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バレエ小説「パトロンヌ」(7)

 「インターナショナル・バレエ・ガラ」は、ミチルが初めて観た生のバレエ公演だ。「ガラ」とは、何かの記念で行われる「祭典」的公演のことを言うが、結果として招聘されたアーティストがそれぞれの持ち時間で独立したパフォーマンスを行うことが多いため、そうした上演形式を指す言葉にもなっている。今宵のガラ公演は「インターナショナル」と銘打つだけあって、欧米の名だたるバレエ団のダンサーたちが名を連ねていたが、その中でミチルが最も感動したのは、いわゆる伝統的なクラシック・バレエではなく、男性ダンサーが一人で踊る、現代的なダンスパフォーマンスだった。

 真っ暗な舞台の一角がスポットライトに照らされると、パーソンズという筋骨隆々のアメリカ青年が、そこにたたずんでいる。微動だにしないまま、照明は消え、再び漆黒の闇。次の瞬間、ライトが照らす別の空間にパーソンズはいつの間にか移動して、またもやじっとしている。まるで、さっきからずっとそこにいたかのように。スポットライトは位置を変え、舞台のあちらへ、こちらへ、と移っていくが、パーソンズは必ず、その光の輪の中にいる。まるで、さっきからずっとそこにいたかのように。やがてライトの点滅は、間隔をどんどん狭めていく。すると今度は、暗闇に激しく点滅するストロボライトの中で、パーソンズは宙に浮いたのだ!

 もちろん、これはマジックショーではない。ストロボの消えている間に、彼がその都度着地しているのは明白な事実で、それは誰にでもたやすく想像できた。にもかかかわらず、彼は空中を漂っているとしか思えない。どんなに短いスパンで照らし出されても床から同じ高さにあって、そこに止まっている。あるいはスローモーションで滑らかに放物線を辿きながら、空中を動いていく。そう思わせるだけの跳躍の正確さが、観客の心を鷲掴みにした。
 特にミチルはステージの左端に近かったので、今自分の目の前にいた人間が、1秒も立たぬうちに音もなく右端に移動し、ぴたりと止まれることに、唖然とした。そして、漆黒と光の工作を縫って、脚を水平に広げ、その脚の線を保ったまま(と表現するほかない)、舞台の奥からぐんぐん目の前まで迫ってきた時には、身体中が熱くなり、気がつけば涙が頬を流していた。

 よく、グラミー賞やアカデミー賞で大御所が登場すると、まるで決まり事のようにスタンディング・オベージョンが行われる。あれは一種の表敬で、単なる儀式に過ぎない、と今までミチルは思っていた。が、今は違う。人は、感動すると、その感動を、ありがとうを、舞台の上に届けたいのだ。何度カーテンコールを繰り返しても、割れんばかりの拍手は鳴りやむ気配がない。ミチルも立ち上がり、あらん限りの力で手を叩き続ける。どんなに拍手しても、これで十分、と手を休める気にはならなかった。(つづく)

 


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