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広がる自然#6 芸術はわたしを救う

大切にするのは、 
○匿名性
○だれも傷つかないこと
○考えを押し付けないこと
○自分たちのなかにある『患者さん』や『患者さんを支える人』のイメージに囚われないこと

……………

こんにちはリナタです。
今回は、子宮頸がんを経験された「わたし」さんのココロを支えた芸術をご紹介します。


わたしを救った自然(その1)

名も知らぬ草花


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いつ頃支えになっていた?

手術後、退院して、追加治療を受けた約半年の通院期間。


それはどんな時期でしたか?

東京に仕事も、仲間も、思い出もすべて残して両親のいる田舎町に住んでいた頃です。

治療のためにいっとき東京を離れ、親元で暮らしながら、病院通いをしていました。

住んだこともなく、思い出すらない町で「生き死に」に格闘していた時期でもあります。


なぜ救われたんですか?

当時は、治療によって不自由になる身体や未来に対する希望の無さから、「やさぐれた気持ち」を強く抱いていたんです。

何もかもに心を閉ざした状態でしたが、毎日自分に課していた散歩は、リハビリのために続けました。

そのなかで、「見よう」と思わずとも、歩く行為のなかで目に入ってくる光景は今でも忘れられません。


名も知らない草花は、朝と夕方で見せてくれる様子が微細に異なります。


毎日同じ道を歩いていても、違いが鮮やかに映りました。


季節が、夏が終わりに向かいはじめ、秋になるあいだ、葉の色が変わる。花が咲く。花が散り、実をつける。


自然が紡ぐ「命のサイクル」を見つめてきたのです。


それによって、「世の中は“生かそう”というエネルギーしか存在しない」と心から実感しました。


庭から勝手にこぼれた、かぼちゃの種が勝手に芽を出し、放っておいたら立派に実を結びます。


エネルギーは「殺す」方向に働きません。


自分も生命体として「生かす」エネルギーのなかに在る。


そう実感できたとき、心が震えました。



わたしを救った自然(その②)

夕焼け空


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いつ頃支えになっていた?

手術後、退院して、追加治療を受けた約半年の通院期間。


それはどんな時期でしたか?

先程の内容と同じになるのですが、東京に仕事も、仲間も、思い出もすべて残して両親のいる田舎町に住んでいた頃です。

治療のためにいっとき東京を離れ、親元で暮らしながら、病院通いをしていました。

住んだことのない、思い出すらない町で「生き死に」に格闘していた時期でもあります。


なぜ救われたんですか?

治療によって不自由になる身体や、思いどおりにならない日常。

病気になる前から頭で先に答えを出して、心も体も無理やりついてこさせる生き方をしていたわたし。


夕映えのダイナミックな光景は、そんなわたしの感情に問答無用でダイレクトに訴えかけてきたのです。



「美しい」「怖ろしい」。。。
さまざまな感情が一瞬で胸に去来しました。


それが「頭優先でなく感じる生き方」であるのだと、瞬間的に理解が訪れたのです。



詳しい日にちは覚えていませんが、その日の夕立は、非常に激しかったです。


時間が経ち、雨音が消え去ると、空の色が目に飛び込んできました。


その瞬間、畏怖の念を抱くほどココロを動かされました。


まるで、ムリーリョの「無原罪のお宿り」の絵のようでした。


自然というものの偉大さ、色彩美と迫力に感動したことを、未だによく覚えています。






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