムを続ける。Kも続ける。

「青垂れた顔のオッサンも、便所で唸るオバサンも、ちょっと飲み過ぎたアンチャンも、人目を気にせずにゲロゲロゲー」

グイグイとリズムに乗るK。

「吐けば天国、吐かなきゃ地獄、吐けば人類皆兄弟!」

なんだかポップなメロディーに支離滅裂な詞、ドラムは一応リズムをキープしていた。

「吐き出せ、吐き出せゲロゲロゲー!吐き出せ、吐き出せゲロゲロゲー!」

俺は曲を締めた。なんじゃこりゃと思ったけど、不思議と変な手ごたえもあって、その後にも影響した。

 知り合ったバンドのライブに誘われて、俺たちは新宿のライブハウスへ来ていた。訳のわららない前のバンドの演奏が終わり、知り合いのバンドがセッティングを始めていた。Kが俺を見ている。そして俺は、それがそういう事なんだなと理解した。俺たちはステージへと上がっていた。ドラムのセッティングをしていたそのドラマーは、そのバンドの中でもひと際温厚な性格の人だった。

「まぁまぁまぁまぁ」

俺はそんな事を言いながらドラムセットへ近付いた。バスドラの正面に座り込んでチューニングしていた彼を目で制した感じでドラムセットの椅子に座った。その人は、俺がドラムセットに座った事を変に感じたのか立ち上がろうとしたけど、そのタイミングで俺は躊躇せずに思いきりバスドラを踏んだ。彼がその音に後退りしたのを確認してからカウントを刻むと、Kは勢い良くセンターのマイクに駆け寄った。

 知り合いのバンドというのは、去年末に偶々一緒にライブをやった時に仲良くなったバンドで、俺たちよりも少し年上の人たちだった。今の風潮と音楽性、メッセージ性が上手いこと合致していて、この日の動員はこのバンドだけで百人近くあった。その調子でこれから先、もっと人気が出るのかもしれないけど、如何せんルックスがパッとしなかったし、彼らが奏でる楽曲には年齢的な事もあって少々無理があるようにも見える。それに比べKはルックスが良かったし、若さもあった。曲調はそのバンドとは違っていて出鱈目だったけど、俺たちはそのバンドの客たちにも馴染んでいた。

「ゲロゲロゲロゲロ吐いちまえ」

そうKが歌うと、客席から合いの手のような絶妙なタイミングで「おー」と返ってくる。そんな感じで、俺らがあの日、橋本駅前のスタジオで作ったというか、偶然出来た〔恐怖のゲロ〕という曲は直ぐにそんな事になっていた。ドラムとヴォーカルだけの、こんなへんてこな曲がこんなに盛り上がっていいのかと、しかもここは自分たちのライブではなくて、知り合いのバンドのセッティング中のステージ上なのだ。知り合いのバンドは俺らに怒っているわけでもなく、観客と一緒に騒いでいる。調子に乗った俺が次の曲に入ろうとした時にライブハウス内に罵声が響いた。

「何やってんだ、お前ら」

音響のスタッフがサウンドチェック用のマイクを握りしめて此方を睨んでいた。

 知り合いのバンドは、それなりに盛り上がった。勢いもあった。俺とKはライブ中何度か目が合い笑顔だった。ライブ後は店の人に捕まってしまいこっぴどく怒られたけど、オーディションを受けろとも勧められた。

  あの人だって笑う。

 (小学生 天草)

  あの人は恐怖の存在であったものの、ずっとそうではなかった。釣りが好きで、いつも同行を求められた。俺は釣りにはあんまり興味がなかったけど、断るとまた機嫌が悪くなるのが分かっていたから付き合った。釣り場へ行きしな軽い渋滞にあった。ようやく少しずつ車が進み始め、たまたま横に郵便配達のバイクが並走する形になった。あの人は、何か思いついたような悪い顔をして笑顔を浮かべていた。

「窓ばあけろ」

突然あの人は俺にそう言った。俺は必死になってウィンドウを下げるハンドルを回す。あの人は助手席へ身体を乗り出してバイクに話しかける。

「おい、おいて」

郵便配達の人が車内を覗く。あの人は、もっともな口調で更に大声を出す。

「おい、タイヤが回っとるぞ」

それを聞いた郵便配達の人はビックリしてバイクを止める。走っていればタイヤは回る。そんな当たり前のことを恰も異常事態のように叫ばれ、それに気付くのに人はどれくらいの時間が掛かるのだろう。

「がっはっはははは」

あの人は満足したみたいで、後方に止まってしまったバイクを見て笑い出す。

「タイヤが回っとるだけたい。がははは」

俺は何だかこの人と共犯者になった感じがして、郵便配達の人に悪い事をした気持ちになった。それでも、あの人の機嫌が良い事は何物にも変えることが出来ない貴重な機会だった。

「あいつらな、曲がった杉ぞ」

車を運転しながらあの人は言った。何のことだかさっぱり分からなかった。しばらく行くと前方にジョギングしている人が視界に入ってきた。それは中年の男女二人で、あの人は例のごとく窓を開けろと俺に言う。車はジョギングしている二人の横につけた。あの人の顔は嬉しそうだ。

「おい、曲がった杉、大変やのう。なぁ、なぁて」

あの人は御機嫌だ。曲がった杉ってなんだ?俺は頭をフル回転しても全く分からなかった。あの人は得意気だった。

「曲がった杉は柱にゃならんやろが、ああいう奴らも走らにゃならんけん」

そう言ってまた高笑いをしていた。それから暫くは、新聞配達、マラソン、逃げる犯人、レーサー、サッカー選手、お魚咥えた野良猫などのがテレビなんかで出てくる度に、あの人は{曲がり杉}と普通に言っていた。俺たち家族はそれを聞くたびに愛想笑いでしのいでいた。

  曲がった杉を想像してみても、いまいちピンとこなかった。

   一九八八年夏

 事態が変わってきていた。相変わらず俺とKは出鱈目だった。ひとりがノイジーなギターをかき鳴らしながら絶叫すると、もう一人はステックでドタバタとドラムを叩きつける。そしてそれは曲によってギター、ヴォーカルとドラムが入れ替わったりする。そんな奇天烈なライブパフォーマンスにスカスカの客しか居ないライブハウス内は引き気味だったのだけど、何故か〔恐怖のゲロ〕スタイルの曲、つまり俺がドラムを叩きKがヴォーカルだけをつとめるという前代未聞の編成は何かがあるみたいで、先の〔恐怖のゲロ〕をはじめ〔銅像〕〔つるつるの薬〕〔ミスターハイレグマン〕などの曲は盛り上がりをみせていた。

 Kが手にした雑誌で俺を突きながら興奮気味だった。その雑誌はインディーズと呼ばれているバンドたちも取り扱うマイナーな雑誌だったのだけど、当のアマチュアバンド達にとっては注目の雑誌だった。その雑誌の記事の中に自主制作盤を販売するレコード店の売り上げチャートも掲載されていて、都内の代表的な三店のものが載っていた。

「ちょい、見れって、これ」

Kが開いているページには、ガールズ、三番街、カミヤマというレコード店の売り上げチャートが示されていた。三店舗とも初登場四位にモンゲモンゲの、つまり俺たちのバンドのシングル盤が入っていた。あの駅前の楽器店にあるスタジオで、そこに備え付けられているカセットデッキにマイクを突っ込んで録音したリハーサル音源を、二人でなけなしの金を出し合って制作したアナログレコードだった。A面に〔サルぼぼクラッシャー〕〔銅像}B面に〔鶴は千円、亀はわいで万年〕〔恐怖のゲロ〕を収録した三十三回転のやつで、手書きのジャケットをコンビニエンスストアのコピー機で親の仇の如くコピーしまくって完成させた自主制作盤だ。そしてそれは、信じられない事に、次の号ではそれぞれの店舗でなんと一位を獲得していた。

「ウホ、ウホホホ、ホホホホホホ」

俺はそんな感じの声を無意識に出していた。

「ウホホホ、ホッホウホホ、ホッホ」

俺につられたのかKもそんな事を発した。

「スターやんけ、イケるなコレ、レッツゴーひろみやん」

俺たちはマジでそう思った。頭の中で豪邸が建てられ、ソファに座る俺の両隣にはアイドル歌手みたいな女の子が居て、前のテーブルには肉や魚介料理が並び、高級ワインがグラスに揺れている。ちょっと手を伸ばすと右の女の子の胸に触れ「もう、エッチ」なんていう可愛い声がする。はっきり言って天国だ。極楽だ。スター街道まっしぐらだ。有頂天とはこの事だ。

 (小学生 天草)

  学校では本当に何も出来ないボケナスの俺は周りに流される毎日だった。学校での一日が終わり、下校となったことで気が軽くなったのかどうかは分からないけど、何故かああいう事をやってしまっていた。その日の帰宅途中、通学路に沿って流れ滞っているドブ川へ俺は浸かっていた。特にそうしようという意識もなく、注目を集めたかったわけでもないのに、結果的にはそうなってしまっていた。諏訪神社の方から流れてくる溝と合流するところは少しばかり深くなっていって、そこへどっかりと腰を下ろしていた。ドブ川へと降り始めた時は、偶々居合わせた下校途中の小学生達が面白がっていた。そういう、人から注目をあびるなんてリアクションを感じたことがない俺は、何だか心地良いものみたいに思えて、それがどんどん俺をドブ川へと導いていった。そのうち通行人の大人たちもドブ川へ浸かる俺を好奇心の目で眺めていた。

「いい湯だな」

そんな事も口にしていた。合流して少しだけ大きくなったドブ川は、その先に流れる町山口川へと注いでいる。

 人の目がだんだんと冷たいものへと変わってきたのを感じた。面白半分に何かゲラゲラと騒いでいた小学生達や見世物小屋でも覗いているような感覚の大人達の視線が冷ややかなものとして俺に刺さるのが分かった。

「なんばしょっとか、早よ上がらんね、そがんとこに浸かってから」

何処から聞きつけてきたのか母ちゃんが通学路から俺を見下ろしていて、怒っていた。

「早よ上がらんね、馬鹿んごたるこばしてから、あんた何処に浸かっとるとか」

「ここね、風呂ばい」

俺はドブ川で胡座をかいていて、ドブ水はお腹の上にまで達していた。立ち上がると、その汚水は制服の半ズボンの中をドロドロとドブ川へ垂れ落ちた。母ちゃんが来たことでギャラリーたちは散っていったしまった。

 靴をグボグボといわせながら母ちゃんのあとを歩いた。ドブ川の異臭が辺りに漂う。

「父ちゃんに言うけんね」

母ちゃんの言葉で、やってしまった事の重大さにようやく気が付いた。絶対に只では済まない。なんでこんな事をやってしまったのだろう。家が近付くにつれ、靴のグボグボという音は小さくなっていったけど、それと反比例するようにお腹のチクチクとした痛みが大きくなってきた。

 家に着くと急いで風呂に入った。風呂場は直ぐにドブ臭くなったから風呂掃除もした。ご飯も食べて正座してあの人の帰りを待っていたけどなかなか帰ってこなかった。もう寝る時間になって、歯を磨いている時だった。路地を入ってくる車の音が聞こえて、お腹がキューンとなった。

「今日はもう寝なっせ」

母ちゃんの言葉に俺は素直に従った。布団に入ったものの緊張して眠ることができなかった。あの人は遅い夕飯の前に風呂へ入った。風呂から上がると、おかずが並ぶ低いテーブルの前に座ってテレビを点けた。

「風呂場が、何か匂いのしたばってんなんかしたとか?」

襖一枚隔てた寝室ではっきりと聞こえた。隣で弟はもうぐっすりだった。食器をテーブルに置く音が何度かしたあとで、母ちゃんはドブ川事件の事をあの人へ話してしまった。寝室の襖が勢い良く開けられ、布団を剝ぎ取られ、叩かれる。

「ガハハハッ、なんや、そがんことがあったとか」

母ちゃんの話を聞いたあの人は笑っていた。俺は変な夢でも見ているんじゃないかと思いながらも意識がふわふわになってきて、いつの間にか眠りに落ちていた。ドブ川事件は、あの人にとって愉快なものだったのだろうか。

   一九八八年 秋

 さすがに一位の座からは落ちていたけど、俺たちのあのシングル盤はまだチャートに居座っていた。三店舗どの店のチャートでもまだ上位にあった。ただ、その頃になると無理が出ていた。面白がって作ったシングル盤が自主制作盤の売り上げチャートとはいえ一位になるなんて考えもしていなかった。そしてそれは自分たちの音に向き合えば向き合うほどズレが生じていた。

「あのレコードと、今のライブの感じ違うよな」

下北沢の居酒屋でKがそう切り出した。俺たちはあのスタイルをやらなくなっていた。いくら受けが良くても、それはコミック的というか色物扱いというか、そういうものにカテゴライズされているような気がして、かと言ってちゃんと曲を作っても二人だけのバンドでは表現に限りがあった。ライブのモチベーションも大分下がってきていて、ひとつひとつのライブがやっつけ仕事みたいな情熱の無いライブパフォーマンスが続いていた。レコードによってちょっとだけ増えた客も、どんどんと減っていった。その日もスカスカのライブハウスで俺たちは空回っていた。次の曲は俺が作った〔デヴィル〕というタイトルの曲だ。

