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バレエ小説「パトロンヌ」(5)

KAI暦2年

 ミチル35歳の誕生日に、タカシは一枚のチケットをプレゼントした。
「えっ、バレエのチケット?」
「一度本物を見てみたいって、いつか言ってたから」
「言ったけど……、『インターナショナル・ガラ・コンサート』、ねえ、ガラって何?」
「知らん。オレ、バレエ知らないし。誰が出るとかもわからないけど、前から三番目の席がとれたから」
「ほんとだ! すごい!」
「一席分だけポツンと残っちゃってたんだな」
「ちょっとちょっと、1万円って書いてある……こんなに高いものを」
「いいじゃん、たまには。ここんとこ、マユのことにかかりっきりで、ていうか、オレも全部任せっきりで悪かったし、たまにはぜいたくモードで。いいんじゃない?」
「……タカシの分は?」
「オレは子守要員。でしょ? マユ見てるからゆっくりしてこいよ。それに、一枚きりだったから、いい席がとれたんだろうし。」
「ありがとタカシ!」
ミチルはタカシに飛びついた。タカシは妻が見せた予想を上回る反応に、少し照れ臭く、そして大いに満足して微笑んだ。

 子どもが生まれ、何かと支出が多くなり、将来のことも考え始めて財布のヒモは固くなるばかり。今はタカシの一馬力で生活しなければならない。そんな中での夫からの贈り物を、ミチルは素直に受け取った。それが2000円もしない映画のチケットであったとしても、ミチルは同じくらい喜んだだろう。チケットは「現実」を忘れられる魔法の切符だから。すべてを棚上げできる時間を得たことがうれしい。しかし、もし自分が買うとしたら、1万円投入はとうていできない決断だ。

(プレゼントだから、行ける!)

ミチルは公演日が近づくにつれ夢心地になり、思いもかけずもたらされたこの恩恵を、全身に浴びる思いでその日を待った。
(舞台で見る本当のバレエは、どんなものだろう? いつかテレビで見た、あの少年から受けたような感動を、もう一度味わえるかしら……)(つづく)



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