バレエ小説「パトロンヌ」(46)

ミチルはこれまで、甲斐のアルブレヒトで何度も「ジゼル」を観てきた。最初は、全幕物に主演するということだけで舞い上がったものだ。ガラ形式の公演からバレエを見始めたミチルにとって、5分10分ではなく、甲斐を何時間も観ていられるのだから、夢のようだ。まずはそれだけで、十分幸せではないか。

ジャンプや回転が得意な甲斐にとって、全幕になっても見どころはパ・ド・ドゥやソロになるだろうとミチルは思った。「ジゼル」だと、それはクライマックスで「死ぬまで踊れ」と命じられる場面だ。夜の墓場をうろついていると、ジゼルのように処女のまま死んだ娘たちの亡霊”ウィリ”に捕まり、踊り死にさせられるのだ。全力で踊り、疲れ果ててもまだ踊らされる。「もうダメです、踊れません」と許しを乞うても、ウィリたちを束ねる妖精ミルタは顔色一つ変えず、「踊れ」と命じる。そうなると、体は意思と関係なく勝手に動いてしまう。そしてヘトヘトになって消耗して倒れてしまう。倒れても倒れても、ミルタは再現なく「踊れ」と命じる。
実際のダンサーにとっても大変なシーンだ。全幕物の最後で、消耗の激しい踊りを休みなく強いられるから「ヘトヘト」だろう。けれど一流のダンサーは、そこで「全力」感だけでなく、誰より高く、誰より速く、誰より美しく踊って喝采を浴びる。当然甲斐も、そういうバレエを見せてくれた。

けれど終わってみれば、ミチルの脳裏に焼き付いているのは、他の場面だった。
あの花占いのシーンである。

ジゼルの花占いが「この恋は叶わない」で終わりそうなのを察した時、甲斐のアルブレヒトは「見せてごらん」と受け取るや背中を向け、花弁の数を数えて密かに1枚ちぎって捨てると、何事もなかったように花をジゼルに返した。
「君の数え間違いだよ、ほら、”叶う”で終わるでしょ!」
よかったねー、僕たちの仲は永遠だよ、とジゼルと腕を組んで踊るアルブレヒトの顔は、どう見てもプレイボーイのそれに他ならない。その場限りのうまいことを言って、甘い微笑みで女を餌食にする。

ジゼルの恋は本物だけど、アルブレヒトの恋は遊びだ。

だから、ジゼルといるところを許婚であるバチルドに見咎められると、ちょっと困りはするけれど、「しょうがない」とでもいうように肩をすくめ、「ハイハイ、またおイタをしてしまいました。テへ」みたいな顔をして、バチルドに歩み寄り、恭しく手の甲にキスをする。それをジゼルがどんな気持ちで見ていようが、お構いなしだ。

(だって遊びだもん。ジゼルはいい娘だよ、農民ごっこも楽しかった。でも、所詮は住む世界が違う。世の中、そういうもんでしょ。)

アルブレヒトはそう割り切っていた。けれどジゼルは違った。そのことに思い当たったのは、ジゼルが死んでしまった後なのだ。

夜、白い花をたずさえて、アルブレヒトはジゼルの墓に行く。従者が止めるのも聞かず、うなだれて、ひとり夜の墓場へ。自分の浅はかな行動が1人の娘を死なせてしまったことに、彼は大きな衝撃を受けていた。(つづく)



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