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バレエ小説「パトロンヌ」(30)

 もし、翼を持つ人間がいるとしたら、こんなふうに空を飛ぶのかもしれない。彼は思いっきり地面を蹴り上げるわけでもなく、気持ちよさそうに両手両脚を広げ、ただ宙を漂っていた。時が止まってしまったのか? たしかに彼は、この地面からまっすぐ上に、上っていった。観客は皆、あごを思いっきり上げて彼の行方を追う。そして音もなく着地する。また跳ぶ。また浮く。今度はカニのように足を曲げ、あたかも見えない座布団ごと宙に放り上げられたように。そして着地する。勇壮な音楽に合わせて、しっかりと。しかし着地の音はない。ガゼルのように跳び、チーターのように着地。そしてピルエット(回転)。素速く滑らかに、摩擦や空気の抵抗で速度が落ちる気がしない。音楽が途切れなければ、永遠に回っていそうだ。脚を真横に伸ばしてコマのように、両脚をすぼめて錐のように。速度も緩急自由自在。

 ハッと息を呑むほど滞空時間の長い、甲斐のジャンプ。空を切るまっすぐな脚。左手を斜め上に伸ばし、右手の指先は軽く右肩に触れるポーズ……ミチルは目の前で起きていることを一つたりとも忘れないよう、食い入るようにみつめてすべてを脳にたたき込んだ。

 次はメドゥーラのソロだ。美智子は無邪気な妖精のようにくるくると回る。チュチュの裾が同じ曲線の上をリズムよく波打つ。そして天女のような微笑みを湛えて振り上げたしなやかな脚線は、頭の上まで伸びて、ぴたりと止まった。

(なんて可憐なの……)

 リカは、ロンドンで初めて観た「バヤデルカ」の舞台を思い出した。あのとき、恋に破れたニキヤに自分を投影しながらも、一方でガムザッティの美しさから目が離せなかったことを。

(ニキヤ役のバレリーナの方が、上手かったかもしれない。でもガムザッティを踊ったバレリーナにも、あふれんばかりのエネルギーがあった。このメドゥーラを踊る娘(こ)もそう。さっきのプリマの方が巧いけど、でも、彼女も素敵。それは何?……若さ?)
 
 コーダ。甲斐は大きな見えないバルーンにしがみついてポーン、ポーンと地面を跳ねていくように、両腕両脚を広げながらジャンプしては回転し、ステージ上を一周した。それは「バレルターン」という名の技だ。バルーンではなく、バレル=樽を抱いて回るという感じのネーミングだろう。タタン、タタン、とテンポよく両脚を1回ずつ踏みしめるだけで、どうしてあのようにふわりと体を浮かせることができるのか。ところが甲斐は、さらに最後、1回転どころか1回転半して着地した。540(ファイブ・フォーティー)と呼ばれるその大技は、ジャンプ力だけでなく、強靭な体幹がなければ不可能な、超絶技巧である。

 最後に美智子が合流すると、彼らは柔らかな笑みをたたえながらもスピードを、切れの良さを、お互い楽しむように競い合った。美智子が足を替えずに見事な42回転のグラン・フェッテを披露すれば、甲斐も負けじと高速ピルエットを見せつける。のびやかさ、速さ、正確さ。その渦の中心から、眩しい黄金の光線が放射されたように見えた。

 命の輝き。

 伸び盛りの2人は、若さという名のきらめく布を一枚まとって、スーパースターたちと肩を並べ、そして彼らを越えようとしていた。(つづく)


 

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