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【バスカヴィル家の犬感想】鏡像/反転


 映画鑑賞はもはや一つの趣味なんだろうな……と最近やっと自覚しました。
 お久しぶりです、オカモトです。

 はてさて新生活が始まり2ヶ月経ったくらいなのですが、やっとこさ慣れてきたところです。ふぃー。
 そんなわけなのでまあ……バスカヴィル家の犬はオタ活としてはね、久しぶりなわけですよ。
 そもそも自分自身すっっっっっっっっごい映像化されたホームズが大好きで、アマプラでBBCのSHERLOCKが配信されると決まった時は叫びましたね……。今? 今……3周目……。
 シーズン4まであるんですけどぜんっぜん苦にならないですね。ちなみに個人的には正典だと「オレンジの種五つ」とか好きなんですけども、BBCだと「六つのサッチャー」とかも好きですね……。メアリー……。

 ちなみに他にも新露版とか……ハワードとか……あともちろんハリウッド版も大好き。ハリウッド版は先日頓挫の報があって泣くかと思いました。
 ドラマ版だと長いけど結構NYホームズ、もとい「Elementary Holmes & Watson in NY」とかも見てました。シーズン7まであるのでほんとに追いかけるのしんどいかもですが、いいですよ……。
 あとはもちろん竹内結子さんがホームズやってたミスシャロこと「ミス・シャーロック」も好きでした! 和都ちゃんかわいい。続編が作られるはずだったと聞いて、非常に悲しいですね……あれも。
 もちろん東京シャーロックも観てました! リアタイしてて結構面白かったので、そういうわけで今回観に行こうと思ったわけです。シャーロックというか、どっちかいうとワトソニアなので……。助手の顔がいいと無条件に観にいきたくなるよね……。
 というわけで、先日行ってまいりました! その感想を徒然綴ろうと思います。もちろんネタバレ満載なのでネタバレされたくない人はぜひここいらでブラウザバックしましょう。
 はてさてこの前みたいに八千字超えるかなあ……んふふ。

 というわけでいつもの通り目が滑るのと乱文雑文にご注意を。

1.バスカヴィル家の犬とはなんだったのか。

 さて本題に入る前に。
 私はさっきのウダウダ書いてる中で,1〜8までの数字を1つずつ使っています。気づきました? でも事実三周目ですのでご安心を。こういうギミックって楽しいよね。

 はいどうでもいいですね。というわけでまずは今回のバスカヴィル家の犬の映画の元ネタがなんだったのかを考えたいと思います。

 いきなり本題の、しかもメインディッシュに入る癖はやめた方がいいなあと思うんですが、まずこれを考えずにはいられないというか。
 どうしてバスカヴィル家の犬と言うタイトルなんだろう? というのを考えないと始まらないなと思うわけですよ。

 というわけで正典をおさらいしてみましょう。

 まず正典、つまりヴィクトリア時代のイングリッシュ・ボーイズたちがあの事件を解決するにあたって、前提にあったのは「ブラックドッグ(あるいはヘルハウンド)伝説」でしょう。女神ヘカテーの使いであり、死刑のイメージを併せ持った存在。
 また、赤い目に黒い体のヘルハウンドはイギリスでは墓守グリム(だったっけ)を指し、やはり死のイメージが色濃い存在です。
 そもそもヘカテーは新月を司る女神で、中世以降は魔女の信仰対象という印象もあり、そのおどろおどろしいイメージがブラックドッグ伝説にあります。
 そしてブラックドッグといえばやはり今のイギリス、デボン州にあるダートムーアでしょう。14世紀、ブラックドッグに人が殺害されたとされる事件が発生した場所です。もちろん真相はわかりませんが、ムーア(湿地)の印象と相まってダートムーアのブラックドッグは結構有名になりました。
 そのブラックドッグ伝説をもとにかのコナン・ドイルが書いたのがバスカヴィル家の犬なんですよね。
 ……USJのアトラクションの方のジョーズみたいな書き方になっちゃった。でも実際、歴史というか正典のバスカヴィル家の犬はそういう伝説を下敷きに書かれたもの。
 お陰でバスカヴィル家の犬に出てくるブラックドッグは結構ホラーを纏っています。まあ実際は口のあたりにリン塗られて火を吐いているように見えただけなんですが、その正体を掴むまでが結構怖い。そしてワトソンくんが調査してこんな感じだよホームズ! って感じの可愛さ。これはいつものことか。ラストにホームズがいいとこ全部持っていく。これもいつもか。
 まあそんな感じのお話です。


