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「がんばろう 日本!国民協議会」第9回埼玉読者会(11月)

これは、「がんばろう 日本!国民協議会」の機関紙、「日本再生」の読者が毎月行っている読者会のうち、埼玉の会の報告です。

「今回のテーマ」
① 新自由主義とは何か、それは私たちのくらしや思考にどう影響しているのか
② 米国大統領選、大阪「都」構想住民投票等を通した「考える力」とはどう育成
されて行くのか
③ がんばろう日本協議会主催の総会の論議の焦点と組織活動の今後の指針


【SUMMARY】
今月、機関紙一面で皆が注目したのはやはり「デモクラシーの中に住みついたファシズム」というワードでした。ファシズムとは何か。通常の感覚では戦前の軍国主義やナチスドイツのイメージ。でも、現代日本にも形を変えたファシズムが存在する。それが「新自由主義」という概念であるというところから、ではその「新自由主義」が私たちの日常生活にどれほど入り込んでいるかについて、話し合いました。

私たちが「ファシズム」を感じるとき


三島憲一・大阪大学名誉教授は「デモクラシーの中に住みついたファシズム」について、例えば政権であれば「理由と根拠を挙げての自由な議論をやめて、『国民のために』上で決めること」と述べていますが、では私たち自身はこの「ファシズム」をどんな時に感じるのかというところで、「あるテーマについて、一方的な視点の情報しか集めず、そのことの正当化だけを主張すること」や、「デジタル技術を使って管理、監視することを「安全の提供」という言葉にすり替えて実行すること」などの例が挙げられました。
また、こうした例にとどまらず、新型コロナによってさまざまな不自由がでてきた結果、目の前の暮らしというところにどうしても焦点が絞られる。そして焦点を絞っていけば絞っていくほど余裕がなくなり、周囲が見えなくなる結果、上からかぶさってくるものに対してもどうでもよいという話に流されていくとう意見も出されました。機関誌では、そうした抑圧を「受ける」側の人間が、「まあ、いいか、そんなに悪くはならないだろう」と自発的隷従に至る「空気」が問題であるとも伝えています。

新自由主義という新しいファシズム


上記のような例が「ファシズム」であるというならば、私たちがイメージしてきたいわゆる軍国主義的な概念ではなくなります。ここにあるのは新自由主義。これがいわば新しいファシズムとして日常生活に蔓延しているとの問題提起から、次に自分たちの活動の中で感じる「新自由主義」の話題に移りました。
これには、地域のボランティア活動において、活動をする人たちの「目的」ではなく、活動そのものを「効率よく」動かすことが優先されるという話や、教育の現場において、子ども達の問題行動が起こらないようにするための「教育環境の改善」ではなく、子どもたちの「問題行動を改善」することで教育環境をよくするところに目標を定めてしまうことなどが出され、各自が行う様々な活動のどんな分野でも思い当たることがあるのだということが分かりました。
私たちの活動だけでなく、日常生活のあらゆる場所にこのような新自由主義的な側面が見受けられます。この新自由主義から脱却するためには、何気ない生活の中においても、意見を発する側も受ける側も、常に、自分の主張は間違っているのではないか、自分と全く違う考え方をする人はなぜそう思うのかといったことを拒否しないで知ってくことで、「上からの決定」を安易に受け入れるという空気をかえていく必要があり、そのために異なる立場の人たちと接し、話し合う場をつくっていくことが大切です。

コモンズ ー 考える場― に求められる「共通の言語」


また、そのような「場」を作る際に要となるのが「共通の言語」であるということが、話し合いの中でキーワードとして出されました。同じ言葉を使っていても、それぞれで認識が違っていれば話し合いが進みません。例えば、子育てのしやすい地域とは何か、という話題の中で、子育てを「モノ(便利なサービスを利用して育てる)」として考えるか、子育てを「コト(どんな人間に育てたいかを実現できる環境や人間関係を考慮して育てる)」ことの認識の違いがあると、目的である「子育てのしやすさ」のイメージを共有することができず、具体的なアイディアや要求をだすことができなくなります。他にも「問題行動を子どもが起こす」ことについて、「なぜ(問題を)起こすのか」という問題意識と、「どう(問題を)起こさせなくするか」とでは、原因の究明や解決策の決定が変わってきます。
この問題を解消するためには、自分の考えや気持ちを公開し、説明し、人と共有することで関係を結び、勉強の場や意見を自分が考えて出していく場所をつくり出すことが望ましく、それが「コモンズをつくる」ということ。このコモンズを沢山つくることが共通の言語を作り出すことにつながるのではないかという意見が出されました。
しかし、このコモンズをつくるということは、並大抵のことではありません。同じ考えの人たちだけ、好きな人たちとだけ話し合いをしていればよいわけではなく、明らかに考え方が合わない人とも接していかなければなりません。場所や相手、人によって違ってきます。その時、自分とは異質なもの、弱者を切り捨ててはいけない。一見つらく面倒な作業に思えるけれど、必ず最後にあるのは苦しみだけではなくて喜びであるのだから、まずは「考えるということ」を共通の言語とし、自分が成長した、相手も多分進んでいる ということが実感できるようすすめていくという結論となりました。

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