「この世の全ての邪悪をぶちのめせ!そこに眠っている悪魔を呼び覚ませ!」

そんな歌詞が聞き取れるのかどうか分からないような絶叫で曲は進んでいた。それはギターソロとは言い難いのだけど、そのパートへ入るための一瞬のブレイクだった。時間にして一秒かそこら。絶妙なタイミングで客席からヤジが飛んできた。

「へたくそ」

俺の指はもう最初の音を出すフレットを押さえていた。突然ビートが止まった。スカスカのフロアでそれを言った奴は直ぐに特定出来た。

「じゃ、お前が叩いてみ」

Kはそう言って持っていたステックをそいつに向かって投げつけた。ステックはステージ上でワンバウンドして照明に飲み込まれていった。そいつはしれっとした顔でドラムセットへ近づきKと一触即発になったけど、Kは睨みながらもドラムを譲った。ライブハウス全体が変な空気になりつつあった。俺が奴を見るとカウントを刻み始め、そして本日二回目のデヴィルが始まった。

   石井ボンクラの事は、あの人にも母ちゃんにも言っていない。

 (小学生 天草)

   通っている小学校には制服がある。それなのにあの兄弟は私服で学校へ来ていた。五年生と六年生の兄弟で、誰が名付けたのか通称石井ボンクラと呼ばれていた。石井ボンクラは絶対的な存在で、いつの間にか君臨していた。全てが石井ボンクラの思いのままだった。その噂は強烈なものばかりで、祭りの時に的屋から金を盗る、高校生を相手に喧嘩して重傷を負わせる、派出所の机から拳銃を盗み出す、そんな類の悪い事ばかりで皆に恐れられていた。
 この街には銀天街というアーケードに覆われた商店街があって毎日賑わっていた。銀天街の中ほどにある山野楽器店でレコードを買って貰った。人気のタイ焼きの曲も収録されたオムニバス盤だ。毎日の給食時に生徒が持ち込んだレコードをかけてくれるコーナーがあって、俺はそれのために買って貰ったばかりのレコードを手に登校していた。

「それレコードやろ?」

うしろから声がして振り返ると大柄な二人組が目に飛び込んできた。石井ボンクラだ。俺は怖くて固まった。

「おいて、レコードやろがて」

石井ボンクラが目の前にいて、どう対応していいのか全く分からなかった。

「レコードやろて、兄ちゃんが言うとるやろがて」

町山口川の両岸も通学路になっていて、通りの一本向こうを流れ澱むあのドブ川と平行にある。あっちから行けばよかったと今更思っても遅く、町山口川の右岸途中で俺は立ち尽くしていた。突然、石井ボンクラの兄が左岸を通学していた何人かの生徒へ大声をあげた。

「今からこいつがレコードば投げるけん、誰かキャッチしなっせ」

そんな事をするなんて一言も言っていない。まして向こう側までは三十メートルくらい距離がある。持っていたレコードをひったくられ、ジャケットからレコードを出された。レコードがこんな姿になるのはターンテーブルに乗る時だけなのに、俺のレコードは通学路で裸にされてしまった。石井ボンクラはレコードを雑に扱い、そのまま俺に手渡した。石井ボンクラはニヤニヤしながら催促してきた。

「はよ投げえて、ほら、円盤のごつ投げえて」

俺は言われるままに従うしかなかった。フリスビーのように投げ放ったレコードは途中まで勢いがあったけど直ぐに失速して、川幅半分も行かないくらいで川中から頭を出していた岩へあたり、欠けて水の中へと沈んでしまった。

「あーあレコード勿体な」

そう笑いながら石井兄弟は何事もなかったかのように学校の方へ歩いて行った。俺は悔しさと悲しさと恥ずかしさと恐怖が入り混じって涙が出た。川下に祗園橋が見えた。あの人から買って貰ったレコードだった。

 一九八八年 秋つづき

 それはⅮビートと呼ばれるもので、曲にピッタリ合っていた。さっきまでのKのドラムとは比べ物にならないくらいにタイトでヘヴィなリズムだ。〔デヴィル〕が初めて理想に近い形で演奏された。
 そいつの苗字はSといって、ちょっと前に捕まった連続殺人事件の犯人と同じだった。名はTで普通のそこいらに居る連中と変わらない見た目の奴で、なんでこんなパンクのライブに居たのか不思議だった。でもこいつだった。後日、俺はベースギターを買い、Kはドラムから解放された。モンゲモンゲはスリーピースのバンド編成となった。リハーサルを重ねる度に演奏力は高まっていき、次第に曲も増えて、ライブパフォーマンスも板についてきた。バンドは勢いを取り戻した。

 そのバンドとは久しぶりの対バンだった。前に対バンした時は、まだ二人でやっていた時で滅茶苦茶だった。そのライブの最後にKは客席のフロアへダイブして、そのまま床へ身体を打ちつけ動かなくなった。おそるおそる顔見知りの奴が二人近付いて身体をゆすると、ビクッと起き上がりヘラヘラ笑いながら同時に放尿していた。

「なんか前と随分変わったねえ」

ライブのあとに話しかけてきたのは、ヴォーカルの奴だった。背が高くて顔立ちも良い。短い金髪を立て、こざっぱりした服装は大凡バンドマンには見えない。ただ、こいつのバンドには固定客も付いていて割と人気がある。残念なのは音楽性に個性が無く、どこかで聞いたことのあるようなメロディーに、聞いているこっちが恥ずかしくなるような歌詞で、俺らとは正反対だ。そんなバンドの客たちは、俺たちを見に来るガラの悪い知り合いとは違い、ちょっと落ち着いているというか気取っているというか、ライブ中も腕を組んだまま突っ立っているような感じで、先のライブでKがダイブした時もサッと逃げて、それでKはそのまま床へ落下する羽目となった。

「凄く良かったよ」

そう言われて、最初はちょっと嬉しかったけどあとでモヤモヤしてきた。Tがバンドへ入ってから演奏力は格段に上がった。二人でやっていた頃の曲も見違えるほどだ。最初のうちKはTの事をあまり良く思ってなかったけど、今では二人だけで飲みに行く事もある。

「なぁんか、違うんだよな」

リハーサルスタジオを出た帰り道で、俺は二人にそう切り出した。

「どういう事?」

Tが振り返った。Kが俺を見ている。すぐ先には小さな公園が見える。

「ちょっといい?」

俺は公園を指さして二人を誘った。

 砂場の脇に腰を下ろして雑談している二人に近付き、道の向こうの自販機で買ったビールを渡した。

「おっ、サンキュー」Kは直ぐにプシュッとやって喉を鳴らしたあと「クーっ」っと顔をしかめた。Tもそれに続いた。

「で、なに?」

Tが聞いてきた。Kも一旦口からビールを離した。ああ言ったものの俺は全く考えが纏まって無かった。

「なんか感じない?」

俺の問いに二人は顔を見合わせた。俺は続けた。

「Tが入ってから、なんつーか良くなったじゃん。こう、演奏力とか曲もさ。なんだけど最近なんだかスッキリしないというか、この前のライブの時もあの訳の分からないバンドのヴォーカルに、良かったよなんて言われて」

「良かったって言われたんなら良かったじゃんか」

Kが口を尖らせながら言った。Kも俺もすっかりこっちの言葉になっている。Tは黙ったままだ。

「そうなんだけど何かが無くなったような、それが何かは分からないんだけど、そこんとこどう思ってるかなって」

俺は上手くは言えなかったけど、なんとなく要点は話せたかなと思った。黙っていたTが残りのビールを飲み干して立ち上がった。

「じゃ、俺が抜ければ良いってことか。わかった。辞めるわ」

「ちょい待てって、そやん事やないとよ」

俺は焦ったり、なんか咄嗟の事が起こると不意に熊本弁が顔を出す。Kも慌てて、事態を落ち着かせようとしていた。

「こん話は、またっちゅう事で、なぁ、なぁ、今日はもう帰らんね」

Kが言い終わらないうちに、Tはもう駅へと歩き出していた。俺は要らん事を言ってしまったと、ここで初めて気付いた。このまま駅に向かうとTと会ってしまい気まずくなると思い、俺たちは暫く公園に居座る事にした。

「どがん話かと思えば、お前は、もう。ほれもう一本ビール」

Kに催促され、言われるままにビールを自販機で買い、Kに手渡した。

「で、実際はどう思っとるとや?」Kに聞いてみた。

「あんまり考えたことなかったわ。ドラムが入って、お前がベースになって、こん中では俺が一番初心者っつーか、やけんギターば頑張らんといけんち思っとって、他の事には頭が回らんかった」

「そっか、そうよな、なんかTに悪いこと言うてしもたな」

「いくら何でもそがん直ぐは辞めんやろ。次のリハん時に謝れば良いったい」


 何となく、あの人の声が聞きたくなった。

 (小学生 天草)

 銀天街の中程にはお菓子屋があって、店先にはチョコレートやキャンディー、袋菓子、ガムから和菓子やケーキまでが並んでいた。四角いガラス張りの冷蔵ケースの中には飲み物もあって牛乳、コーヒー牛乳、コーラ、オレンジジュースなんかが入っている。この店はちょっと変わっていて表向きはお菓子屋なのだけど、店の中を奥に進むと何故か食堂が現れる。食堂と言ってもラーメンや丼ものを提供する軽めの食堂で、そんなに客は居ない。その店に小学生達が屯していた。
 食堂へ入ると、向かって右側の壁際に六台のゲーム機が設置されている。定番のピンボールともぐら叩き以外の四台はコインゲームだ。パチンコ台のようなものに、これまたパチンコを弾くレバーみたいなのが両サイドに三本づつ付いていて、上部のコイン投入口へ十円玉を入れるとゲームを始める事ができる。上の端から絶妙な力加減で十円玉を弾いていく。六本あるレーンを下へ下へと誘う。弾く力が強すぎたり弱すぎたりすると、各レーンに設けられている穴に落下してしまう。十円玉が穴へ落ちるとそこでゲームオーバーとなる。運良く最後のレーンに辿り着いても油断は出来ない。最後のレーンの先には穴が三個開いていて、ゴールである当たりの穴は真ん中のひとつだけ。弾く力が強いと奥の穴へ、弱いと手前の穴へと十円玉は落ちてしまう。こんなリスクを負ってまでこのゲームに挑む理由は、この店による独特のルールがあるからだ。奇跡的に真ん中の当たりの穴へ十円玉を入れる事が出来たなら、ガコンという音と共にゲーム機の下の方にある取り出し口から白いプラスチック製の札が出てくる。その札に記載されている数字の枚数分のコインがお店から貰える。この店の恐ろしいところは、コイン一枚が十円として使えるという事で、上手くいけば十円が百円に化ける事もある。そんな賭博性に小学生達は馬鹿になっていた。俺も少ない小遣いを握りしめて毎日のように通っていた。上から下へ十円玉を運ぶ新幹線ゲーム、下から上に弾いていく登山を模したゲームがあったけど、その勝率の悪さに嫌気がさしてきていた。そんな時期だった。食堂で食事を済ませた中年のおじさんが新幹線ゲームの隣にあるゲーム機の前に立ち、ポケットから十円玉を取り出しルーレット式のゲーム機へ投入した。
 最初、何が起こったのかわからなかった。ルーレット上を光が進んでいて、そのうちに止まったみたいだった。。俺は新幹線ゲームの最後から二つ目のレーンに集中していた。突然、隣のルーレットのゲーム機からガコンガコンガコンガコンという連続した音が聞こえてきて、レバーを弾く寸前だった俺は手元が狂って、十円玉は手前の穴へ落ちてしまった。ようやくガコンガコンが止まって、俺はそのおじさんを見た。
 ルーレットには数字が書かれていて、光は三十のところにあった。おじさんは俺に気付いてとんでもないことを言った。

「これやるぞ」

「へ?」

「仕事に戻らんといけん。そんならな」

そう言って食堂を出ていくおじさんの背中を見ることしか出来なかった。ルーレットのゲーム機を振り返ると、コイン取り出し口にコインが溢れていた。俺は突然、億万長者になった。やった、やった、なんやあのおじさん?神様やなかろうか?

