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2021年9月に読んだ本

 先月はありがたい縁もあって、色々と普段触れない本や考えに触れることができた。


 加えて、9/25には文学フリマ@大阪というイベントにも行ってきて、刺激がめちゃくちゃあったので、それもまた折を見て記事に書きたいと思う。(最近本のことばっかになってきたなぁ)


 なんだか止まっていた交流が、第5波が小さくなるにつれて少し動き出したようなそんな感覚を得られた。


 ”イドコロ”的に利用している近所の居酒屋も営業を再開し、まだまだ(大阪は特に)気を緩める段階ではないんだけれど、やや社会がポジティブな方向に動き出しているような気がする。


 いつ来るとも分からない第6波に戦々恐々とはしながらも、感染対策しながら今この時間を大切にしていきたい。


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2021年9月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1502ページ
ナイス数:219ナイス


■エミール 上 (岩波文庫)

 自分が教育学部に在学してた時から読んでみたかった、250年前の教育論について述べた名著。
 ──ある教師がエミールという一人の平凡な人間を、誕生から結婚まで、自然という偉大な教師の支持に従って、いかに導いてゆくかを小説の形式で述べていく──
と表紙にはあるが小説を読んでいる感覚はほとんどなく、観念的な話と作者の空想が入り混じる、非常に読み進めるのが辛い作品であった。
 当時の社会的背景もあろうが筆者の優生思想やステレオタイプなジェンダー意識が頻繁に顔を覗かせあまり賛同できない箇所が多かった。
 中下巻は読むことはないかもしれない。

読了日:09月06日 著者:ルソー


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■群衆心理 (講談社学術文庫)

 NHKの番組「100分 de 名著」でも今月取り上げられている本作を手に取ってみた。1895年にフランスで発表された本作の原書は、19世紀に起こったフランスでの革命や宗教改革、政治的動乱を念頭に大衆の心理やそれを煽動する指導者について考察を深める構成となっている。
 翻って本著が発行された2017年はドナルド・トランプ氏が米大統領に就任した年であり、彼の発言を盲目的に信じる支持者が、本作に何度も出てくる表現「野蛮状態のまま放任されている群衆」に重なった。

読了日:09月18日 著者:ギュスターヴ・ル・ボン



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■ル・ボン『群衆心理』 2021年9月 (NHK100分de名著)

 米議事堂を占拠した"群衆"の存在=Qアノン信奉者。トランプもまた”野蛮な群衆”を巧みに扱う指導者であった。日本で言うとオウム真理教の一連の騒動を思い出す。テキスト内に書かれていた”催眠術にかかったかのように意識的行動が取れなくなった人たち”がもたらした惨劇が地下鉄サリン事件だったのかもしれない。学歴とか頭の良さとかは関係ない。これは昨今のネットワークビジネスに傾倒する人々にも同じにおいを感じる。。。
 本作を読んでフランク・パブロフ著『茶色の朝』を思い出した。「茶色以外のペットは処分するように」という法律ができて、違和感を持ちつつも無批判に過ごしていた主人公が、そのうち「過去に茶色以外のペットを飼っていた人間も処分する」という法律ができてしまい、(あぁ、あのとき抵抗していれば、、)と後悔するお話である。「自分には関係ないや」と無批判に過ごしていると痛いしっぺ返しを喰らうことになる。当事者意識こそが重要なのだろう。自分たちも”群衆”になりうるし、事実なっている。そのことを忘れてはならない。

読了日:09月18日 著者:武田 砂鉄


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■貝に続く場所にて

 第165回芥川賞受賞作。──午後二時四十六分、と野宮は呟く。静かな透明の声。遠近法の消失点が置かれた時間。引き裂かれた時と場所を想う。──コロナ禍のゲッティンゲンが舞台だが、三月の東北が舞台とも20世紀初頭の月沈原が舞台とも言えてしまう不思議な文学作品。
 この不思議な感覚はインドを舞台にした第158回芥川賞受賞作、石井遊佳著『百年泥』にも通ずるところがあって、異国情緒溢れるというか現実と非現実の境界が曖昧になる奇妙さがある。
 背中から歯が生える。

読了日:09月20日 著者:石沢 麻依


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■夜と霧 新版

 アウシュヴィッツから生還した精神科医/心理学者が被収容者の生々しいまでの姿とその環境下で現れる人々の心境の変化を緻密に描く。良心を喪い、せん妄に苛まれ、仲間の痛みや死にも無関心になっていく。そんな中で著者が忘れなかったのはユーモア、人としての尊厳、そして精神の自由であった。
 ──人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない──
 我々は生きることの意味を考え、自分自身に問い続けなければならない。

読了日:09月22日 著者:ヴィクトール・E・フランクル


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■NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

 ギリギリの状態にあってユーモアを忘れない気概、大切にしたい。作品の中では「煙草」の描写が印象的だった。御歳96歳になる祖父もよく戦時中の煙草の話をする。被収容者にとっては”生き延びることを断念して捨て鉢になり、人生最後の日々を思いのままに『楽しむ』ということ”とあるように人生最後の一瞬を愉しむ為の装置だったようだけれど、祖父にとっては辛い戦場で何とか生き延びるための活力となっていたようだ。
 学術書の原稿を持ち込もうとしたり、収容所生活中も速記で書いたり、フランクルは学問に対する熱量がすごい人だったのだなあ。。。
 奥さんのことを凄い愛していただろうことがビシビシ伝わってきて辛いものがある。本編で語られていた「収容所で唯一の心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ。」は自分自身のことを説明している。

 私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
ヴィクトール・E・フランクル著,池田香代子訳『夜と霧 新版』

 NHKテキストを読んで、旧版の『夜と霧』も読んでみたくなった。



読了日:09月24日 著者:諸富 祥彦


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■彼岸花が咲く島

 第165回芥川賞受賞作。タイトル通り「彼岸花が咲く島」に漂着した、記憶を無くした少女が主人公。その島の人は少女が住んでいた国と似た言語を話す民族だった。漢語の混ざった「ニホン語」と、日本語とほぼ同じ「女語」の2つの言語が併存する〈島〉の中で少女の心の拠り所となったのは漂着した彼女を救出してくれた少女・游娜(ヨナ)とその友人・拓慈(タツ)。彼らは村の指導者的ポジションである「ノロ」となり島のルールを変えることを企てるが、、、
 少年少女の奮闘記のように見えて、今の日本を象徴するような男性優位社会を痛烈に批判する内容で読み応えがめちゃめちゃあった。

読了日:09月27日 著者:李 琴峰


▼読書メーター
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