 で、そういうことを考えて今回の登場人物に当てはめると。

 やっぱり紅さんはヘカテーでありステープルトンなのだろうと思います。もちろん彼女はベリル嬢を表向き名乗っていますが、今回だとどちらかいうと断罪者なのかな、と。本来ならば享受できたはずの幸せを奪った憎い蓮壁の人間を断罪する、というのが紅さんの目的である以上、紅さんは劇中のステープルトンであり、一方でヘカテーなのかと思ってみたり。正典ではステープルトンの妻であったベリル嬢ですが、今回だと完全にステープルトンポジなの、あまりにも皮肉だなあと思います。
 そしてそう考えるとバリモアとイライザが婚姻関係にないのはなかなかすごいですね。バリモアvsイライザの構図になっちゃってる。イライザの名前を冠する依羅さんですが、彼女はどちらかというとヒューゴーポジであり、なおかつちょっとだけ……本当にちょっとだけですが「サセックスの吸血鬼」のジャックくん要素がある気がします。ああ、でもこれは紅さんもですかね。千里くんはヘンリー・バスカヴィルですが、彼も死んでしまうわけです。しかも嫉妬によって。そう考えると赤ん坊殺しに成功した方のジャックくんな気もするんですが、如何でしょうか。
 ああそうそう、富楽夫妻は「サセックスの吸血鬼」のファーガスン夫妻からだと思います。あの無表情さはおそらく南米から連れてきたファーガスン夫人なのかなあと。朗子さんのことです。そう考えると赤ん坊を奪われてしまったファーガスン夫人なんでしょうね。彼女は。
 てな感じで、結構「バスカヴィル家の犬」を考えるとなにも正典の例のエピソードだけを下敷きにしたわけではないのだと思っています。それは人の名前だけではないなとも思ってみたり。

 構図としてはどれだろう……ちょっとぶなの木屋敷とかも踏まえてる気がする。紅さんのキャラクターにはバイオレット・ハンターもちょっと入れてる気もするし。それこそこの家を娘が乗っ取る、という話を考えてるのって若干今回の映画っぽい要素あるので。
 そしてもちろんさっき書いてた「サセックスの吸血鬼」もおそらく入ってますね。子供を守らんとする母親とか。なんていうか、依羅さんも朗子さんもどちらもファーガスン夫人でありルーカッスル夫人というか。どっちにせよ家に縛られ子どもに縛られている感があるなあと思うわけです。そうやってひとつひとつ紐解いていくと、捨井さんの最後とかもストーントンくんとかを彷彿とさせるなとか。そう考えると結構正典ごたまぜにしてる感じはありますね。


 じゃあなぜ、今回バスカヴィル家の犬、という題名になったのか。それを考えてみようと思うのです。


 まず一つ目はおそらくバスカヴィル家の犬があまりに高名だからこそなのだと思います。
 ステープルトン、ベリル嬢、バリモア、などなどの名前を以下にうまく使って観客を騙すか。実際私も捨井さんには騙されたのでど畜生となりましたが、おそらくそれで正しいのかな、と。どこかで見かけましたが本当に換骨奪胎とはこのことで、うまい具合に他のホームズ作品と混ぜてあるな、という。
 名前的に絶対こいつ犯人じゃん! が通じないためのバスカヴィルの魔犬なんだと思います。