 学校での時間や、子ども会なんかの中では何もできないウスラトンカチな俺は、おとなしく引っ込み思案で覇気がない印象を醸し出している。学校から帰宅して、制服を私服へと着替えると、俺は俺になる。そのまま家を飛び出して銀天街を目指す。途中、ちょっと面白いことを思いついて、おもちゃのかわうちへ寄る。お小遣いが減ってしまうのは惜しいけど、俺にはあの店に預けてある大金がある。かわうちで一袋十円のかんしゃく玉を三袋買う。おもちゃのかわうちの前の通りは交通量が多い。銀天街へ向かいしな信号待ちをしている時に、それを思いついた。かんしゃく玉は一袋に六個入っていて、アスファルトやコンクリートへ思い切り投げつけると、パンっ!という結構大きな音がして弾ける。かわうちを出ると歩道にある立て看板の元にしゃがみ込む。それからかんしゃく玉を袋から全て取り出して前の道路へ投げた。信号は赤で、車は停車している時だった。十八個のかんしゃく玉は、向かいの車線へ転がるのもあれば近くに留まるものもあって、バラバラになったけどある程度いい具合に散った。信号が青へと変わり車が動き出す。最初にかんしゃく玉を踏んだのは向こうの車線を走り始めた白のセダンだった。パパパンという音に運転手は車を停め窓を開けてタイヤを見ている。続けざまに数箇所からかんしゃく玉の破裂音が聞こえる。俺は慌ててブレーキを踏んだり、窓を開けたりする運転手達の事が面白くて仕方がなかった。暫くすると、かんしゃく玉は鳴らなくなったけど、俺は立て看板の脇でケタケタと笑っていた。かわうちのおじさんが店の中から出てきて俺を睨んだ。俺は走って銀天街へと逃げ込んだ。

 店に着くと直ぐに引換券をおばちゃんに渡し、コインがザクザクと入った袋を受け取る。さっきかんしゃく玉を買ったから二十円に減ってしまったお小遣いも気にならないくらいの重量感だ。今までルーレットのゲーム機を避けていたのは、それが何となく大人のもののような気がしてたからだけど、昨日少しだけやってみたら簡単だった。今まで苦労して新幹線ゲームなんかでコインを弾いていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。

 ルーレットには数字が並んでいて、ニ、四、六、十、と三十で、一番多く記載されているのはニ、最も少ないのは三十で、三十は何と一箇所だけしか存在しなかった。十円で一回どこへ賭けてもいい。賭けた数字と同じ数字上にルーレットを走る光が止まれば、その数字分のコインが出てくる。このゲーム機の特徴は同じ数字に五倍まで賭けられるという事で、確実にニで止まると思えば五十円を投じて倍率を五倍に、取り分を百円にすることができる。

 また二だった。さっきから二にしか止まらない。三十枚あったコインは確実に減っていった。負け分を取り返そうと六や十に張ってもニに止まってしまう。そんならと、ニの倍率を五倍にした。当然コインも五枚使った。するとルーレットの野郎は見透かしたように十で止まった。いったいどうなっとるん?昨日のあのおじさんは、あの神様は十円を三十に張って当たってしまったって事やよな?そうこうしているうちにコインは全てルーレットゲーム機の中へと吸い込まれていった。こんな事ならコインでお菓子の一つでも買っておけば良かった。結局、お小遣いの残り二十円もルーレットにやられてしまって、仕方なく家路についた。
 木原のおばちゃんちを過ぎてブロック塀が終わり、そこを曲がると家だったけど、なんか変な感じがした。家の前にはもう車が停まっている。まだ夕方五時前だ。車を見た時からお腹がキリキリと痛みだした。

「ただいま」

家へ上がると、母ちゃんは夕飯の準備に取り掛かっていた。弟が嬉しそうに近付いてきて何やら言い始めた。

「父ちゃん、今日はもう帰って来らした。今、風呂に入っとらす。兄ちゃん今日何か要らん事ばしたやろ?」

手を洗いに台所へ行くと、母ちゃんが怒っていた。

「あがんこつばしてから、父ちゃんに言うたけんね」

俺には何のことだかさっぱり分からなかった。

「買い物に行く時にかわうちの前におじさんが出とりやったけん挨拶ばしたら、あがん事ばしてからぁ、あんたはもう」

俺は、かんしゃく玉の事をすっかり忘れてた。弟が後ろで笑っている。風呂場の戸が開く音がして、あの人の声が聞こえた。

「おーい、上がったぞ。お前たちも入らんか」

恐る恐る風呂場へ向かった。脱衣場でステテコ姿のあの人と目が合い「ただいま」そう小さく言って服を脱ぎ始めると、あの人から話しかけられた。

「お前、今日、面白かこつばしたてな。まぁ良か、早よ風呂入り」

弟は当てが外れたような感じで風呂場の中に入ってきた。

「父ちゃん、怒っとらっさんね、なんでやろ?兄ちゃん今日かわうちの前でかんしゃく玉ばまいたやろ?」
  そう言えば、ドブ川へ浸かった時も怒られなかった。

 一九八八年十二月

 あれからTはリハに来なくなった。Kに聞いてみた。

「電話あった?」「無い」「俺、家まで行ってみたんやけど出て来んかったわ」「ライブ、今週やんな」「まいったな」

一応、留守電にはリハの日取りを入れてはいたものの、今日もTはスタジオへ現れなかった。

「練習どうする?ライブにTが来んなら前のスタイルでやってみといた方がいいんやないの?」

Kにそう言われたけど気が進まなかった。今更アレには戻りたくなかった。あらためて、無くしたものの大きさを知った。

 ライブ当日、俺たちはぐでんぐでんになっていた。新宿駅南口で待ち合わせていたのだけど、その時から俺もKも酷く酔っぱらっていてライブハウスへ着くころには訳が分からなくなっていた。二人で示し合わせて酔っぱらった訳ではないのだけど、ライブハウスノックアウトの店長も呆れ顔だ。

「どうした?こんなんなって」

Kがヘラヘラしながら答える。

「おつかっす、おつか。俺ら今日リハ無しで、はい、ダイジョーブ博士」

俺もKに続いた。

「アレっす、二人っきりになってシマウマして、なしで、ダイジョーブ、ダイジョーV」

店長は俺たちに釘を刺した。

「ライブまで少し休んで、酒はもう飲むなよ」

俺たちは無言で店長へ最敬礼をして固まって見せたけど、三秒後には床へ崩れ落ちた。
 デカい音で目を覚ました。頭が痛かった。目をこすると段々と視界が開けてきて煙草の煙が目に映り、ヘアスプレーの匂い、革ジャンが擦れる音なんかも聞こえた。落書きだらけの楽屋の壁に時計を捜すと十九時を回ったところで、今夜最初のバンドがライブを始めたところらしい。楽屋の隅で俺たちは寝ていたみたいで、俺の顔のすぐ横にはKが履いている安全靴があった。

「あら、おはよう」

次に控えているバンドのメンバーだろうか、小柄で金髪の娘がにっこりと笑っていた。俺は兎に角のどが渇いていた。その娘の前にはテーブルがあって、その上に飲みかけのラガービールを見つけた。俺はヨロヨロと立ち上がり、テーブルに手をかけてラガービールを掴んだ。

「これ貰うよ」

楽屋で出番を控えていたバンドのメンバーが慌てて何か言った。俺はもうビールを口にしていて、咄嗟に吐き出したとこだった。そのラガービールの缶の中には煙草の吸殻が入っていた。俺が吐き出したビールはKのところにも飛んでいき、それでKも目を覚ました。俺は急いで楽屋を出て、フロアの角にあるバーカウンターまで行き生ビールを二杯買い、一杯はその場で飲み干した。もう一杯を手に楽屋へと戻りKに渡すと、Kもそれを一気に飲んで俺たちは元気になった。
 それまで鳴っていた音がスコンと聞こえなくなり、それから狭い楽屋が混雑してきた。トップのバンドがライブを終え楽屋へ引き上げてきたのだ。それと入れ替わるようにしてさっきまでそこに居た奴らがステージへ出ていった。小柄なあの娘もエピフォンのセミアコを抱えて「いってくるね」と微笑んで出ていった。その笑顔に俺とKは心を奪われた。だけど、夢見心地はここまでだった。俺たちの頭上にどす黒いものが渦巻いていた。そしてそれがゆっくりと絶望的に覆い被さってくる。俺たちの出番が次だという事を自覚せざるを得ない状況に置かれてしまった。楽屋の中に、あの娘のギターが響く。ファンキーなドラムにツボを得たベースライン、ヴォーカリストはハスキーで味がある。

「なにこのバンド、ロックンロールからブルースまでかっこいいな」

俺たちは演る曲すらまだ決めていないのに、Kはこの期に及んでまだそんな呑気な事を言っている。本当にあの娘が弾いているのかと思うくらいの凄まじいチョーキングが決まったギターソロが益々俺を追い込んでいく。

「なぁ、曲どうするよ?マジで出たとこ勝負にするつもりか?」

Kは考え込んでいるみたいだったけど、腕を組んで寝ているようにも見える。そうしている間にも確実に時間は過ぎていく。
 軽快なリズムからジャニスのカバーが始まった。ライブの構成からしてカバー曲というものは割と最後の方へ持ってくる傾向がある。自分たちの必殺の曲を披露する前に、カバー曲で盛り上げる為だ。

「だんだん終わりそうやな?もうあれで、一曲目デヴィルでいくぞ」

気合を入れるしかない。俺はそう思った。Kは暫く触ってなかったステックを握りしめた。ステージ上では大エンディング大会が行われているようだった。客席のフロアからも頻りに声があがっている。引っ張ったドラムロールがようやく止まりそうになって、ダンッと最後の曲は終わった。しゃがれた声のヴォーカリストが客席に感謝の言葉を投げている。小さな身体で汗をかきながら、ギターとエフェクターボードを抱えてあの娘が帰ってきた。他のメンバーも次々と楽屋へと戻ってくる。

「頑張ってね。え?二人だけなの?」

あの娘の言葉に、頷くことしか出来なかった。当日リハもやっていないし、二人編成でのライブなんていつぶりだろう?だいたいKはドラムを叩けるのだろうか、それは俺も同じでドラムもだけど、最近はベースを弾いていたからギターを持つのは違和感だらけだった。客はまあまあ入っている。聞き覚えのある鼓笛隊みたいなKのドラムが始まった。ギターをかき鳴らすも、音がペラペラだ。そのくせヴォーカルの音量はデカくて、恥ずかしいくらいにクリアに出ていた。

「この世の全ての、邪悪をぶちのめせ」

もう泣きたいくらいのクオリティだ。そしてギターソロ前のブレイクにさしかかり、フロアからヤジが飛んできた。Tだ。

「へたくそ」

Kは安堵の表情でドラムセットから立ち上がり、持っていたステックをステージの真ん前に居たTへと投げつけた。ステックはステージ上で跳ね返りTの足元へ落ちた。

「じゃ、お前がやれよ」

Kはそう言って俺に近付き、肩から下げていたギターをひったくった。俺は急いで楽屋へと戻った。前のバンドはライブを終えたばかりで、まだ休んでいた。

「すんません、ごめんなさい、あの、ベース貸してくれません?」

俺は切羽詰まって感じで頭を下げた。すると少し躊躇したような表情を見せたちょっと年配のベーシストがリッケンバッカーを手渡してくれた。俺は礼もそこそこにそれを掴んでステージへ戻った。
 Tがカウントを刻み、そこから何かが憑いたような〔デヴィル〕が始まった。曲が終わると間髪入れずに次の曲、更に次の曲へとたたみかけた。一気に十四曲を放射し続けた。バンド史上最高のパフォーマンスだったけど、客の事は全く頭に無く、完全に置きざりなライブとなったと思った。しんと静まったフロアから徐々にオオオオという低い声が聞こえてきて、それは拍手を伴ってどんどん大きくなっていた。俺たち三人がそれで我に返って、それからステージを降りた。楽屋へ戻ると、今夜のトリのバンドが控えていて、口々に「次やり辛い」とこぼしていた。

 あの人は密かに何か企んでいるようだった。

 (小学生 天草)

 事件が起きたのは土曜日の午後だった。俺はまだルーレットのゲーム機にハマっていて、しかし、この頃になるとある法則を握っていた。ルーレットが止まる数字の傾向を書き出してみると、完全ではないものの見えてきたのが、ニの次はニで、また二、次から順にニ、四、ニ、ニ、十、ニ、ニ、ニ、六という大まかなもので三十に止まったのは見たことが無かった。そのことからも分かるように、あの神様のようなおじさんの強運ぶりが伺える。
 ルーレットの前に立つと大体はニで止まっている。どのタイミングのニかは分からないけどセオリーどおりにニへ賭ける。その出目によって次の目を決める。確実ではなかったけど大分当たる確率が上がった。それともう一つ、止まった数字を対角線へなぞると行き当たる数字が次に止まる目という少しオカルトめいたもの。だけど、この二つの攻略法を使いだしてからコインもちが良くなった。
 土曜日は少しだけお小遣いも多い。それを持って銀天街のあの店へ行く。店に入り、奥の食堂へ足を踏み入れたところで俺は固まってしまった。ルーレットゲームに興じていたのは石井ボンクラだった。なんで居るん?そんなことしか考えられなかった。俺は土曜日の午後を諦めきれなくて、食堂へは入らずに店の方からそれを眺めていた。石井ボンクラは兄弟でルーレットをゴンゴン回していて、どう見ても小学生には見えなかった。

「また二や、クッソ、どがんなとっとか?そんなら」

石井ボンクラの兄はニを押すと思惑通りニで止まった。ガッコンという音と共にコインが二枚出てきた。

「よっしゃ、やけど二枚か」

「そんなら兄ちゃん、全部賭けてみん?」

「全部て、全部か?」

「全部賭ければ、どれか当たるったい。もう全部五倍やってみん?」

「全部五倍やったら、五の五やけん二百五十円か。よし」

そう言ってから全てのボタンを押した。俺はルーレットのゲーム機のベットボタン全部が点灯しているのを初めて見た。徐にスタートボタンを押したのは弟だ。なにか特別な回みたいな気がしているのは石井ボンクラとそれを遠目に見ている俺だけで、ルーレットは通常どおりに回り始めた。俺は食堂の中へ少しだけ足を踏み入れていた。段々と回るスピードが落ちてきて、いつもの感じで光は止まった。
 俺は直ぐに食堂から店の方へ移動した。こんな事が起こるのは想定外で、こんな落とし穴があったのかとルーレットのずるさを知った。石井ボンクラの噂は強烈なものばかりで、でもそれを目の当たりにしたのは無かった。

 ゼロだった。ルーレットの上を回っていた光は、しれっと0の上で止まっていた。数字ばかりを追っていた俺はルーレット上に0が存在する事を見落としていた。
 ドカッ、バキッ、という音がしてプラスチックが割れた。なおも破壊音は続く。そこには食堂の椅子を何度も何度もルーレット機へ叩きつける石井ボンクラの兄が居た。

