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バレエ小説「パトロンヌ」(70)

ミチルにとって、「ドン・キホーテ」とは”躍動”の代名詞だった。どれだけ高く跳ぶか。どれだけ多く回るか。どれだけスマートに、物の見事に着地を決めるか。そして、その”躍動”は、”バジルの”であり、”甲斐の”躍動を意味した。女性プリンシパルの見せ場にさえ、正直全く興味がなかった。ところがどうだろう。今日のミチルは、甲斐以外の人物に釘付けになっていたのだ。

ドン・キホーテその人である。

第二幕、風車小屋を巨人と勘違いして戦いを挑み、そして風車に巻き込まれてしまったキホーテ翁は、人事不正に陥る。昏睡の中で、彼は夢を見た。

さんざめくたくさんの娘たちが踊るその中から、憧れの女性が現れる。
姫だ、ドルシネア姫!
……いや、キトリ?
そう、キトリが姫の格好をして現れた。我が心のドルシネア!
やはりあなたは気高い。やはりあなたは、高貴なお方!

しかし姫は、娘たちの森の中に吸い込まれていく。思わず追いかける翁。
すると、すれ違うようにもう一人の女性がやってくる。
ベールを被り、ロングドレスで慎ましく歩くその人から、翁は目が離せなくなる。

あの方が、ドルシネア?

2人の女性のどちらが我が心のドルシネアなのだろう?
戸惑うキホーテの周りを、娘たちが取り囲む。微笑みながら、
からかうように、迫るように、さざめくように、
円になって、波になって、そして風車の羽となって、キホーテを翻弄する。

そこへ、キューピッド!

キューピッドの矢は、再びキホーテの胸に刺さった。
どちらがドルシネアなのか。
ドン・キホーテは確信する。我が君ドルシネア!
御身の心のままに!

……キホーテは目醒めた。バジルたちは、翁の回復を喜ぶ。
ほっとした表情のキトリを見つけるや、翁は彼女に歩み寄り、こう告げる。
「そなたはキトリ。我が君ドルシネアではなかった。そなたとバジルの行く末に幸あらんことを」(つづく)



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