 あとはなんだろうね? と考えてたのですが、純粋に一話で完結できる分量ってことかなあ。恐怖の谷もできそうですが、人の関係的にちょうどいいのはバスカヴィルの魔犬なのかなーと。特に今回の監督さんがそれこそガリレオシリーズの「容疑者Xの献身」とか映像化している人って知ってからなるほどなって思いました。
 あの映画もそうでしたが、あの人の作品って人の感情の狭間みたいなの上手いですよね。いろんな人の想いが一見交差しているようでいて、その実お互いがすごくねじれの位置にあって分かり合えないみたいな。最後の最後、ほんの少し触れて、それがほんっとに一筋だけ残った希望、みたいなね。そういう感情の表現がうまいなあと思います。そして今回バスカヴィル家の犬ではそういう描かれ方がされていたなと思うのです。
 そして割とそういうことあるじゃないですか。人間て。多分依羅さんは馬場さんに殺されることが実は救いなのかもしれない。でも一生、それこそ死んでも紅さんの悲しみ憎しみはわからないと思う。し、紅さんも馬場さんの思いはわからないと思う。でも馬場さんだってあの献身は半分自分のためみたいなところもありそうですよね。そういうどうしようもない、人間らしいところって、人間の原動力だと思うわけです。それをおそらく誉は分からなかったから「謎解きを後悔した」のかなあ……と。誉はわかっているようで正直軽視はしてそうですからね、人間の情動。
 それに、家族愛という意味ではセルデンを匿っていたイライザの姿とかもモチーフとしてはありうるので、そう考えるとまあ…バスカなのかなと。

 ただ、正直なところバスカヴィルならもうちょっとワトソンくんに探検してほしかったな〜……と思ったのはそれはそうです。
 後述の通り、日本におけるシャーロックシリーズというのを考えると無理なのはわかりますけどももうちょっと……もうちょっと若宮潤一調子に乗せてやって……とは思いました。
 それこそ……正典のワトソンくんみたいな感じの……若宮潤一見たかったなあ……。まあ難しいですけどね。
 ただやっぱりシャーロックファンとしてはちょっと消化不良というのもわかる。西谷監督がシャーロックファンだろうからこそこう……ワトソンくんうっきうきの部分は見たかったな〜……と思います。それを粉々に叩き割る誉も含め。

 とはいえ、その点以外は結構面白いな〜というかネタの仕込み方がシャーロックオタクだな〜と思って勝手に西谷監督にはシンパシーを感じてます。


2.そもそも「シャーロック・アントールド・ストーリーズ」におけるホームズ像とは?


 はい次も重いタイトルきたなと思います。でも、やっぱり上記の「どうして日本のホームズがあんな感じなのか」を考えないといけないなとは思ってて、つまりそういうことです。

 そもそもの話、日本でホームズをやろうとおもうとかなり難しいところがあると思います。

 まず正典にせよそれこそBBCホームズにせよ、海外作品は「シャーロック・ホームズ」と名乗れるのは大きい。だって海外だし、なんならイギリスだし。あれイギリス国内だから成り立ってると思うんですよね。シャーロック・ホームズ。日本で再現というのは厳しいと思います。なにせあっちはオックスブリッジが名門校。こっちは東大ですからね。パブリックスクールか国立かの違いは大きい。なんてったってとんでもない名家の子息、その中でも特に頭が良くないと入れないのがオックスブリッジで、おそらくホームズはそこ出身だとされています。しかし日本でとなるとこう……下手すると頑張れば入れちゃうんですよね。東大って。もちろん現代のオックスブリッジはだいぶんと門戸が開かれているでしょうが、やっぱり超金持ちが通う学校というイメージが強い。そんな大学を出てる、いわゆるとんでもなくハイソでインテリな男が探偵になり、しかも元軍医と同居するからこそホームズ作品はホームズ作品であると思うんですよ。それはもちろんBBCホームズもです。貴族が、地主が、荘園が、未だに残っている土地でないとあの作品はなかなか再現性が難しいと思う。
 さらに日本人にはない感覚や文化なので、じゃあイギリスの読者がホームズ読んだ時の感情などなどを追体験しましょうとなると東大出身ハイソな男……は違うかなあと。マイクロフトならわかるんですけどね。なんかこう……変人奇人感は難しい気がする。どうしてもホームズを日本で再現しようとなると、やっぱり誉になっちゃうのかな〜…と思うんです。
 さらに言えばワトソンくんの設定がまずもって無理。
 日本でいうと防衛医大出身で長らくアフガン派遣されてた医者になるわけですが、もはや非日常すぎて厳しくないですか? そりゃあ見たいですよ、アフガンで撃たれて帰ってきて無職の元自衛隊の医者と、「アフガニスタン? イラク?」って東大病院の法医学教室で聞いてくる超金持ちそうな男。でも想像つかなさすぎません? そうなるとやっぱりぎりぎりのラインが不正受験した精神科医なんだな……とは思います。
 アフガンで負傷して強制送還がどれくらいなのかはわかりませんが、ヴィクトリア時代のワトソンにとってあれは結構な屈辱かなと想像しています。それこそ死に損ないではないですが、そういう感じなのかな、と。BBCに至ってはもはやレアすぎてジョンは完全に世間から浮いてますしね。
 そう思うと若宮潤一のキャラクターというのはいい具合にヴィクトリア時代のワトソンに近いのかな、と。少なくとも我々一般市民からすると「あり得そうなキャラ」なんですよね。