「なんやこれぇぇぇ、ふざくんなぁぁぁ、ボケがぁぁ」

弟も一緒になって、遂にはゲーム機をなぎ倒した。食堂の厨房から若い兄ちゃんとおっちゃんが飛び出して来た。

「なんばしょっとかぁぁ」

おっちゃんが叫ぶ。若い兄ちゃんは石井ボンクラの兄を羽交い絞めにする。石井弟がおっちゃんへテーブルを蹴ると、おっちゃんの腹部にぶつかり動きが止まる。それでもおっちゃんは踏ん張って石井弟を捕まえる。石井兄が絶叫する。

「どがんなっとっとかぁぁぁ」

石井ボンクラは石井ボンクラだった。店の方に居たおばちゃんが慌てて出て行き、隣の雑貨屋へ飛び込んでいった。他の店から数人が駆けつけて、石井ボンクラはようやく取り押さえられた。それでも石井兄弟は身体を捩じらせ大声を出して抵抗を続けていた。ルーレットのゲーム機が生気を無くして食堂の床でうつ伏せに倒れ、その役目を終えていた。

 俺たちが布団へ入るのを確認すると、あの人は母ちゃんと真剣な話をしているみたいだった。

 一九八九年四月

 ライブの直後、俺たちは楽屋で無言だった。トリのバンドが変なテンションで演奏する音だけが楽屋に響いていた。ノックアウトを出ると出口の所で打ち上げに加わる何人かが俺たちを待っていた。

「今日、どこにする?」

いつもライブに来てくれる大橋が楽しそうに話しかけてきた。俺たちは、そんな感じじゃなかった。

「悪ぁりい。今日は帰るわ、近々飲みいこ」

Kが言うと大橋たちは俺らを見て、それを察した。そのままだらだらと、各々缶ビールなんかを手にして十人くらいで新宿駅へと歩いて行った。切符の券売機近くの柱の脇でKと俺とTは向かい合った。そしてそこであっさりとバンドは解散した。ちょっと離れたところから、何も知らない大橋たちの笑い声が聞こえた。

 明るくて心地良い季節がきて、俺はアパートの四畳半にポツンと居た。バンドが解散して直ぐに年末を迎え、正月が過ぎた。朝起きることもあれば、昼過ぎまで寝てることもある。朝の七時だと思って起きてみたら夕方過ぎの七時だったこともある。立ち食いそばとコンビニと古本屋と中古レコード屋をダラダラと巡り、酒を飲んで寝る。そういう毎日だった。そんな日々を送っていると、さすがに金が底をつき、建築現場での日雇い労働を始めた。
 前日に起こった事故が思ったよりも深刻みたいで現場に立入検査が入るらしく、急に休みとなった。バンドが解散となったあの日以来、楽器には触れていないし、もちろん曲なんて浮かんでこない。ここんとこは現場で日銭を稼いでるだけだった。Kから久々に連絡を貰ったのは、そんなタイミングだった。

「よう、今日仕事休みなん?」

「なあな」

「こがん平日にか?」

Kがそんな探るような事を言っても声が聞けるのが嬉しかった。Kの奴もそんな感じだ。

「なんかあったと?」

俺は他に色々と話がしたかったけど、急には何も浮かんでこなかったから素っ気なくそう言った。

「いや、あのな、俺、Tとバンドばやることになった」

俺はビックリしたんだか、安心したんだか、嫉妬したんだか、そんな変な感情が湧いた。

「そう、そうなんな、そっかよかったな。ライブとか決まったら教えてな」

「お前はどうしとんの?バンドは?」

「まあ、ぼちぼち曲も出来よるし、そのうちな」

俺の口からは噓ばかりが出てきて厭になった。その電話のあとの日々も、部屋と現場の往復、立ち食いそばと古本屋、中古レコード屋があるだけで、毎晩酒に溺れていた。
 Kから次の電話があったのは、蝉の鳴き声が勢いを増してきた暑い日だった。

 あの人の計画が進行していることを、俺はまだ知らなかった。

(小学生 天草)

 サドルの前から伸びるフレームの上、五段階に切り替えが出来るシフトレバーが付いている。前面には少しばかり派手なライトも付いていて、その全体的に黒い車体はスーパーカーを手に入れたような気持ちにさせてくれた。それまで乗っていた自転車は、テレビのヒーローものに出てくるバイクを模したやつで、ハンドルの根元に付いているボタンを押しすと前方のパトランプが主題歌の音楽と共に回転する仕組みになっていて、そんな幼稚なものに乗っている同級生は最早居なかった。今更ボタンを押したところでパトランプはうんともすんとも鳴らなくなっていた。
 銀天街のあの店では、当たり前だけどルーレットのゲーム機が撤去されていた。あんなことがあって、俺の楽しみがひとつ無くなってしまった。そんな時に、あの人は自転車を新調してくれた。この時から自転車ばかり乗るようになって、ひとりで銀天街のあの店に通っていたことが遠い昔のようだった。
 オンキャ、カーキ、山下デコボコ、この三人が俺の数少ない友達だ。俺たちは自転車にまたがり色んな所へ行った。学校内の図書室には殆ど行くことは無いのに、港近くの図書館へはよく通った。本を借りるというその行為が何となく大人っぽいような、そんな感じが心地良かった。毎回決まって三冊借りていたのだけど、本当の目的は図書館までの道のりだった。わざと変な道を通った。遠回りをした。寄り道もした。途中にある公園には毎回立ち寄った。ブランコに乗り、誰が一番遠くまで靴を飛ばせるかやってみた。オンキャやカーキは座って漕いでいるのに、俺は張り切って立ち漕ぎスタイルだ。オンキャの靴は前方の柵まで飛んだ。優勝はオンキャで決まったと思った。カーキは力み過ぎて、その足から放たれた靴はブランコの後方へ飛んで、俺たちは大笑いした。更に笑いをとったのは俺だった。立ち漕ぎからジャストのタイミングで振りぬいた足から靴は飛んで行った。前の柵を軽々と越えて、その向こうを流れる町山口川の中へ落ちた。祗園橋付近ではゆるく流れているくせに、海に近いこの辺りでは流れもあるし水深もある。俺の靴は直ぐに流れに飲まれて見えなくなった。どうしよう?という俺の思いとは裏腹に、オンキャ、カーキ、それに靴飛ばしには参加しなかった山下デコボコまでもが大爆笑となった。
 図書館だけではなく、十万山へも行ったし、キリシタン館や千人塚でも遊んだ。毎日が楽しくて充実していた。オンキャもカーキも山下デコボコも最高だった。いや、必ずしも毎日ではなかった。たまに、あの人が仕事から早く帰ってくることがあって、そういう時は高確率で諏訪神社を抜けたところ、つまり十五夜に子ども会で相撲大会が行われている広場へ、グローブとバット、ボールを持って行く羽目になる。俺は暗黒のどん底な気持ちだったけど弟はそんなことはないみたいだった。グローブやバットを持って行くということは、野球の練習が始まるという事なのだけど、何故かあの人は野球の前に鉄棒をやらせる傾向があった。俺は鉄棒が大の苦手で、弟は大得意だ。

「牛肉下がり」

俺は、あの人からそう呼ばれていた。それは肉屋のバックヤードというか、肉をストックしてあるところというか、そんなところに色々な肉が上から吊るされている様と俺が鉄棒にぶら下がっている格好が似ているらしい。ただでさえ野球が嫌いな俺は、何故その野球をやる前にもっと嫌いな鉄棒をやらなければいけないのか訳が分からなかった。弟は逆上がりも難なくこなし得意気で、あの人も嬉しそうな顔をしていたけど、俺は全くだったから「牛肉下がり」と罵られていた。
 ドカっという音がしてイレギュラーに弾んだボールが俺の胸を叩いた。何のためにこんな事をやらされているのか分からなかったけど、鉄棒のあとは、あの人の鬼のようなノックが始まる。
 学校では野球帽が流行っていた。単に野球帽が流行っていたのではなくて、帽子の後ろに自分の贔屓選手の背番号を刺繡するのもセットで流行っていた。俺はボケナスだったけど野球帽は一応かぶっていた。かぶっていたのだけど野球には興味がないものだから、どの球団のものにするか迷った末に、事も有ろうか巨人にしてしまった。帽子を選択したあとでもう一つの選択が迫ってきた。背番号である。背番号は人とダブらないようにしなくてはならない。何という選手が何番をつけているのかさっぱり分からなかった。唯一、王選手が一番を背負っているという事だけは俺でも知っていた。ドラゴンズにホエールズ、タイガース、クラウンライターズにカープ、スワローズそれにジャイアンツ様々な球団の様々な選手達の背番号が、みんなの帽子の後ろで誇らしげにあった。俺は迂闊にもスター軍団のジャイアンツにしてしまったから、背番号選びに戸惑った。もう適当に八にした。もしかしたら巨人の選手に背番号八なんていないのかもしれないと思ったけど、あとで高田という選手のものだとわかった。
 あの人は、兎に角アンチ巨人だった。野球シーズンに巨人が勝っていようものなら、それだけで機嫌が悪くなる。巨人が負けていれば、それだけで良かった。俺は最悪な事に巨人軍の帽子をかぶっているから、そのせいで、この地獄みたいなノックを受けているのかもしれないと本気で思った。弟も野球は得意じゃなかったけど、あの人のアタリは穏やかなものだった。

 一九八九年七月

 新宿じゃなくて吉祥寺だった。ノックアウトとは雰囲気が違う箱で、居心地が悪かった。何というか、お洒落な感じと所謂ライブハウス臭さみたいなものが融合しているような、でもそれが中途半端なかんじがして、俺は胸糞が悪くなってきていた。

「ひさしぶり」

缶ビールを片手にKが近付いてきた。なんだかさっぱりとした表情をしていた。

「なん?ここ」

俺は不満げに聞いてみた。Kも分かったみたいで、視線を落した。

「ベースの奴がここがいいって言い張って。前のバンドでも出てたみたいで」

「お前たちがどんなんか知らんけど、モンゲじゃここは無いわな」

「お前、ちょっと驚くかもな。ベースの奴が色々知ってて、俺なんかの知らないジャンルのバンドとか教えてもらってる」

「そうなん、ライブ楽しみやわ」

それからTとも少し喋って、もう本当に俺は違うんだなと思い知らされた。今夜の出演バンドは三組で、Kたちのtwo hips、鮫島ゴン十郎、スパイラルジェットという組み合わせだ。two hipsは初ライブだからかトップで出る。 
 ゆっくりと店内が暗転していくと、それに反比例するように流れていた音楽のヴォリュームが上がっていく。聞いたこともないアジアンな曲だ。打楽器を主とする民族音楽が突然ピタリと止み、Tのカウントからライブは始まった。なんだこれは、というのが俺の第一印象だった。Tは変拍子を刻み、そこへベースが絡む。Kはまさかのカッティングギターを弾いている。問題はそこからで、ヴォーカルが入った。

「パイ」

ヴォーカルがステージへ現れて最初に発した言葉だった。パイってなんだ?それからもヴォーカリストは頻りにパイパイと言いさくった。パイは、パパパイとかパーイ、パッパパイ、パイパパーイッパなどと形を変えながら、リズミカルに、情緒的に、平坦に、虚ろに歌われたけど、全く訳が分からなかった。その曲が終わると、ヴォーカリストは神妙な面持ちで次の言葉を発した。

「アッポ」

それをきっかけとしてベースとギターが変な音階でユニゾンし始めた。そこへドラムが入ってきたけど、どこが頭か分からない感じで曲は進んでいく。なんだこれは?俺は理解できなかった。その変な演奏もステージの上では熱を帯びてきて、絶頂かと思われたその時に演奏はピタリと止まった。間髪入れずにヴォーカルが絶叫した。

「アーッポオオオオオオ」

そしてまた変な曲が再開した。

「アッポ、アッポ、アパポポポ、アッポ、ヒュイ」

TとKは、こんな事がやりたかったのだろうか。ステージ上をアッポアッポ言いながら動き回るヴォーカリストはチンパンジーみたいだ。

「ヒュイ、アッポ、アパパポポポ、ヒュイ、アーッポオオオオオオ」

俺は最前列でこれを見ていた。ちょっと振り返ってみると客の入りはまあまあで、こんな訳が分からないライブでも体を動かしてノッている者も居た。腕を組んだまま突っ立っている奴の口元が動いている。多分「アッポ」と言っている。俺は一旦ドリンクバーへ行きバーボンソーダを頼んだ。そして泥酔した。
 two hipsのライブが終わったみたいで、客電が点き店内は明るくなっていた。ドリンクバーも賑わっている。俺はバーボンソーダと共に床へへたり込みつつ壁に凭れ掛かっていた。

「よう、大丈夫か?」

ライブを終えたKがビールを片手にして目の前に居た。

「アレなん?」

掠れた声で聞いてみた。

「聞いたことないやろ?そういうのを作ってるだわ」

「訳わからんわ。演奏は、まぁ良しとしても、あのヴォーカルはなんや?」

そう言い終わってから思いついた。

「まさかやけど、最初の曲ってパイとか言うとったけど、次の曲ではアッポ。二曲合わせてパイナップルって事?」

Kが変な顔をしている。

「まさかやよな。そがんこつはなかな」

「お前、わかったのんか。ファンクとプログレッシブロックのミックスなんよ。あれはパイって曲とアップルって曲で続けたからパイナップル」

「マジか」

「で、アップルから始めるとアップルパイってなる寸法」

Kが言い終わると、また店内がゆっくりと暗転し始めた。俺は、こんなハコから早く出たかったからtwo hipsを見終わったら帰るつもりだったけど、バーボンソーダが効いていて歩けそうになく、そのまま次の鮫島ゴン十郎を見る羽目となった。

