統合失調症体験談〜閉鎖病棟編〜

こんにちは、がむです

今回は僕が閉鎖病棟にいた話を書いていこうかと思います。

ちなみにこの記事は前回の続きになっておりますので、よろしければ前作統合失調症体験談〜入院から急性期まで編〜もあわせてご覧ください。

まず最初に、隔離室と閉鎖病棟って何が違うの?という方のためここで少し解説しておきます。
精神科病棟は主に2つの病棟が存在します。

病棟の入口が施錠されておらず、日中であれば患者さんは自由に外出できるという病棟が、開放病棟と呼ばれるところです。

逆に、常に出入口は2重扉で閉鎖されており、許可がないと外出ができない病棟を閉鎖病棟といいます。
この閉鎖病棟の中にあり、症状の重い方が療養するために入る場所が隔離室となっています。

僕は入院して隔離室にいたのですが、2週間ほどして閉鎖病棟に移動になりました。

病棟では主に一人部屋と四人部屋があって、僕は最初に一人部屋に通されました。

あの時僕は、やっとつらい隔離室から出れた!という安堵感と、きれいで広い部屋を一人で使っていいの?という喜びでとてもテンションが上がった記憶があります。

ここから、僕の閉鎖病棟生活が始まるのですが、基本的に隔離室から出ても調子が悪い日が多かったです。

ここで改めて、僕の病気の症状についてお話します。

発症から一番ひどい時期までは幻覚と妄想に支配されていました。

白いオーブのようなものが見えるといった幻視や、腐った卵のような臭いがする幻嗅、リスパダールという苦い薬が甘く感じるという幻味等がありました。

統合失調症は「殺してやる!」といったネガティブな幻聴が主な症状になってくるのですが、僕はそういったものはあまりなかったですね。

また妄想に関しては、ほかの人間の気持ちや感情が自分の中に入り込んでくるといった妄想や、幽霊に取りつかれる!といった妄想がありました。

統合失調症の妄想は普通の妄想とは違い奇天烈で訂正不能であることが特徴としてあって、僕も例外ではありませんでした。

この病気は一日の中で調子の波があり、調子が悪い時僕は、決まってあることをやっていました。

ということで、調子が悪かった時にしていたことをご紹介します。

まずは隔離室にいたときからやっていたことなんですが、「ありがとう」とか「愛しています」とかポジティブなことを言うことです。

これは、僕が前職を辞めてすぐの時、自己啓発にハマったことがあったのですが、とあるyoutubeの動画で、「いい言葉を言うといいことが起きる」と言っていたのを思い出したのでやっていました。

それに加えて、「何か叶えたいことがあるときは、○○が叶いました。といったように過去形で願望を口に出すといい」とも言っていたので、僕は「統合失調症が治りました。ありがとうございました。」と口に出していたこともよく覚えています。

それともう一つ、閉鎖病棟に移動してしばらくしたらスマホの使用許可が下りるのですが、スマホで除霊動画を探しては、再生していました。

この二つをほぼ毎日やったおかげか、徐々にですが病気の症状が回復していきました。

やはり、自分の病気はどうせ治らないと思うより、ポジティブな言葉を自分に投げかけることは精神衛生上良いのかもしれませんね。

さていよいよここから閉鎖病棟の体験談を書いていこうと思います。

まず断っておきますが、僕は病状が重かった関係上、あまり人と関わっていません。そのため、誰々とこんな話をしたとかは少ないので期待していた方がいればすみません。

しかし交流が少ない中でも入院中、仲の良かった方が2人います。

一人は40代の男性のT男さんでもう一人が20代後半の女性のA子さんです。

この2人は僕より先に退院してしまうのですが、それまではずっと交流がありました。

なぜ仲良くなったのかはあまり覚えていませんが、気が付いたら話すようになっていましたね。

2人とも双極性障害を抱えており、その症状にとても苦しんでおられるようで、それによるトラブルはなかったものの、今辛そうだなというのを察し、話しかけないということありました。

ここでこの2人との数少ないエピソードをご紹介します。

まず一つ目は、3人で広間にいるときに、僕がamazarashiというバンドの「僕が死のうと思ったのは」の歌詞の一部を口ずさんでいました。A子さんがそれって何の曲?と聞いてきたので「僕が死のうと思ったのは」っていう曲ですよと答えます。

すると二人は持っていたスマホを取り出し、youtubeで調べて聞き始めました。

聴き終わった二人は「あっいい曲だね」の言ってくれて自分が好きな曲が人にも刺さった!と思いとてもうれしく思ったことを覚えています。

ちなみにその曲の歌詞の一部をここに載せておきます。
「僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから 死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから」