 ただその弊害もあって。
 一番は誉のキャラクターですね。
 基本的にシャーロック・ホームズはジョン・ワトソンの歳下で、尊大で、名家出身なのに探偵業なんかやっちゃってる。人の心がわからないというよか「人の心を理解する必要がないと思っている」フリーク。苦労したことはないというよりか、他人がしない苦労はしているけれど他人のような苦労はしていないんですね。好奇心が満たされなくて苦しむことはあるだろうけど。

 ですが誉獅子雄は人並みの苦労みたいなのをしているんですよね。あれが大きい。

 そもそもの話、誉獅子雄の出自的にあまり恵まれてないホームズなんですよね。それこそNYホームズの趣があるし、どちらかというと在り方としては「人の苦労とかも理解しているがその上で自分の興味にふった男」なのかなと。

 誉万亀雄に追い出されると言うこと自体は流れとしては自然だし、誉獅子雄自身も異母兄の行動に対して一定の許しと理解はしてる気がするんですよね。じゃないとあそこまで一個人として割り切った付き合いはできないんじゃないかな。お兄ちゃんの方は罪悪感で兄らしく振る舞ってますけど、多分誉獅子雄はそれをわかっててあのあしらいかと。
 いやまあそれはいいんですが、その上において、それでもおそらく学歴の差とかは感じてるとは思います。表に出さないけど。だからこそ彼は使える知識を身に付けたと言うか、大卒とか関係のない、実績をもって日本に帰ってきたのかと。まあそれらは憶測に過ぎませんが、少なくとも好奇心だけで動いてる誉獅子雄、しかし彼は人間の心理をただしく理解しているのはそれはそうだと思います。それを活用してるというか。少なくとも他のホームズよりは狡猾だと思うし、いいやつでも悪いやつでもないけど人の心を理解する必要は知ってる、ちょっと大人びたホームズなのかなと。
 誉獅子雄の胡散臭さ、というものを考えたときにそれがあるなあと思うんです。ピュアさ控えめですよね、誉は。それこそミスシャーロックのシェリーなんかは分かりやすく自分が嫌なものはいや! って出すレベルに少し幼い感じはします。もちろんBBC SHERLOCKのシャーロックも幼い感じしますよね。そういう意味ではそこらへんのシャーロックよりも一枚も二枚も上手だと思うし、確かにあの歳までワトソンがいないホームズのイフとしてはすごい解像度が高いと思います。

 ただそれが、ホームズっぽくないと言われればそれはそうなんですよね。特に初期の聖典作品ではかなりホームズは人の心も常識もないちょっとやばめなやつとして描かれているので、だから一部のホームズファンは違和感を覚えるのかもしれないな、と思います。とはいえ先ほども書いたように誉獅子雄は「ワトソンが年下で、それまで出会わなかったホームズイフ」だと思うと辻褄が合うんですよね。

 というわけで結論としては、「イギリスの読者がホームズを見た時と同じ感覚を日本人に持たせようと考えた結果、誉というキャラを作ったがその後諸々辻褄を合わせようと思考実験した挙句ああなった」かなと。もちろん一考察なのですが…。