 漫画みたいに稲妻が脳天から身体を貫いた。なんだこれ。two hipsとは全く違うなんだこれだった。鮫島ゴン十郎は使い込んだドブロギターを手にステージへ現れた。着古した黒いスーツ、中に着ている黒いシャツは胸まではだけている。革靴も相当履きこんでいて、坊主頭で眼光鋭く、まるで喧嘩腰だ。ステージ上のパイプ椅子へドカッと腰を下ろし、そして鮫島ゴン十郎のライブが始った。
 ドブロギターが唸る。ソウルフルで力強く、ハスキーな鮫島ゴン十郎の声は、一発でこの空間を支配した。此処に居る者達の視線は全てが鮫島ゴン十郎へと向けられている。曲が終わっても身動きできない。そして次の曲が始まる。鮫島ゴン十郎はゴリゴリのブルースマンだった。俺は完全にコレだと思った。酔いがぶっ飛んだ。いや、そういう感覚なのだけど酔ってはいた。他の客達も熱を帯びはじめ、足を踏み鳴らしたり歓声をあげたりしていた。

「サンキュー」

短い挨拶をして鮫島ゴン十郎はステージ袖へと消えていった。拍手と歓声が暫く続いた。客電が点いて、そこで隣にKがいた事を思い出した。

「凄ぇな」

俺たちは、どちらから出たのか、それとも同時に言ったのか分からない言葉を発していた。

 「お前はそこで、なんばしよっとか?」あの人の声が聞こえる。

 (小学生 天草→球磨)

 それは突然発表された。

「次の日曜日に球磨に行くけん」

金曜日の夜に珍しく家族みんなで夕食を囲んでいる時に、あの人が告げた。俺と弟は顔を見合わせた。「クマ?」「熊やろ?」そんな事を言い合ったけど、あんまりごちゃごちゃ言うとあの人の機嫌が悪くなると思い、この話はここまでとした。日曜日、走り出した車が町中を抜けた辺りで、あの人が口を開いた。

「今度、球磨で店ば始めるけん。今、店ば造りよるけん、その工事の進み具合の確認と、球磨がどがんとこかお前たちに見せんなんけん今日行くとぞ」

あの人は続けた。

「引っ越すけん、学校も転校せんばやけん」

引っ越しという言葉には、なんか魅力を感じたけど、転校という事には嫌な感じがした。車は一号橋を越えて天草をあとにした。ウトウトしていたというか寝ていたみたいで、目を覚ますと車は川沿いの道を走っていた。大きな川で、球磨川というらしい。

「起きたとか?もう球磨に入っとるぞ」

あの人がそう言う横で、母ちゃんはぐったりとしていた。母ちゃんは乗り物酔いが酷くて、遠出する車の中ではいつもこんな感じだけど、この川沿いの道は曲がりくねっていて、車には強い弟も元気がないように見えた。
 道は、ようやく穏やかになったけど、今度は何の変化も無いだらんとしたものへと成った。田んぼと畑が広がり、梨園の看板が目に入るくらいだ。車は免田という町に入った。暫く走ると町中に建設中の建物があって、そこの敷地内にあの人は車を停めた。

「ここぞ}

あの人はそう言って車から降りた。ちょっと疲れていたけど俺たち三人も続いた。建物は、この町には無い立派なショッピングセンターだった。建設中ではあったものの、大まかな工事は終わっているみたいで、俺たちはあの人のあとについて行った。一階のフロアの一角にその店はあった。店では、一輪車で砂やセメントを運んでいる人が居て、左官工事の最中だった。

「ここたい」

あの人が教えてくれた。弟は何か知らんけどつかつかと工事中の店に入って行って、工事をしている職人さんたちに向かって「ごくろう」なんて言っていた。あの人は工事関係者と打ち合わせをしていて、その間ずっと弟は、あの人の傍を離れなかった。
 隣町のアリランという店名の焼き肉屋で昼飯を食べた。というのも、引っ越し先の家が隣町との堺近くにあって、昼飯のあとにその家の大家さんに挨拶に行くことになっていた。アリランから車で直ぐのところに大家さん宅はあった。人の良さそうなお爺ちゃんが出てきて、隣に建っている家に案内してくれた。家の中を見ているうちに、俺は心細くなってきた。この家に住む事は最早決定事項で、今日の朝まで居た天草の家から引っ越して来なければならない事を寂しく思った。そしてようやく、夜に母ちゃんとあの人が何を話していたのかが分かった気がした。

 あの人は今の会社から独立して、この町で商売を始める。

 一九八九年 七月続き

 Kに無理を言って一緒に楽屋へいくと、さっきまで熱い演奏をしていた鮫島ゴン十郎が居た。煙草を咥え、手元にはビールがあった。

「凄かった、もう凄かった」

興奮気味で俺は言った。鮫島ゴン十郎はビールをごくりとやってから俺を見た。

「そう、そりゃ良かった」

「次は、次はいつ?」

「次ってのは決めないんだわ。今に集中したいから、やり切ってからまた考える。まぁどっかの路上で偶にやってるよ」

俺は自分が恥ずかしくなっていた。モンゲモンゲの時に何度か、やっつけ仕事みたいなライブをやった事を思い出した。

「路上、どの辺で?」

「ここいらの時もあるし、新宿とか池袋、蒲田でやった事もあるな。そん時の気分だから」

俺は、ようやく何か目標みたなものが見えてきたような、やりたいことが分かったような、そんな気がしてきた。鮫島ゴン十郎へ次の質問を投げかけようとした時に、突然大きな音に遮られた。どうやらトリのバンドのライブが始ったみたいで俺は仕方なく鮫島ゴン十郎へ軽く手を挙げてから楽屋を出た。
 フロアには結構な人数の観客がいて身体を揺らしていた。そのバンドの音はチャラチャラと聞こえた。鮫島ゴン十郎の後だから余計にそう感じたのかもしれないけど、そんな事はどうでも良かった。俺は店を出て楽器屋を目指した。閉店寸前の楽器屋に入ると店員があからさまに嫌な顔をして目を逸らした。アコースティックギターが陳列されているところで暫く物色するも、持ち金で買えるようなものは何ひとつなくそのまま楽器屋を出た。背中にあの店員の舌打ちを感じた。
 久しぶりに楽器を手にしていた。中古だけどモーリスのアコースティックギターを手に入れた。フレディキング、ハウリンウルフ、ジョンリーフッカーなんかのレコードをかけながら雰囲気だけはブルースマンだった。けど、いざ曲を作ろうとしても、今まで自分がやっていた事と全然違っていて戸惑うばかりで混乱した。それでも、あの鮫島ゴン十郎のライブを思い出して自分を奮い立たせた。とりあえずモンゲモンゲの曲をアコースティックスタイルにアレンジすることにした。
 代々木公園は割と近かったから、そこにした。アパートの部屋の中でアコースティックギターを弾くわけにもいかず、かと言ってスタジオは金がかかる。近所の公園だとなんか違う。だからそういうことをしていても普通な感じの場所として代々木公園にした。そうやって練習を始めてはみたものの思った以上にハードルは高かった。ギターを弾くにも、歌うために声を出すにも公園という屋外で、様々な人が様々な目的があってそこに居合わせる。誰も俺の事なんか気にしていないと頭では分かっているものの躊躇しまくる小さな自分がいる。こんなんで路上ライブもへったくれも無い。

「ああああ」

大声をだすと気持ちが楽になった。それからは少しずつギターを弾きながら声をだし、曲を調えていった。そうやって練習を重ねていると、段々と形になってきた。そうなるとライブをやりたいと自然に思えて、遂に路上でのライブを決心し場所を考えてみた。

 駅の改札を出ると、そこは世界的にも有名なスクランブル交差点があった。ひとりでの初ライブは渋谷のハチ公前でやることにした。実際にハチ公前につくと、ヘタレな思いが湧いてきた。まだ今なら只の、ギターを背負った男!で済む。ギターケースのジッパーを下ろすと、近くで待ち合わせをしていた人の視線がギターに集まる。何か嫌な予感がしたのか何人かが俺から距離をとるように移動する。軽くチューニングをしてからストラップをくぐりギターを構えた。思いっきりAのコードを鳴らすと数人が後退る。思ったよりも音が小さい。喧騒の中ではこんなものなのだなと改めて確認した。そしてAのスリーコードでライブを始める。

「渋谷の皆さんこんにちはイエーイ♪今から暫く歌をうたわせてもらうぜ♪聞かせたい素晴らしい曲がいっぱいあるのさ♪」
 〔渋谷ライフ〕というタイトルのこの曲は、渋谷という地名を変えるだけでどの場所でも使えると、そう思って作った。
 急に歌い始めたものだから半径五メートルくらいには人が居なくなった。遠目にこちらを見る人、速足に通り過ぎる人、立ち止まって興味を示す人、構わず宗教の勧誘を続ける人、色々な人が俺を中心に大きな輪を作った。いい感じだ。

「オオイエイ♪ヒューマントラブル♪ナァナァーナァナァナァ♪」

モンゲモンゲでやっていた〔砂糖と塩〕を歌い終えると拍手が起こった。次の曲〔ドッグ〕のサビにいく手前で、駅の方から拡声器の声がした。

「通行の邪魔になるから止めなさーい」

渋谷駅ハチ公前出口の脇には交番がある。止めろと言われても、もう曲は始まっていて、それを途中で止めるわけにはいかない。

「矢鱈と吠えられ煩いガンガン♪疑似餌には食いつかない♪ドッグフードは食いたくないからな♪」

なんとタイムリーな歌詞なんだろうと歌いながら思った。もう一度拡声器の声がして、人だかりは更に増えた感じになった。

「ワンワンワン♪」

最後の歌詞を歌い切ったところで、三人の警察官がこっちに向かって来るのが分かった。

「はい、立ち止まらないで、はいはい」

一人の警官は観衆たちを追い払っている。俺は二人の警察官と向き合っていた。見ていた人達の中からヤジが飛ぶ。

「ケイサツ帰れ」「そうだそうだ」「カエレ、カエレ」

二人の警察官は、通行の邪魔になるからとか、周りの人たちを巻き込むなとか言ってライブを止めるようにと警告した。俺はちょっと悔しかったけど、こういうのも含めて路上ライブなんだなと思い、ギターをケースへと仕舞った。それから大声で見てくれていた人達に礼を言った。

「どうもありがとーまた」

ギターを背負ってスクランブル交差点を渡る俺は達成感が溢れていた。

 あの人は凄く忙しそうにしている。

(小学生→中学生 球磨)

  球磨での暮らしが始まった。もうそれはあの人の中では決まっていた事だから、あの時、家族で下見に来た時に反対したところで覆る訳は無かった。あれから引っ越しまでは直ぐだった。担任の先生に呼ばれて教壇のところまで行き転校することをクラスの皆に伝えると、それまで殆ど喋った事の無い奴や、俺の事を邪険に扱っていた奴までが急にフレンドリーに話しかけてきたり、何かとサポートしてくれたりして、引っ越すまでの最後の二週間くらいは楽しい時間だった。オンキャ、カーキ、山下デコボコとの別れは辛かった。
 同じ熊本なのに言葉が違っていた。俺には球磨弁がガサツに聞こえたし、イントネーションもしっくりこない。ずっと天草に帰りたかった。元々ヘタレの俺は更にヘタレになっていった。クラスにも馴染めず、なんかあると押し付けられたり、それも断れなく、スポーツも身体が萎縮して全然駄目で、勉強も出来ない。何をやるにも中途半端なボケナスだった。そんな俺は漫画にのめり込む事で現実から逃げていた。主人公は中学生なのに長屋で一人暮らしをしていた。背も低くて、まるで俺みたいなんだけど、スポーツ万能で喧嘩も負けなしの大番長。それなのに優しくて、弱い者の味方。その主人公と自分を重ねて、その漫画に引き込まれていた。
 球磨に来てから、俺は覇気がなかった。声も早口で小さく、聞き取り辛い。みんなに舐められていて、現実はそんなものだった。

「おい」

声がして、うしろから頭をはたかれた。俺は自分の席でノートにイラストを描いている時だった。振り返ると俺とそう身長も変わらない赤ら顔のクラスメイトだった。なんで頭をはたかれなければいけないのか分からなかった。また視線をノートへ移すと、もう一度はたかれた。自分よりも弱い者にしかちょっかいを出せない絵に描いたような奴だ。こんな時、あの主人公なら。 
 俺は大きな声を出して、赤ら顔に掴みかかっていた。顔を二度殴りつけると赤ら顔は鼻血をだして泣き始めた。近くにいた何人かの女子が騒ぎ出して、保健係の子が赤ら顔を保健室へ連れて行った。俺に向けられる視線は冷たいものだった。

 小学生の頃は全く球磨に馴染めないでいたけど、あれ以来ちょっかいを出されることは無くなった。弟は上手くやっているみたいだったし、うちの店は繫盛していて、あの人も母親も忙しくていた。中学生になると天草の事を思い出すことは無くなっていた。友達も出来てサッカーに夢中になった。思春期なのか何なのか、気が短くなったというか、ちょっとした事でキレるようにもなった。