そんな2人とのエピソードでしたが、入院中連絡先を交換するのは禁じられていたため、その後2人とは会っていません。

さて、そんな数少ない人との交流の話でしたが、まだ他にも入院中の出来事はありますのでご紹介します。

病棟の広間ではOTと呼ばれるレクリエーションの時間が定期的に開催されるのですが、そこではぬりえや習字、折り紙などをやっていました。僕は基本的にぬりえをやっていましたが、気が向いたときに習字もやっていた事を覚えています。

完成したぬりえなどは看護師さんに渡したりしていました。

習字に関して言うと、「光」とか「希望」とかの言葉を書いて魔よけの意味を込めて病室にペタペタ張り付けたことがあります。

もちろん先生から、はがしてねとやんわり怒られましたが…

さてもう一つのエピソードをご紹介しましょう。

先ほど広間では定期的にOTが開催されると言いましたが、もう一つ、不定期ですが開催されていたことがあります。

それは心理教育と呼ばれる勉強会です。

心理教育というのは精神疾患に対して正しい知識をつけてもらうことを目的した講義です。

たとえば、統合失調症という病気は幻覚や妄想が出るといったことや、うつ病というのは気分が落ち込んでしまう症状が出るといった基礎知識を教えられます。

僕は病状が軽くなったということで、この心理教育への参加が許可されました。

最初は、人が多い中長時間座ってられるかなという懸念がありましたが、1回目、2回目は調子が悪くなることなく終えることができました。

しかし3回目の心理教育の際に、周りの参加者さんの気持ちが読み取れるという妄想が出てしまい、講義中は何とか我慢したものの、終わった後に自室で大きな声で歌ってしまいました。
すぐに先生や看護師さんがかけつけ、僕はすぐに隔離室へ移動することになりました。

その時の僕は、自分が完全に霊に取り憑かれていたとばかり思いこんでいたため、最初は「霊を除霊すれば大丈夫だから隔離室へは行きたくないよ」と懇願した覚えがあります。

2度目の隔離室ですが、最初の隔離室生活と比べ落ち着いており、そこまで大変だった記憶はありません。ただ、元気になり食欲が戻ってきたせいか、病院食だけでは足らずに四六時中腹を空かせていましたね。

また、夜は強烈な孤独感にさいなまれ、寂しすぎて一人泣いてしまった時もありました。

そんなこんなで1週間が過ぎ、隔離室から出られることになりました。

隔離室から出てしばらくは個室だったのですが、ほどなくして四人部屋に移りました。

四人部屋は気を使うし、うまくやっていけるかなと、とても心配しました。

その心配が当たったように僕はすぐに四人部屋の洗礼を受けることになります。

僕は昼くらいに移ったのですが、僕の隣の隣のベッドの人がずっと独り言をつぶやいていました。
おそらく彼も統合失調症の症状に悩まされている一人だと思うのですが、僕にとってはとても不快に感じられました。

夜になってもその独り言がやむことがなかったので、僕はその日のうちに看護師さんに、「同部屋の人がうるさくて頭がおかしくなりそうです」と相談しました。すると「今日中には対処は難しいけれど明日になればなんとかします」といわれましたね。

翌日、昨夜看護師さんが言っていたように独り言の多い彼は個室に移動になりました。

何とか一安心かと思いきや、ここから僕の病状は不安定になっていきます。

個室にいたときもそうでしたが、基本的に調子が悪く、ずっとベッドで寝ていました。また夜に病状が悪化する確率が多いため、調子が悪すぎて晩御飯がのどに通らないこともしばしば。

これを先生に相談したら、薬が増えてしまいました。

増えたことによって病状が安定したのかというとそうではなく、逆に夜足がむずむずしてしまい、睡眠薬なしでは眠れないという副作用が出てしまいました。

これではだめだということで、ずっと使っていた【インヴェガ】から【オランザピン】という薬に変えてもらいましたね。

変えてもらう際に先生から「太りやすい薬だけど大丈夫?」と言われましたが、僕はやせていたこともあり、まぁ大丈夫だろうと思って二つ返事でOKした記憶があります。

オランザピンに変えてからというもの、僕の病状は劇的に改善しました。

足がむずむずすることがなくなり、動悸や妄想といった症状は少なくなりましたね。

しかし、いかんせん無気力で何をするにしてもおっくうになってしまいました。
また薬を変える前より、さらに睡眠時間が増え、半日以上寝てしまうこともざらです。


この頃、薬を変えたことだけでなく、友人がお見舞いに来たり、外出、外泊訓練が許可されたりと、うれしいことがたくさん起きた時期でした。

まず、友人が来たエピソードから話します。

僕は閉鎖病棟でスマホが許可されたタイミングでLINEのタイムラインにて、精神科に入院しましたということを書きました。
それを見た中学からの友人が心配してくれて、はるばる病院まできてくれました。