3.鏡像/反転

 これは今回のエッセイのタイトルにもしたワードなのですが、そもそも「シャーロック」のギミックってなんなんだろうと思うのです。

 で、帰納的に考えるとどうも西谷さんの頭の中には「」というキーがあるような気がする。なにが逆って、例えば誉と若宮の年齢関係も然りですが、他にも同居時の話ですよね。
 ベイカーストリート221Bに住んでいたホームズのところにワトソンが転がり込んでくるのが正典ならその逆ですし。
 あとライヘンバッハ後彼らがもう一度出会うのは洗濯屋「スカーレット」です、いやもう緋色(スカーレット)の研究やんか、となるわけですよ。最終回のあと初回を思わすワード出してくるのってなんだろうね? という。
 あとそうそうそれまでは結構ワトソンの手記というのは公表されるものだったわけですが、若宮潤一の日記は公表されていなかったり。
 そもそもホームズ「VS」ワトソンだっていうのを確かフジの撮影セット特集のシャーロックの時に言ってたかな。
 というのを今発見して参りました。こちらの記事から飛べるので是非、ちなみに私は間取り読むの好きなのでこれ数年前に読んでから時折読んでます。

 てな感じでですね、まあ正典とあえて「逆」にしてることが多いなって思うわけです。さっきのVSにしたって、シャーロックwithワトソンとかシャーロックandワトソンはあるけど「VS」ってないよなって。
 …ただその割には結構他の映像化ホームズオマージュが多いので、どうなんだろうという疑問はあるけど……。ていうか本当に第一話の船に乗り込むのにつけ髭サングラスの誉獅子雄、めっちゃガイ・リッチー版のシャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jrがやってたやつです)の中国人仮装オマージュじゃなかったです? もう本当に頼むから…いやこれはずっと言ってるんですけど誉獅子雄には雑な女装してほしさはあります…若宮潤一に「誉お前っ……」て絶句されて「時間がなかったんだ」って不機嫌にいってほしい。まじでずっとこれ言ってるんです…殴られたみたいな青いアイシャドウとはみ出すぎの赤いリップ見たいんだ……。
 とまあ脱線はともかく、逆をキーに考えると、バスカヴィル家の犬も反転してましたね。
 ベリル嬢とステープルトン、バリモアとイライザ、などなど。千里=ヘンリーの命運もまるで逆です。そりゃあまあ千鶴男は死ぬ運命だったにせよ、結構わかりやすく「逆」な要素があったかなと。

 まあでも確かにそうした方が面白かった、という理由でそういうギミックなのかもしれません。絶対古典作品でミステリって、みんなある程度オチわかってるから、その上でえっ!? という驚きを与えるにはこういう作りにした方が確かに面白いとは思います。そもそも日本で「ブラックハウンド」ってなると多分犬神とかそういう話になるしそれなんてスケキヨですから。池に人が足出したまま刺さってないといけなくなっちゃう。まあでも犬神家は日本版バスカみはありますよね。これまた脱線しましたね。

 ただその、「面白い」以外を考えるのが私の性である以上「逆」を考えてみるのも一興かと思うわけです。いやーだって、西谷監督ですよ? 一つ一つのセリフに無駄がない、とこの前のデジタルハリウッド大学のトークイベントでおっしゃってたそうですが(私感想文コンテストに応募したのに時間合わないなってなって聞けてないんですよね、まあ事実その時間家事だのなんだのでなんともできなかったわけですが)、そう考えてみると一つの流れというか、西谷監督の頭の中に歴としたものがあるんじゃないか。というのは、まあ当たり前かなと。