「キチガイのごたる」

そう言われたのは中学二年の時だった。昼休みに教室がリングへとなっていた。仕組んだのは何かと絡んでくる三人組で、嫌がるゴリゴンを使って要らん事ばかりやっている連中だ。授業中に机の下から回ってきた手紙にはこう書かれていた。

ーお前、生意気やからブッ飛ばす。昼休み決闘する。逃げるなー

差出人はゴリゴンだったけど、書いたのはあの三人組で間違いはなかった。次の休み時間に直接ゴリゴンに聞いてみた。

「手紙、知っとるやろ」

「知っとる」

「あいつらが書いて回したんやろ?」

「俺、お前のこと好かんけん」

「言わされとるやろゴリゴン」

するとゴリゴンは本気な感じになり言い放った。ゴリゴンはゴリゴンと呼ばれているように見た目はゴツくてゴリラみたいだけど、中身はおとなしい奴だ。

「お前、転校生のくせに生意気ったい」

俺が球磨に引っ越してきたのは小学四年生の二学期で今はもう中学二年にもなっとるのに、まだそがんこつば言いよるのかと頭に血がのぼった。
 教室の机と椅子が後ろに追いやられていて、その空いた所がリングみたいになっていた。三人組の中のリーダー格の奴が出張ってきて、試合開始みたいな事を口にした。ゴリゴンのコーナーには小学生の時に殴った赤ら顔の顔もあった。中学になってから赤ら顔は大分ましになってきたけど、それでも酔っぱらっているような顔色をしている。ゴリゴンが突進してくる。俺はボクシングの漫画にものめり込み自己流で練習をしていた。俺のブーメランフックは完璧にゴリゴンの右頬を捉えていた。すぐさまえぐるように、肘の角度は直角を意識して渾身の力でゴリゴンのボディに打ち込むとゴリゴンは前屈みに膝をついた。今度は躊躇なくゴリゴンを蹴る蹴る蹴る。勝負はついていた、でも俺は歯止めが効かなかった。三人組が割って入ってきて、ようやくそれは終わった。見ていた女子の一人に言われた。

「キチガイのごたる」

ゴリゴンは、それから学校を休み続けてひと月後に転校していった。そしてその頃からまた天草の事を思い出すようになった。

 学校での一切は、あの人の知る事ではなかった。

 一九九三年 秋

 弾き語りでのライブも大分板について来た。最初に目指した鮫島ゴン十郎のスタイルとは違うけど、自分がやりたいことが表現できるようになってきた。
 その夜は久しぶりに新宿のノックアウトでライブだった。店のスタッフはモンゲで出ていた頃とかなり入れ替わっていたけど、リハを終えるとバンドの頃を知っているスタッフから声をかけられた。

「なんかいいねぇ、モンゲモンゲも最後の方は気迫があって良かったけど、こっちの方が合ってるかもね」

「そう?ありがと」

「あ、K君とT君のバンドも何回かうちに出たけど、ちょっと浮いてたよ」

そのスタッフは苦笑いを浮かべた。

「そうだ、鮫島ゴン十郎って人わかる?ノックアウトでやったことない?」

スタッフは暫く黙り込んだけど、話し始めた。

「ゴンさんね、凄かった、凄いライブだった。うちでは三回やってるよ」

「俺、鮫島ゴン十郎のライブ見て、ぶっ飛んで、今のスタイルにしたんだよ。ちょっと違うとは思うけど」

「もしかして知らない?」

俺は変な感覚だった。このスタッフは知っていると言ってみたり、知らないと言ってみたり。でも知らないのは俺の方だった。

「ゴンさん亡くなったよ」

「え?」

「今年に入ってから直ぐくらいに。事故で」

「噓やろ?」

「ニュースにも取り上げられてたよ。ゴンさん、ああいう感じだから路上でも盛り上がるんだけど、段々とそれが予定調和みたいに感じだしたみたいで」

俺は鮫島ゴン十郎の路上ライブを一度も見ていない事に気が付いた。

「それで場所を秋葉原にしたみたいで、あそこだと地下アイドルの娘とかメイドカフェみたいな感じの女の子とかが路上パフォーマンスをやってて、ゴンさんみたいなゴリゴリのブルースマンとは真逆な雰囲気だから」

「すごいとこ行くな、鮫島ゴン十郎」

「最初のうちは全く相手にされなかったみたいで、当たり前だけどギャラリーはアイドルやメイドさんが目当てのオタクだったりだから。でもやっていくうちに観客が集まりがして」

このスタッフも鮫島ゴン十郎のこと好きだったんだな。

「そうやってライブが成立するようになった矢先にどこかの馬鹿が車で突っ込んで十数人が巻き込まれて、アイドルの娘ひとりと、見ていた二人、それにゴンさんの四人が死亡。即死だったって」

俺は声が出なかった。なんだなんだなんだ、死んだってなんだ。あのライブを見た時から俺は必死だった。鮫島ゴン十郎がやっている路上ライブも続けた。ようやくライブハウスでもいい感じになったきたから、だからやっとやれるかなと、鮫島ゴン十郎と対バンできるかなと。一気に力が抜けた。次のバンドのリハが始まりそうになって、そのスタッフは俺の肩にそっと触れてから持ち場へ戻っていった。

 バイクを買うために、休みの日はあの人のもとで働いた。

(高校生 球磨)

 高校は工業高校へと進んだ。その頃にあの人は家を建てた。Kと出会ったのはそういう時期だった。生意気そうな顔をしていて、部活の事で嫌味を言ってきたのが最初だ。皆が些細なことでピリピリしていた。肩が触れた、足を踏んだ、目が合った。切っ掛けは何でもよかった。入学二日目には後ろの席の奴と小競合いになってしまった。そいつは前屈みになり腹を押さえて咳き込んだ。そんなだったから、もういちいちが気に障った。Kの事もぶん殴ってやろうと思っていた。Kとそういう雰囲気になった時に、向こうからガタイの良い二人が近付いて来た。

「なんや喧嘩か?見とくけん早よやれ」

悪そうな奴らだ。そんな事を言われるとやる気が失せた。

「なんや、やらんとか?」

もうひとりも言ってきた。俺はもう、Kの事はどうでも良くなっていたけど、こいつ等とは関わらない方がいいと思った。

「やらんやらん、もう終わり」

そう言って教室を出ようとした時に、俺は教壇の脇へ派手に倒れた。最初に話しかけてきた奴のハイキックをモロに喰らって立ち上がることも出来なかった。

「ほら、相手してやるけん、こい」

頭はふらつき、足もガクガクで、俺は身体を起こす事すら出来ないでいた。

「調子こいとんなよ、こいつにも謝れ」

そいつの後ろから入学二日目に腹を殴ってやった奴がニヤニヤしながら出てきた。

「弱えくせに調子こくなぞ」

そう言いながら蹴りを入れてきやがった。俺は怒りでいっぱいになったけど動けなかった。

「なんや根性無しが」

三人はごちゃごちゃ言いながら教室を出て行った。Kが心配そうに近付いて来た。

「大丈夫や?」

 あの人がギターを買ってくれた。

 一九九五年六月

 俺とKとTは、また一緒にバンドを始めていた。結局TWOHIPSは収拾がつかなくなり解散に至ったらしい。俺も鮫島ゴン十郎が死んでしまった事を知って落胆していて、目標みたいなものを見失って音楽に身が入らなかった。ちょっと前にKとスタジオへ入った。特に何か目的があったわけではなくて単純に音を出してみたかっただけで、俺はアコースティックギター、Kはテレキャスターを持ってきた。単なるスリーコードの曲やパンクロックのカバー、モンゲモンゲの曲なんかをやった。そうしたらそれがなかなか良くて、何の期待もしていなかった分いい時間を過ごすことが出来た。そのあと居酒屋へと雪崩れ込み、ついでにTも呼んで飲んだ。何も考えずに兎に角一度スタジオへ入ろうという事になった。
 スタジオで一発音を出すと、もうそこでこれがバンドへとなる事を全員が確信した。最後にノックアウトでライブをやってから七年くらいが過ぎていたけど、それぞれの音楽活動は確実に各々のスキルを上げていた。スタジオのあとは居酒屋へ。

「バンド名なんやけど、どうするよ?」

俺が言うとKもTも勝手なことを言い始めた。

「低能アホンダラーズ」「スリーヒップス」「猫ビーム」「大爆発ガスバス」「老人ズロース」「殿様ハラキリーズ」「欲の皮」「世田谷メンチキッターズ」「目糞鼻糞太ってー馬ん糞」という具合に滅茶苦茶だった。時間が経つにつれ酔いも回ってきた。

「結局アメリカ進出するわけやん?全米を泣かすわけやーん?したらさ、こう、外人受けするバンド名がいいと思うわけよね僕ちゃんは」

酔ってきたKがそう言うと、さっきまで「やっぱ英語のバンド名が良いよな」とか言ってた俺たちは妙に腑に落ちない感じになって、それで決まったのは〔殿様ハラキリーズ〕だった。もうそこでの俺たちの考えは、プロになるとか、武道館ライブをやるとか、そんな事は飛び越えてアメリカでバンバン活躍する世界を飛び回るようなバンドになるイメージとなっていた。
 次のスタジオでも俺たちは冴えていた。新しい曲のアイデアもどんどん形になっていく。七年のブランクなんて微塵も感じなかった。どんどん良くなっていっているのに、誰もあの日に決めたバンド名には触れようとしなかった。
 バンドも固まって来たから少し前にノックアウトへライブのブッキングを頼んでおいた。ノックアウトの店長から俺の携帯電話に連絡がきたのは、スタジオ終わりにロビーでまったりとしている時だった。

「じゃ、来月の二週目の土曜日な、期待しているよ」

店長はそう言ってから何かを思い出したみたいだ。

「そういやバンド名なんつーの?」

俺は電話口で言葉に詰まった。KとTを見たけど特にリアクションも無い。

「と、殿様…」

「え?」

「殿様ハラキリーズ」

「は?マジか?ハハハ、オッケー、殿様ハラキリーズな」

店長は電話を切った。俺たちは多分後悔をしていた。

 遂にバイクも手に入れた。

 (高校生 球磨)
  
  Kは変な雑誌を読んでいた。そこに載っていたモノも服も音楽も普通じゃなかった。でも次第に俺はその世界へと引き込まれていった。Kが色々と教えてくれた。今までは提示された世界というか、テレビやラジオ、雑誌なんかの情報をもとに選んでいた。いや選ばさせられていた。ところがそこには、そもそもを覆すような事が書いてあった。
 インディーズ、そんな文字が躍っていた。自主制作という事らしい。自分で作る、そして自分で流通して、自分で売る。何もかも自分で、何もかもが自由。こんな田舎にいる俺にも希望が持てた。それを知ってからは商業ベースに乗ったものへ嫌悪感をも抱くようになった。そこからは曲をどんどん作り、多重録音でカセットテープへ録りためていった。十曲程収録したカセットテープをダビングして量産し、ジャケットも自分で描いてコピーした。カセットケースに合わせ裁断し、テープと一緒にケースへ収めて自分のアルバムが完成。そのアルバムを同級生や下級生に無理矢理売りさばくというインディーズ活動を開始した。もう一丁前のアーティストにでもなったような気分だった。Kも同じような事を始め、一緒に活動するようになった。

 バイクは原付だった。それでもこのスポーツタイプのホンダは俺を満たしてくれた。うちの店では、その日の売り上げや客の動向なんかで一度決まった翌日の仕込みや配合が変更になる事は日常茶飯事で、最終決定が下されるのは夜の九時過ぎなんて事もある。そうなると、あの人が書いた変更内容のメモを従業員の大平さんの家まで届けなくてはいけなくて、それは俺の役目だ。つまり、あの人公認で夜に走れるって事で、俺は天気が良かろうと悪かろうと喜んで引き受けた。そして毎回フルスロットルで闇を切り裂いた。
 高校生活はKとの音楽活動とバイク、それに休みの日の労働で過ぎていった。三年生の秋に就職試験を受けた。あの人は店に関係するような職を勧め、いずれは仕事を継いで欲しいと口にしていた。うちの仕事は嫌いじゃなかったし、店番の時に売り上げが更新したりすると嬉しかったけど、それとこれとは話が別だ。俺は何としても家から、あの人から離れたかった。
 一般の人でも名前を聞いたことがある企業から合格通知を貰った。夏休み明けのテストでまさかの0点をとってしまった俺に先生は「奇跡が起きた」と喜んだ。Kの就職も決まり、俺たちは無事に同じ横浜付近で働くことになり、一九八七年三月高校を卒業して月末には上京した。


 あの人の心境は、どんなだったのだろう。


 一九九八年五月

 殿様ハラキリーズは順調に進んでいた。ライブの動員数も増えていたし、何度か関西方面にツアーもしていた。レコーディングした音源をレコード会社や音楽雑誌の編集部へ送ったり、マイナーな雑誌やミニコミ誌のインタビューを受けたこともあった。只、そこまで止まりというか、新たな展開を見出せないでいた。

「この前な、連絡してきたレコード会社の奴と会ったんだよ」

俺の言葉にKもTも興味を示した。

「ところが、自称プロデューサーみたいな奴で下っ端だったんだわ。実績を作りましょうなんて言いやがって、ある程度数字が出たら上に言えるから。とかなんとか言いやがって」

