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【ネタバレなし】エヴァンゲリオンと私

 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||が2021年3月8日に公開された。
 当初公開予定とされていたのは2020年6月27日だったけれど、その後2021年1月23日に公開延期となり、緊急事態宣言によりさらにひと月半再延期となった末の公開だ。
 平日にもかかわらず公開日初日の観客動員数は約54万人、興行収入は8億を超えたというから、文字通りファンの”待ちに待った感”が窺える。


 かくいう私も例に漏れず、中学生の時分に兄の録画していたTVシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」と出逢って以降のファンだ(当時はまだVHSだった)。新劇場版は学校だったか部活だったか習い事だったか、用事をサボって観に行った記憶がある。
 オタクが多い中高一貫の男子校に通っていたこともあって、考察し議論し合える友人に恵まれたのは幸運だった。新劇場版:Qをみんなで揃って観に行って、全員頭を抱えて劇場から出てきたのは、8年経った今でも良い思い出だ。確かまずは出てきた使徒の数をみんなで整理するところから議論をスタートさせた記憶がある。


 金曜ロードショーでもこれまで2回、新劇場版:序 :破 :Qが放送されているが、たとえ未視聴であっても「残酷な天使のテーゼ」「綾波レイ」「逃げちゃダメだ」くらいのワードは世間一般に浸透している(という認識なのだけど合ってるかな)。エヴァは実に四半世紀という長い期間、日本のオタクカルチャーの最前線を走っており、その長さゆえに幅広い層のファンとアンチを生み出していった。

 そのエヴァンゲリオンがようやく”終劇”を迎えた。庵野監督やスタッフには本当に長い間お疲れ様でしたと、心から拍手を送りたい。
 この記事内で内容に触れることは避けるし、(後述する他の理由もあり)「良かった」とか「悪かった」とかすらもネタバレに繋がってしまいかねないので言及はしないけど、25年間の集大成と呼ぶに相応しい作品だった。


 脚色なく、自分はこれまで「エヴァの完結を見届けるまでは死ねない」という強い思いとともに生きてきた。本当に辛い時や軽く落ち込んだだけの時も(いや、まだエヴァ観れてへんしな…死なれへんな…)という思いでもって踏ん張れていた。
 その支えが失われてしまったという意味では正直少し不安がある。
 まだ公開されて日が浅いので喪失感はそれほど強くないのだけれど、”終わってしまった”という感覚はずっと心の奥底の方に静かに根を張っており「また延期かよw」「いつになったらエヴァの呪縛から俺たちは解放されるんだ。。。」と愚痴をこぼしていた頃が一番楽しかったようにすら思える。大切な人がいなくなってしまった時のあの寂寥感に似たものがある。

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(久保帯人『BLEACH』より引用)


 自分はTwitterから世の中のだいたいの情報を得ている人間なので特にそう感じるだけかもしれないが、結構多くの人が「生きて完結を迎えられた」だとか「なんとか死ぬ前に観れた」だとか「数年前に死んだ〇〇にも見せたかった」だとか、この度のエヴァ完結と「死」や「生」とを結びつけた投稿が公開直後に多く見受けられたように思う。
 「そりゃ25年もやってりゃ死が頭によぎる人も、実際に亡くなる人も中には出てくるわい」と思ってしまうのだけれども、それでもこの作品にはファンの「生きること」あるいは「死ぬこと」と深く結びついている何かがあるように思う。
 それはファンの愛とも言えるし、エヴァの呪いとも言えるし、庵野監督の執念とも言い換えられる。


 みそしるさんという方のnote(ネタバレあり)で、こんな記述があった。

 シン・エヴァを観るということは、エヴァの葬式に参列するということだ。(中略)だとすれば葬式をこと細かく「良かった」「悪かった」と評するのは、いささかマナーに欠けるだろう


 私たちは幸運にも、晴れてエヴァの死を見届けることができたわけだけど、まだまだ人生は続いていくし今後もたくさんの作品に出会って、終わりを見届けていく事になる。ONE PIECEもHUNTER×HUNTERもはじめの一歩も喧嘩稼業も完結していない(「進撃の巨人」はもうすぐ終わるけど)。
 長く楽しめる作品というのはそれはそれで価値があるのだけれど、一方でエヴァのように亡霊のような中年ファンを生み出したり、作者との生涯をかけたチキンレースとなるくらいなら、いっそ3〜5年くらい(漫画なら20巻前後)で終わって欲しいとも思う。名作の完結(完成)を見れずに死ぬのは、やっぱり辛い。



追記:
ネタバレありでも語りたいので、みんな早く劇場に観にいって欲しい。

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