 というわけで考えていたんですが、そもそもシャーロックのドラマ自体が全員「ニセモノ」感あるなっていうか、なんだかんだと「本物か偽物か」がテーマだった気がします。

 それこそ若宮潤一の在り方も「ニセ医者」であり「不正」なわけで。彼はずっと本物かどうかにこだわっていたんじゃないかなと思いますし、二話の青木藍子だって「本物」に焦がれながら自分はフェイクだと思っていた人物です。認知症を「偽る」老人の話も、リストランテの話だって「誰が本物のレシピ作成者か」という話だったり、守谷だっていまだに本物なのか偽物なのかわからない。  
 その中で誉獅子雄だけが「そんなものどうだっていい」というスタンスなんですよ。彼は「本物か偽物か」には興味が実はないというか、「そこで何が起こったのか」という事実だけを追い求めるタチですよね。本物か偽物か、はつまりそこには絶対善悪、正誤の判断がつきまとうわけで、そういうモノに苦しめられてきた人の物語がフジ版シャーロックなんじゃないか、と。だからこそあの物語はシャーロックホームズなんだと思うんです。結局。ホームズって、事実のみを求めるタイプなので。それだけが知りたい。そしてその行為によって勝手に周りの人が救われるんだけど、ただその救われる相手が今までだったら被害者だけだった。
 でも、救われるべきは「被害者」だけじゃないんですよね。というか、なんなら救われるべきでもなくて救われてろって話だと思います。少なくとも誉にとっては。彼が救いにきたのは若宮ちゃんだけですから。いやでもそれも尊いわけですがそれは置いておいて。
 とまあ上記の結果が逆転になったのかな、と。いやわかんないけど! でも分からないなりに、見える点を繋いでみるとこんな感じになったってだけなんですが。

 ただそう考えてみると、意外と今回のバスカヴィルも悲劇でありハッピーエンドだし、紅さんは偽物の娘だけど本物の親に会えたわけだし、逆に言えば馬場は偽物の親だったけど、事実として紅さんの親代わりだったわけで。
 てな感じで、ドラマも劇場版も逆転することの構図をあえて散りばめることで、偽物も本物もわからない、でも絶対に表出する事実だけは変わらない、みたいなものが明確になる効果はあったかな、と思います。うまく言えないし、正典と違う、という事実はそうなんだけど。でも「逆転している」からこそ見えるもの、みたいなものはあったかなって思います。

そう考えるとすごいうまく作られてるし、謎解きによって今までだったら救われていたものが救えなかった一方、救えている側面もあるみたいな、そういう構図が今回のバスカヴィル家の犬……なのかな、と考えています。難しいけれど。平日に書く文章じゃなかったかもしれない。ここらへんは要検討ですかね。ただ、絶対何かの意図はある、むしろあってくれと祈っていたりします。

4.結びに替えて

 というわけでひと月ほど暖めていたnoteがやっとこさ完成しました。いやーーーーでもほんとに書けば書くほど抜け落ちてしまう要素が多いなと思います。頭の中ではもうちょっと書いているつもりが、たかだかこんな見出しでおさまっちゃった。辛い。もっと書けるだろうけどかきにくい。流れとか考えると今の私にはこれが精一杯です。
 なんて思うわけですが、それでもやっぱり…うん…今回の映画よかったですよね。なんかこう、最後にしみじみ思いますが。

 結構好きなシーンが誉獅子雄の蹴破るシーンなんですが、1話の若宮ちゃんの窓からぽいぽい事件彷彿とさせますよね。若宮ちゃんもまあまあそういうとこ、あるよねえ……。彼もまた変人なのだ。

 あとそうそう、やっぱり馬場さんというか椎名桔平さんの演技すさまじいな…と思ってました。めっちゃあそこぐっときた。なんかもう、泣けもしなかった。馬場の想いがあまりにも痛切というか、ほんとに命かけてたんだもんな…そらあんたは親だよ…ってなりましたね。ほんときつい。その後地震で飲み込まれるのもきつい。まじで。一種のハッピーエンドではあるだろうけど、馬場さんとしては先に逝ってて紅さんの最後を見なかった分幸せだろうけど、でもあれ観客はうっ…てなりますよね。

 そしてデジハリ大のコンテストですが、獅子雄賞ありがとうございました。
 そこらへんの権利関係がわからず全文は載せられないのですが、大体「今回のバスカは誉にとっての「ノーバリ」だったんじゃないか?」みたいな話です。そこら辺書くの忘れてたな今回。なんか……いやほんとに枯れ木も山の賑わいだと思ったらまさかのなんか…花咲か爺さんに選ばれちゃった枯れ木の気分です。嬉しいけどびっくりぽてと!でした。

 とまあそういうね…最後にこういう話載せるのどうかと思うんですが、でもやっぱり、うん……たりてないよね……考えたことの半分も出力できてない気がする……。ちょっと色々精進します。

 というわけで一万字も無事(無事?)こえたわけですし、とりあえず今回はここら辺で終わろうと思います。ここまで読んでくださった皆さん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。またぜひ、語り合いましょう。

オカモト/2022/七夕の日に寄せて

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