お見舞いには2人の友人が来て、面会室でいろんなことを話しましたね。

僕は人との交流をあまりしていなかったため、友人との久しぶりの会話はとても楽しく、また自分のことを気にかけてくれる存在がいること気が付いて、涙が出るほど嬉しかったです。

友人とは面会が終わる直前に、退院したら一緒に遊ぼうな!と約束して別れました。

ちなみに、この友人2人は今でも交流が続いています。

次に、外出、外泊訓練の話をしたいと思います。

外出訓練や外泊訓練というのは、その名の通り入院中の患者さんが、退院するまえに外出をして外の世界に慣らしておくことを言います。


ほかの患者さんを見ていると自分一人で図書館に行ったり、自宅に戻ったりしているようでしたが、僕は、最初のうちは必ず親と同伴で外出をしていましたね。

1回目の外出は病院の近くにあるファミレスで食事をしました。

少し調子が悪くなったりもしましたが、頓服(調子が悪くなったときに飲む薬)を飲んでなんとかその日は無事に病院へ帰ってくることができました。

そして2回目の外出は、僕の自宅に行きました。まぁその時実家暮らしをしていたので、正確には母親の家なんですがね。

ちょうど外出する日は、年が明けて3日くらい経った頃だったので、自宅近くのお寺に行って初詣をしました。

もちろん自分の病気が治りますようにと願いましたね。

その後、自宅に行きゆっくりして過ごしました。その時に少し妄想が出てしまい、家の四隅に盛り塩をしたりして、母親を困らせてしまいましたが、特段発狂することもなくその日のうちに病院へ戻ることができで良かったです。

余談ですが後日先生に、「なんで部屋に塩なんか撒いたりしたの?」って問い詰められ、「念の為にやったんです!」と言ったらなんとか薬を増やされずに済ました。

あのときはさすがの僕もひやりとしましたね…

そして退院間際になってくると、外泊の許可がおります。

外泊先はもちろん僕の家なのですが、その時ばかりは親は仕事の関係上、迎えに行けないとのことだったので、僕は一人で自宅に向かうことになりました。

もうこの時期なってくるといくらか症状が抑えられ、バスや電車に乗った際にも、他人が自分のことを悪く思ってるなどの妄想は出ず、家に向かうことができましたね。

家では横になったり、母親の手料理を食べたりして平和に過ごせました。

家に帰った時、そういえば昔小さいラジオ受信機を買ったなと思って、収納棚を探したら見つけました。
暇を持て余していた僕は、それを病棟に持ち帰り、それからというもの日中はずっとラジオを聞いていましたね。

外泊訓練が終わった後、しばらくしてから僕は開放病棟の個室に移ることになりました。

僕は「また個室に移ることができるんだ!」と思いとても喜んだ記憶があります。

ここから開放病棟編がスタートするのですが、開放病棟にいたときは、とても短期間かつ、そこまでの思い出もないため、さらっと流していこうと思います。

開放病棟では前述のとおり、日中はいつでも外に出られるのですが、僕はその権限を行使せず、ほとんどベッドで横になっていました。閉鎖病棟にいたときはOTに参加していましたが、ぬりえや習字をする元気すらなくなってしまって、看護師さんからOTへの誘いがあった時にも断っていましたね。

そんな無気力な僕ですが、退院後どうするかについて、先生や担当の精神保健福祉士さん(精神疾患の人に対して福祉や行政のサービスを案内し、手助けをする人)と話し合いました。

病院では【デイケア】と呼ばれる精神疾患を抱えた人が日中に活動する施設があるということを知り、入院中にデイケアがどんなところか体験しに行くことになりました。

デイケアでは前述した心理教育のような座学を体験しました。
1コマ1時間半あるのですが、開始10分くらいで集中力が切れてしまい、全然話を聞けなかった記憶があります。

3回くらいデイケアを体験したのち、退院後入所することになるのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。

入院して3ヶ月、とうとう退院する日が訪れます。退院する1週間前にそのことが告げられ、退院時には母親が迎えに来てもらうことになりました。

そして退院の日、母親に連れられ病院の窓口で病院の諸経費の支払いがありました。

支払いといっても、僕は入院して2ヶ月くらい経った時から、母親が生活保護を申請してくれていたため入院費が全額無料で済みました。

その後はゆっくりとこれからの人生に思いを馳せながら家路につくのでした。

これにて統合失調症体験談〜閉鎖病棟編〜は終了です。

前回の更新からだいぶ遅れてしまって申し訳ないです。

余談なのですが最近薬が増えて、その副作用により体調が悪い日が続いていました。

そんな中でも毎日noteは書き続けなければと、執念で書きあげましたね。

そんな心血を注いで書いた僕のnoteを見ていただき本当にありがとうございました!

まだこの他にも書きたいことが色々あるので無理のない範囲で書いていこうと思いますので、次回の配信をお楽しみに!

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