「そんな奴がいちいち連絡よこすなっつーの」

Tが不満を漏らす。殿様ハラキリーズの音楽性を一言で説明するのは難しかった。ミクスチャーと言ってしまえばそれまでだけど、一曲一曲が違うジャンルの曲だからだ。ハードコアパンクかと思えば次の曲はスモーキーなブルースをやり、ファンクでアッパーになったと思うと重いデスメタルが始まる。アコースティックな感じのアプローチがあり、歌物で聞かせることもあれば、フリージャズみたいな展開も出来る。それ故にどのカテゴリーに当て嵌めればいいのか混乱しているようだった。

「ジャンルなんて関係ないのにな、いっそのこと殿様ハラキリーズってジャンルで良いのにな」

俺たちにとってはKが言った事がそのものなんだけど、そうはいかないみたいだった。
 また蝉が鳴き始めて、東京で迎える何度目かの夏がきた。暑さのせいというわけではないのだけど、俺たちはギクシャクとしていた。事の発端は、順調だったバンドが足止めを喰らっているような今の状況にあったのだけど、その原因を自分以外のメンバーに向けるようになった事だった。俺はKやTのちょっとしたプレイや意見が気に障り、度々口を出すようになり、それは俺に対しての二人もそうだった。秋に入った頃には、はっきりとバンドは分かれていた。

「こんなんじゃやっていけねぇ」

言ったのはKだった。俺も上等だと思った。ここのところライブは極力控えていたのだけど十一月二十四日のライブは数か月前に決まっていて、しかもワンマンライブだった。

「丁度いいじゃんか、次ので終わろうぜ」

Tが止めを刺した。

 ライブ当日、高円寺のライブハウスバナナボートは満員御礼だった。キャパが少ないって事もあるけど百人以上の客が詰めかけた。バナナボートの入り口には手書きの張り紙があって〔LIVE TONIGHT SOLDOUT〕と書いてあった。
 ちょっとエロティックな感じのファンクナンバーでライブはスタートした。音数は少ないけどムーディなベースの隙間を、跳ねるようにドラムが埋めていく。その上を軽やかなカッティングギターが流れる。心地よいグルーブにフロアがゆっくりと揺れている。最後まで熱くなり過ぎずクールに曲が終わると身体を揺らしていた観客から歓声があがる。デスメタル化したギターのリフを、前後左右に体を動かしながらKが弾き始めると、さっきまでの雰囲気が一変する。次のリフの頭でベースとドラムも入る。完全にメタルのそれで、早くもフロアの真ん中にモッシュピットが現れた。数秒間ベースだけのパートがあり、食い気味でKが絶叫する。

「AAAGGGHHH!!!」

このバンドが今夜解散するなんて信じられないと、プレイしながら俺は思った。会場全体が一つの生き物みたいにのたうち回る。さらに追い打ちをかけるように曲が終わると間髪入れずにTがⅮビートを刻みだす。モンゲ時代のデヴィルだ。制御の効かない会場が狂ったように叫びだす。

ーこの世の全ての、邪悪をぶちのめせ、そこに眠っている、悪魔を呼び覚ませ!ー

ここで一旦クールダウン。魂を込めてブルースを始める。クールダウンの筈だったのだけど、俺は鮫島ゴン十郎の事を思い浮かべながら歌った。熱く、熱く、鮫島ゴン十郎へ届くように。観客の動きは止まったのだけど、内部で何かに火がついたような、そんな熱気が伝わってきた。レゲエのインスト曲に入ると、またゆっくりと会場は揺れ始める。熱を持ったまま、ゆっくりと、ゆっくりと。
 軽くKが奇声をあげると次の曲への合図だ。パンクの教科書の一頁目に載っているようなカバー曲を始めると、会場の奴らの内部の火が飛び火して爆発した。カバー曲を三曲終える頃には、もう何が何だか分からなくなっている。殿様ハラキリーズはセットリストをほぼ終えた。もうすぐライブは終わり、バンドも終わる。ラスト二曲というタイミングでKがマイクに歩み寄る。

「どうも今までありがとう。俺ら今夜で終わり」

どう反応していいのか分からない観客たちがざわつき始めると、Tは思い切りブラストビートへ入った。不満を漏らしたり、呆気に取られていた観客が我に返ったように再び暴れ始める。殿様ハラキリーズの中でも特にヘヴィなグラインドコアな曲〔ナッシング〕だ。

「なんにも無い、無い、無い、はじめから何も無い、無い、無い、ナッシング」

ドリンクバーの中で仕事をしていたバイトの娘が、ステージからダイヴしている。ステージ上もフロアも滅茶苦茶だ。ギターがハウリングを起こして転がっていて、Kはフロアで揉みくちゃになっている。まだあと一曲残っているのにTがドラムセットをなぎ倒してダイヴした。俺はステージに取り残され、そしてベースギターのネックを掴んで振りかぶった。

 ベースギターの残骸がステージ上で泣いているみたいだった。ドラムセットは何とか戻され、Kのギターも修理が必要だ。フロアの床には色々な液体が垂れている。バーカウンターのバイトの娘が店長に何か言われている。スタッフ数人が掃除を始めた。たぶん俺たちはバナナボートへ出入り禁止となるだろう。でも俺たちは今夜で終わりだ。ライブの精算は後日となった。店の機材や備品も壊れてしまったから仕方がない。帰り際に店長は「また出てよ」なんて言ってくれた。
 年が明けて、正月なんか随分と前の出来事に感じていた一月の半ばに、KがTと一緒に俺の部屋へやって来た。俺は何となくそういう事なんだと気がついた。

「二人揃ってどうしたん?待て、みなまで言うな、あれやろ?また二人でバンドを始めたとかやろが」

KとTはそれを聞いて小さく笑った。

「TWO HIPS再結成とか言うなよ」

「違うわい、でも今度は最後にマジでプロ目指すわ」

Kの目が真剣だった。Tも頷いた。俺はまたもや蚊帳の外に追いやられた感じになった。それで要らん事を口走った。

「アメリカどうしたよ?俺らの目指す先は世界やなかったっけ?」

「そらプロになって、そのあとのはなしやろ?」

「俺は行くわ。俺はアメリカでバンドやる」

「行くって一人でか?」

Kと言い合った。Tは呆れた顔で見ていた。

「ベース担いで行ってくる。ニューヨークに住んでバンドやる」

俺は意固地になっていた。

 兎に角、俺は働いた。金を貯める為に働いた。六月の中頃にKから電話を貰った。ちょっと残念な内容だったけど、それも仕方ないと思った。Tとのバンドは形にならないうちに終わってしまった事、長く付き合っていた彼女が妊娠した事、バイト先から正社員として受け入れて貰える事、そういうことをちょっと元気のない声で話してくれた。バンドはもう辞めてしまうらしい。最後に「お前は行けよ。頑張れよ」とKに励まされて電話は終わった。
 パスポートを取得し、格安航空券を手に入れ、殿様ハラキリーズのライブにも来てくれたゲームオタクの大橋が絶対持って行ったほうがいいからと、アメリカでも人気の日本のゲーム〔マーケットモンスター〕のグッズ、自分のデモテープや下着類、現金三十万円をドルに両替したやつにベースギターを持って偶然にも殿様ハラキリーズの最後のライブから丁度一年後に成田からアメリカへ向けて出発した。


 「馬鹿タレが」あの人の声が聞こえた。


 一九九九年十二月

 帰国した俺は途方に暮れた。ベースギターとマケモンのグッズは、何番街だったかのベンチに置いてきた。俺は結局ひと月も経たないうちに帰国した。Kにでさえ連絡を入れることは出来なかった。行く当てもなく成田から真っ直ぐに吉祥寺に来てしまった。持ち金も少ないのに何故か俺はパチンコ台の前に座っていた。なんでそんな事をするのか全く分からなかったけど、ごく稀にそれが良い方向にいくことがある。その台は千円で確変を引き当ててから閉店するまでそのアタリは続いた。俺は当面の生活費を得た。暫くは吉祥寺を根城とした。吉祥寺にある井の頭公園には毎日行くのが日課となった。ベンチに腰掛け池を眺めていると、やっぱり似ていると思った。

「スケールの小さいセントラルパークやな」

独り言が声になって出た事を少しだけ驚いた。池に浮いている水鳥が俺を見ている。

「結局、何も出来んかったんか?」

あの人の声で水鳥が言った。続けて隣の鳥も話し出す。

「口ばっかやお前は、いっつもそうや」

Kの声だった。Tは涼しい顔してこっちを見ているけど何も言わない。
 久しぶりに代々木公園へと足が向いた。あの時期、ひとりであがいていたあの場所だ。歩道橋の橋脚のところでひたすらアコースティックギターを弾き、ひたすら歌った。あそこへ行ってみたくなった。
 サックスの音がしてホームレスが一人、一つ目の橋脚の下で横になっている。ラケットを持って壁打ちをする奴がいる。その歩道橋の向こう側には野外ステージがあって何かの催し物をやっている。のぼり旗が複数立っていて、佐渡島と書いてあった。ステージの上では聞いたことの無いリズムで和太鼓のようなものを叩いていた。和太鼓というと力強い印象を思い浮かべるけど、そんな事はなくて、そしてお世辞にも上手いとは言えない。ただ独特のグルーブがあるというか不思議なリズムだ。その太鼓に合わせて鬼が舞っている。はっきり言ってコンセプトが全くわからない。提灯を持っている人が居て、鬼太鼓と書いてある。鬼太鼓なんだったら鬼が太鼓を叩けばいいのにと思ってしまう。観客がチラホラと居て近くにはテーブルが数脚並べられている。近付いてみるとそのテーブルには、佐渡産わかめ、あごだし、赤玉石、地酒、佐渡産コシヒカリ、あんぽ柿なんかが並べてあって、やる気のない若い女の売り子が気怠そうに携帯電話を弄っていた。
 さっきまでステージの上で舞っていた鬼がステージの下へ降りてきて、少ない観客に構い始めた。そういうの苦手だなと思っていると、俺を見つけた鬼が小走りに寄ってきた。そんな気分じゃないんだよ。俺の気分なんか知ったことじゃない鬼は、俺の前で小さなバチを前後左右に揺らし小さな動きをしながら腰を曲げたり腿上げみたいな動きをしたりしてアピールしていた。暫くそんなことをやっていたけど鬼はステージへと帰っていった。

「ちょっといいですか?」

そんなタイミングで声をかけてきたのは、佐渡島、鬼太鼓、朱鷺、なんて文字が入った法被を着た男だった。三十代だろうか、小太りで眼鏡をかけている。

「今ですね佐渡島ではアイターン、ユウターンのキャンペーンをやってまして、移住を前提に仕事を探しに来られるのであれば旅費がでますよ。どうですか?」

アイターン、ユウターンって何のことだと思ったけど、なんでこいつは俺が無職で路頭に迷っていると分かったのだろうか?

「え?マジっすか?」

俺は軽い感じでそれに応えていた。そして漠然と島に住むのも良いなと思い始めていた。

 その年の暮、役所は明日が仕事納めという間の悪さで、俺は佐渡産へやって来てしまった。下見を兼ねた小旅行ではパッとしなかったものの、行く当てもなく、その下見の旅費も出して貰ったこともあるから、とりあえずこの島に移住を決めた。いくら年末とは言え、いくら人口減少が著しいとは言え、役所に人が居ないとはどういう事だろう。
 役所へ足を踏み入れたなら、職員が総出で拍手をしながら出迎えてくれて歓迎のセレモニーが始まる。〔ようこそ佐渡島へ〕と書かれた横断幕があり、くす玉も用意されている。そのくす玉から伸びた紐を引くと、パカンとくす玉が割れ、中から平和の象徴である白い鳩が大空に舞い上がり、パラパラと布が垂れてくる。そこには〔ウェルカム!〕と書かれていて、一斉に職員達が第九を合唱し始める。みたいな、そんな事は望んではいないのだけど、何というか、アイターン、ユウターンキャンペーンを行っているのなら少しくらいはウェルカム感を出して欲しい。そんな事をを思いながら無人の住民福祉課の前で立ち尽くしていた。すると隣の課から声が聞こえてきて、住民福祉課に人が居ない理由が分かった。

「猿連れて来んかい、蛸」

鼠色の作業着を着た老人だった。頭に毛は無い。自分が蛸みたいだ。目は開いているのかわからない。

「蛸だっちゃ、猿」

かなりの大声で叫んでいる。職員たちはこの老人の対応にてんやわんやしていた。住民福祉課の職員まで巻き込んで右往左往だ。

「あのう」

俺の声は届かない。その時、役所の入口の自動ドアがゆっくりと開いて一組の夫婦が走り込んで来た。

「お父さん、お父さん、何やってんの、もう」

娘だろうか、夫の方は職員たちに頭を下げている。老人は、まだ猿だ蛸だと言っている。中年の夫婦に両脇をガッチリと固められて老人は役所を出ていった。そして俺は諸々の手続きを済ませて佐渡島の住人となった。雪がチラつく寒い日だった。


