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映画記録「ケイコ目を澄ませて」

明けましておめでとうございます。
気づけば2023年。

コロナ渦中の仕事は大晦日まで仕事があるような職場だったので
今年は年末年始の休暇もあり、外出も少なく人生で1番落ち着いた年末だったかもしれない。
動くこと、出かけることが好き、だけど自分の時間も大事にしたいような・・
やみくもに人と会うというのも・・・となんだか人との距離とか、過ごし方とか
なんか少し整理したいような、見つめたいような、ただただダラダラしていたいような。
大晦日も大掃除をして、そのまま紅白を見るなどしつつ食事をとる
穏やかに、(勝手なイメージでは)昭和のような大晦日を満喫。
悪くない、良いよね。

そんな年末を踏まえて・・・感じたり、考えたり、いろいろ吸収しつつ、
好きなことや思うままに、動きだしていきたい(©︎ラヴィット)的な
1年にしたいと思い年末タイミングを逃してしまった「ケイコ、目を澄ませて」を元旦から見てきた。

私の見たいと思ったきっかけは、オードリー若林さんのインスタ。
【ケイコ】という1人の女性のドキュメントを見ているような感覚だった。
耳が聞こえるとか、聞こえないとか関係なく。
人間だれしも1人だと感じたり、これからどうしようって悩んだり
信頼したり尊敬できる人と出会えるかどうかとか。

ただ、電車音(とか生活音)とか、何気ない日々の日常には
こんなにも音があるのか…これらの音はケイコは聞こえないんだな…と。
日常の1シーン1シーンで、【音がない】生活の日常がどういうことか、
ほんの一部ではあるけど、考えさせられた。
コロナ禍がもたらした影響というのが、分かりやすく伝わってきた。

【音がない】ということを想像することは出来ても、わかることは絶対に無い。
そもそも、自分以外の人間をいろいろ想像することは出来ても
分かることは出来ないし、分かったような気持ちにならないように気をつけようって思った。だって、分かりっこないんだから。
だからこそ、思いやったり、想像したり(それ故にすれ違ったり、勘違いやり、悩みも尽きないのだが)しながら、
会話をしてくためのコミュニケーションが存在するんだろうね。

自分の理解者が居るのは心強くありがたいことでもあるけど、
自分の思ったり感じたりしている事と違うことで、分かったようにされるのは
すごく苦痛だと感じることがあったから、ついそんなことを考えた。

音、文字の使い方、表現としてすごく丁寧に作られていると感じつつ、
言葉がない分、どう受け止めるかはあなた次第よって言われているような緊張感
見逃さないよう、こぼれ落ちないように、目を澄ませて耳を澄ませて見た。

「SMALL,SLOW BUT STEADY」
2023年、小さく、ゆっくり、でも着実に、日々を積み重ねていきたい。

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