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バレエ小説「パトロンヌ」(35)

ロイヤルのスケジュールでは、「ミスター・ワールドリーワイズ」の舞台が10月20日に予定されていた。リカが見るはずであり、世界中の人が期待していたその公演をキャンセルしてまで、甲斐が再出発の第一弾として急遽選んだのが、10月17、8日の両日に日本で行われるスターダンサーズバレエ団への客演である。リカは予約していたロンドン行きの飛行機を3日遅らせ、この公演を観た。
いくつかの作品の中で、甲斐が出演する唯一の演目「エリート・シンコペーション」は、ロイヤルで師事した振付家マクミランの作品でもある。否が応でも期待は高まり、そこに彼のこれからを占う何かを見出そうとした人は少なくなかった。客席は満員。普段なら日本のバレエ団の公演など見ないけれど、ロイヤルを退団した寺田甲斐が出演するから、寺田甲斐を観るだけのために足を運んだ自分のような人間も、きっと多いに違いない。

が、あにはからんやこの日最も輝いたのは、スターダンサーズバレエ団の主要ダンサー4人によるフォーサイスの「ステップテクスト」であった。彼らは技術的に高いレベルで作品を仕上げただけでなく、フォーサイス作品のアブストラクトな振付の意義を理解し、自分の言葉として物語った。音楽や照明とも調和し、作り手も踊り手も観客も、この難解だが素晴らしい作品の豊かさを、観客とも分かち合い味わおうという意欲に溢れていた。
また、甲斐が出演した「エリート・シンコペーション」にあっても、非常に魅力的だったのは「ベティーナ・コンサートワルツ」を踊ったペアであり、或いは「ジ・アラスカン・ラグ」の2人であった。やはりバレエ団生え抜きのダンサーたちだ。彼らは音楽に乗り、舞台の上で登場人物になりきって、はじけるほどに生きた。『日本人には表現力が足りない、てらいがある、アクションが半端』だなんて、いったい誰が言ったのか。客席の誰もがラグタイム流れるサルーンに居合わせ、一人ひとり印象的な男女の、それぞれの愛を唄う踊りに酔いしれた。
勿論、甲斐のジャンプは、そしてピルエットは、群を抜いている。初めて彼のバレエを見る人にとって、それは驚異だったに違いない。しかし、一つの舞台は1人のダンサーだけで作れるものではない。個々人の力量がさまざまに合わさった時にできるエネルギーの調和によってのみ、「一段上」の高みへと辿りつくことができるのだ。
 その意味で、一つのバレエ団が時間をかけて一つの演目に取り組む意義は大きい。この公演で披露されたのがすべて再演だったこともあり、バレエ団としての理解度の深さがうかがわれた。

全員が共通のコンセプトに従って動いている中で、一人だけ、微妙に解釈がずれていたダンサーがいた。甲斐である。(つづく)

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ライター、講師。シネマ歌舞伎上映前解説など、歌舞伎の見どころをわかりやすく紹介。舞台評、映画評、インタビュー記事などを執筆。「映画ライター養成講座」など、添削による文章指導も受け持つ。著書に「恋と歌舞伎と女の事情」(東海出版研究所)。https://nakanomari.net

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