 「何処に居るとか?」とまたあの人の声がする。


 二〇一九年 秋

 佐渡島に来てから二十年が経とうとしていた。俺は何をやっているのだろう。弟から電話があったのは翌年の二月だった。あの人が入院したらしい。

「父ちゃん、入院しなったけん」

具合が悪いのは分かっていたけど、それは年齢とか冬とかそういう一時的なものだと思っていた。

「数値は悪うないけん。悪うないんやけど、気力が無かとよ。数値は悪うないけん」

その数値が何の数値なのかは分からないけど、切羽詰まった感じではないという事は分かった。対岸の火事だった感染症が現実味を帯びて急激に日本列島を巻き込みだした。そんな時期だった。
 三月の終わり、夜中に目が覚めた。夢を見ていたのだろう。気配がして、それはあの人の気配だっからびっくりして目が覚めた。あの人は穏やかだった。枕元へ置いていた携帯電話で時間を確認すると午前二時過ぎだったけど特に何かあったわけでもなく、そのまままた眠りについた。朝六時前に目を覚ますと携帯電話に弟からの着信があった。着信時間は午前二時半頃。弟へ電話をすると、押し殺したようなくぐもった声で、父親が亡くなったと告げられた。呆気なく「そうか」と言って電話を切ったけど時間が経つにつれそれが本当に起こったことなんだと理解ができた。頬をつたうものがあって、それが床へ落ちた。

 親の葬儀に行かない息子が何処にいる?馬鹿タレが、馬鹿タレが、馬鹿タレが、もう馬鹿タレが、なんや、こん感染症は?馬鹿タレが、馬鹿ウイルスが。俺は、考えた。考えて考えてから留まった。家族を思った。こがん離れた佐渡島で球磨を思った。阿呆顔さげて、馬鹿んよん顔して、それでも父ちゃんに手を合わせた。

 そうか、あの人は、父ちゃんはちゃんと分かっていて時期を選んだのか。「こがん時期やけん、来んでよか」俺が避けていた事も、そんな事はとっくに分かっていて、とっくに分かっていて。

「ごめんね父ちゃん。父ちゃん、父ちゃん」


 二〇二二年五月

 感染症が落ち着いていた。一時的なものなのかは分からないけど、帰るなら今だった。仕事の事やなんかで各所へ根回しをするとあっさり事は進んだ。次の日には島を出て熊本へ、球磨へと向かった。フェリー、路線バス、飛行機、地下鉄から高速バスを乗り継いで人吉インターへたどり着くと、弟が迎えに来てくれていたのだけど、息を吞んだ。運転席でハンドルを握っていたのは、あの人だった。弟は見た目も、話す内容も、その話し方さえもがあの人みたいになっていた。そのちょっとした嫌味を聞いた時に、帰ってきた事を少し後悔した。

「母ちゃん、ただいま」

そう言っても、弟と一緒に迎えに来てくれていた母ちゃんの反応は微妙だった。実家に着き、畳の部屋へ。居た時には無かった仏壇があって、その真ん中で写真の父ちゃんが俺を睨んでいるようだった。

「父ちゃんただいま」

微笑んでいるような、怒っているような、そんな表情の父ちゃんへ手を合わせた。それから母ちゃんと面と向かった。そこには数年前に他界した婆ちゃんそっくりになった母ちゃんがいて、同じ事を何度も繰り返し言っていた。今言ったことも直ぐに忘れて同じ事を聞いてくる。母ちゃんは痴呆症で、それもかなり進んでいた。それから一週間、母ちゃんとのゆっくりとした時間が流れた。ご飯を作って一緒に食べ、テレビを見たり、片付けをしたり、風呂の準備をし、縁側でのまったりとしたひと時、そうやって一週間は過ぎて行った。

 俺が佐渡島へ帰る朝に、母ちゃんは言った。

「あんた、わたしの息子かいな?」

何の前触れも、悪びれもなく突然そう言われた。

「ねぇ、なんで球磨やったと?なんで父ちゃんは球磨を選んだと?」

滞在中に何度か母ちゃんに尋ねた。答えが分からないのは分かっていて尋ねた。

「はて、なんでやったかいな?」

母ちゃんは陽気にそう言うばかりだった。

「ところであんた、どこ行くね?」

弟に、来た時迎えに来てもらった人吉インターまで送ってもらって、車を降りると一緒に乗ってきた母ちゃんがそう言った。

「うちに帰るとよ。母ちゃん、元気に暮らしなっせ」

俺は言ってから、あの人そっくりになった弟へ目配せた。母ちゃんはまだ何か言いたそうな顔をしてこっちを見ていたけど、車はゆっくりと動いて人吉インターをあとにした。弟とも、母ちゃんとも、もう逢うことはないだろう。此処に俺の居場所なんて、とっくに無くなっていた。

 宮崎発福岡行きの高速バスフェニックス号に乗車すれば、博多で降りて地下鉄で直ぐの福岡空港へ着く。飛行機で新潟へ、路線バスを乗り継ぐと両津行きの最終フェリーに間に合う。午前九時前にこうして人吉インターに居るのに午後十時過ぎには佐渡島の自宅に居る筈なのが不思議に思えた。バス乗り場のベンチで初夏の人吉インターを眺めていると右から来た大きなものに視界を塞がれてしまった。

 霧がかかったようなぼんやりとした風景が、次第にしっかりとした輪郭の、どこか懐かしいものへとなった。川の流れはゆっくりとしていて、川底からは岩も顔を出している。潮の香りがして、藻が乾燥したような匂いとドブ臭さが合わさったような、それでいて昔から知っている空気感。茶色の制服を着た小学生たちが川の両岸を川上へ向かってパラパラと登校していく。川の名前は町山口川で、そこに架かる石造りの堂々とした橋。祗園橋だ。

 軽くクラクションが鳴ったところで視界を塞いでいたものが動き出して、フェニックス号は人吉インターを離れて行った。俺は特に焦らなかったし、次に来る熊本駅行きの高速バスに乗ると決めていた。桜町バスターミナルで降りると、快速あまくさ号への乗車手続きをする。
 バスは走っていく。俺の入り乱れた感情を乗せて、そんな事知ったことじゃない人たちを乗せて。宇土市を抜けると遂に天草五橋の初めの橋、一号橋へとバスは滑り込んでいく。
 慣れ親しんだ一号橋が車窓から見えると気持ちが溢れだしてきた。と同時に変な感覚が湧く。あそこに見えるのが一号橋で、今このバスが走っているのも一号橋と思ったところで思い出した。あの一号橋は老朽化で、この一号橋が新たに架けられたのだった。でも一号橋っていったらあっちやよなぁと感傷に浸っているのは最早俺くらいなものだろう。他の乗客はいたって普通で、携帯電話を弄ったり、居眠りをしてみたり、隣同士で会話したりしていた。そこから先も俺にとっては宝のような景色が次々と現れて興奮した。天草だ、天草だ、天草だ、天草だ、俺はずっと外を眺めて気が昂っていた。

 遂にバスは本渡へと入った。空気感がガラリと変わった。嬉しいような、悲しいような、切なくなる自分がどんどんと小さくなっていく。婆ちゃんちへ行くのに、初めて一人でバスに乗ったあの頃みたいだ。足が地についていないみたいで、ようやく降車ボタンを押せた。本渡バスセンターで降りると、やはりあのバスセンターではなかったけど、雰囲気はあった。
 帰ってきた。本渡だ。目を瞑っていても歩けそうなくらい、何が何処にあるか把握している。当然、あった建物が無くなっていたり、知らない店があったり、道が広くなっていたりするのだけど、先ずは銀天街へ向かった。懐かしさと目新しさを感じながら銀天街の通りの真ん中付近から足を踏み入れた。本渡の町に降り立ってから違和感があった。その正体が銀天街に入る少し前あたりから分かってきた。日もだいぶ傾いてきていて夕方と言っても差し支えないのに、人が居ない。いや、居るのだけど、俺が知っている銀天街とは程遠い雰囲気で、シャッターが下りている店もある。無いものは活気だった。銀天街を町山口川とは逆の右へ行ってみる。一歩一歩が重い。買い物客がポツリポツリと居て、店が並んでいて、全体的に暗い。アーケードの端まで来て振り返ると、銀天街が大あくびをしながら俺に言う。

「もう、随分前からこんなもんぞ」

「そがんやったと?」

俺の声は銀天街には届かない。本当はそのまままた引き返して町山口川を、祗園橋を見たかったけど、俺は銀天街を背にして歩き始めた。住んでいた家に行ってみよう。あの通りに出て横断歩道を渡る前に右を向くと気持ちが穏やかになった。目に入ったのは、おもちゃのかわうちだった。子どもの頃かんしゃく玉を買ったかわうちは健在だった。横断歩道を渡る。渡ったのだけど道が変わり過ぎていて記憶が追いつかない。あの角、あの角、あの角と思いながら近付くと、それより先に進むべきではないと思った。諏訪神社へ行こう。あそこは変わる筈はない。

 七五三の時の写真がアルバムにあって、随分と若い両親と共に千歳飴を手に俺がいる。そのうしろに、今、目の前にある諏訪神社の拝殿が写っている。よかった。神社の向こうはどうなっているのか気になった。十五夜に子供会の相撲大会が行なわれていたあそこは。でも境内から出るのは止めておいた。本殿の脇を歩くと、夏休みのラジオ体操終わりに蝉取りをしていた所にある石碑があった。石碑の手前の石段に腰を下ろす。
 気がつくと、もうすっかり日は暮れていた。考え事をしていたのか、それとも眠っていたのか、ぼーっとしていただけなのか分からない。立ち上がり、諏訪神社をあとにした。諏訪神社の鳥居を背にして道をまっすぐ行くと銀天街に行ける。銀天街が近付くと、夕方よりも更にどんよりとしていたのだけど、微かに音が聞こえてくる。アーケードに入ると、それがブルースだと分かった。今度は夕方とは逆に町山口川の方へ進む。確かにブルースが聞こえる。これは、この歌いまわしは忘れる訳がない。鮫島ゴン十郎だ。なんや生きとるやんけ、俺の足は音のする方へ急ぎだす。右側に空間が広がった。元はここが何だったのか思い出せないけど、ちょっとした野外ステージがあった。ステージには誰もいなくて、その前の広場も照明などは無い。ブルースハープが聞こえてくるのはもう少し先からだ。

 銀天街の脇道の角でブルースハープを奏でる女の人が居た。エモーショナルな演奏に引き込まれる。俺の他に人は居ない。演奏が一旦終わったところで声を掛けた。

「魂のブルースやね」

彼女と目が合った。年齢は分からないけど、綺麗な人だった。

「声が聞こえたんやけど」

そう言うと彼女の表情が変わった。

「声」

「そう声。俺が憧れとったブルースマンの声」

「それって」

「鮫島ゴン十郎って人。さっきここに居らんかった?」

彼女は下を向いて持っていたブルースハープを握りしめた。

「権十郎は、兄です」

「え?」

鮫島ゴン十郎には妹が居ったんか、いや、そやんことじゃなか、天草やったとか、本渡の人やったんか。そう思うと何だか嬉しくなってきた。

「で、ゴンさんは?」

「兄が亡くなって二十数年になります」

秋葉原でのあの事件は本当のことをやったんかと。分かっていたくせに、でもあの声は確かに鮫島ゴン十郎のものだった。そうか、それでここで妹さんとセッションしとったのか。俺は同じとこで生まれとった。なんや、早よ言うてくれれば良いのに。まぁ、そうは言うても俺が鮫島ゴン十郎と会った事があるのは、偶然初めて見た衝撃のライブのあと楽屋へ押しかけて話をした一回だけ。それなのにこんなにも俺に影響を与えてくれた。あんたの妹も凄かよ、立派なブルースマンやよ。

 近くの自販機でラガービールを二本買い、一本を彼女へ渡した。

「これゴンさんが好きやったやつ」

ビールを受け取ると、彼女は軽く頷いてから一気に飲み干した。さすが鮫島ゴン十郎の妹だ。それから彼女は演奏を再開した。濃い、濃いブルースが始まった。俺はそれに身体を委ねる。どこまでも深く深く、彼女は入り込んでいった。俺は向かいの、自転車が何台か放置されたままになっている辺りに座り込み、ラガービールをやりながら彼女のブルースに引き込まれていた。時折、鮫島ゴン十郎が出てきては声を重ねていた。

 背中から腰にかけて痛みを感じて目を覚ますと、視界に入ったのは自転車のようだった。昨夜、あのまま彼女の演奏に身を任せて泥酔したみたいで、近くにあった数台の自転車は全部倒れていて、俺はその中の一台の上で寝ていた。

「痛てて、痛った」

すっかり朝になっていた。銀天街の中を茶色の制服に身を包み歩いて行く小学生がいる。あれは南小学校のやね、懐かし。フラフラしながら自転車から立ち上がり銀天街を出ると町山口川が待っていた。川沿いに川上へと歩くと、そこに祗園橋が朝日に照らされていた。

 祗園橋へ近付くと通行禁止の表示がされていた。いつから渡れなくなったのか、少し考えると閃いた。チーン!一休さーん。

「なるほどなるほど、この端、渡るべからずやな」

柵をまたぎ、橋の真ん中を歩いて中程まで来た。石造りでアーチ型の祗園橋は、そこが一番眺めが良い。朝の祗園橋は清々しい。

 俺が渡って来た方とは逆の、祇園神社側から橋を渡る者が目に入った。肩車された子どもは笑顔で、はしゃいでいる。肩車をしている父親も楽しそうだ。通行禁止の祗園橋を平然と歩いてくる。子どもは、肩車の上でレーズンをチョコレートでコーティングされたお菓子を口へ運んでいる。

「あれ美味いんよ」

俺は知っていた。俺は父ちゃんに肩車をしてもらい、父ちゃんと一緒に笑顔で祗園橋を渡って来る。


 俺の目の前を二人が通り過ぎる。通り過ぎる。


 祗園橋を渡り終えると二人は消えた。俺は石造りの欄干に手を置き、下を流れる町山口川を見下ろす。


         〈了〉



  


   

     


          


       


        

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