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「がんばろう 日本!国民協議会」第8回埼玉読者会(10月)

「がんばろう 日本!国民協議会」第8回埼玉読者会(10月)これは、「がんばろう 日本!国民協議会」の機関紙、「日本再生」の読者が毎月行っている読者会のうち、埼玉の会の報告です。
今月の一面記事こちら(クリックするとPDFが開きます)

「今回のテーマ」
● 前回9月の読者会の議事録と感想文の受け止め方
● 日本再生10月号一面の感想と疑問点
  ① 「自助、共助、公助」と社会保障制度の今後
  ② コロナ禍によって明らかになった資本主義の非物資的価値とは何か。
  それは民主主義をどう変えることになるのか、それぞれの現場の中で報告と協議

今月は、先月からつづく「自己責任」と「自発的隷従」について、今回の読者会までの1か月で皆さんがそれぞれの活動に照らし合わせて考えてきたことの発表からはじまりました。

「自分で決める」とはどの様なことなのか。

まず、前回の自己責任について、「自己決定」という話題が上がりました。つまり、「自己決定」を自覚したうえで負う責任は自分自身も納得するけれど、自分で決定しているように思っていても実は社会からの圧力で自発的に隷従しているという状況になっていることについて、「自分で決める」とはどういうことか、という部分までは踏み込んでいなかったということです。
またこの、自発的に隷従せざるを得ない社会からの「脱皮」を目指すうえで、それを解決するには自分で選択をして活動をしていくほかない、議論を積み重ねていくしかないかと思うがそれは単純に解決できることではない。
まずは経済的には恵まれていても、恵まれていなくても、両方から無関心がおきているということ、そしてそれはどういう風に起きているのかということをもう少し構造的に解明する必要があるという意見が出されました。

異質な他者との出会いの蓄積が必要

次にこれも前回からの続きになりますが、「若者の無関心」について。そもそも機関紙の視点、資料集、読者会参加者(中高年)の発言自体が、いわゆる「若者」からすると違和感があることだというところから、「若者」のほかにも「女性」「高齢者」と我々はひとくくりにして語りがちであるということを認識しました。
そのうえで例えば社会的な運動というテーマであっても、年代によってとらえ方が違う。全共闘世代の人たちがイメージする活動や運動からみると、今の20代、30代の人たちが行うことは「違う」ととらえられてしまうが、そうではなく、彼らは彼らなりに壁にぶつかり、考え、行動をしているということを若者は伝え、上の世代はそれを受け入れる、そのうえで共に活動を展開していくことが大切であると話が進みました。
ただ、そこで重要なのは単に「否定しない」「聞き入れる」ということではありません。機関紙にある、「異なる立場ではあるが、合意できる共通の価値は何か」という議論を積み重ねていく多様なプロセスにおいては、「異なる立場」、「自分は今どの立場なのか」ということを各々が自覚していないと、そもそも共通の価値が何かという話にならないのではないかということです。
そのためには積極的に「異質な他者」と出会うこと、その出会いの中で「他者への想像力を鍛えていく」ことなどが自分たちの活動からの体験として挙げられました。

資本主義の非物資的な価値は、合意形成にどう影響するのか

次に話題は「次の社会や次の時代とはどういうものなのか」という論議へ。「高度成長期の福祉国家による再分配に替わる北欧型の社会的投資戦略は、資本主義を民主主義と福祉国家に埋め戻す「設計図」になりうるのか」(宮本太郎・中央大学教授「思想」8月号より)という点から、スウェーデン型、北欧型、イギリスの第三の道型といった例が挙げられると、それ以前に今の資本主義が物質的(工業や流通が主といった)な資本主義から、非物質的(GAFAのような形が見えない)資本主義に転換しているという話題に。
この非物質的転換により、民主主義、合意形成のありかたが変わってくる。そこを理解したうえで社会保障だけでなくて、人が認めてもらえる、自己承認欲求が満たされる社会とは何かということを考えていくという方向性が示唆されました。
その自己承認欲求のあり方も、非物質的な資本主義への転換とともに以前と変わりつつあります。旧来は、物質的資本主義の時代の安定した経営や、家父長的な家族とコミュニティを前提に、個の自立範囲を広げ、差別されている人たちを認めてあげるという、上からの承認(宮本先生)でした。
それが、明らかにそうしたことに価値を認めない人たちがでてきている。これからの社会について、人間関係の在り方に人間の本質的なものが何かということが問われたうえで、どうしようかと展開しようとしているから、簡単に結論ということにはならないのです。
このために私たちがまず行うべきは、自分たちそれぞれの活動において、「問題解決をするための相互理解とは?」について考えること。考え、行動し、失敗をする。その失敗を持ち寄って教訓化するプロセスそのものが、「民主主義は多数決ではなくて、その参加していくプロセスそのものが民主主義なのだ」といわれているところであるというまとめになりました。

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