つとめて冷静沈着に「新世代『メタルマックス』シリーズ」プロジェクトに対する不安や苦言を述べる

新世代『メタルマックス』シリーズ発表

先日、「新世代『メタルマックス』シリーズ」3作品についての発表がありました。それを見て感じたことを淡々と書き連ねていきます。

実のところ、『メタルマックス ゼノ』をプレイした後、ブログにレビューを書こうと思い、書きかけたことがあります。そのときのことも思い出しながら今回改めて『メタルマックス』シリーズに感じていることを書こうと思います。

『メタルマックス』と俺

私は1991年のファミコン版初代『メタルマックス』からリアルタイムにプレイしてきました。当時、何の気なしに偶然このゲームに出会えたことはラッキーだったと思います。

『メタルマックス』の何がすごかったか、というのはあらゆるメディア、Webサイトで語り尽くされているのでいちいち深くは語りませんが、やはりプレイヤーの自由にできる、プレイヤーの探究心に応えてくれるコンテンツがふんだんに用意されている、というところがよかったと、今思えばそう考えています。

元々、いろいろなゲームが好きなので、「代わりはいくらでもある」という観点から、ひとつのタイトルに猛烈に入れ込むことはあまりなかったのですが、それでも『メタルマックス』シリーズはそこそこ思い入れがあるタイトルではあります。

初代1をプレイし、その後スーパーファミコンの2も発売当時に購入。『リターンズ』は確か中古で安くなってから購入した記憶があります。GBA版のリメイク『2』は、前に遊んだしってことでスルーし、間を空けて『メタルサーガ』のPS2版、DS版はともに購入しプレイ(どちらも未クリア)。ケータイ版、スマホ版は、求めるものとは違うだろうとスルーしてDS版の『3』をプレイ。その後『2リローデッド』と『4』については、『3』でほぼ満足してしまったのでスルーしています。そして件の『ゼノ』も発売日に購入し、トロフィーコンプリートまで遊びました。そういう意味では、この28年のシリーズの歴史にほぼ寄り添う形ではプレイしてきました。

『メタルマックス ゼノ』と俺

『ゼノ』が発表されたとき、その前の『4』から(スマートフォン作品は除き)4年ほどの間が空いていましたが、それほどの驚きは感じませんでした。長いシリーズを持つタイトルが久々にリブートされる、というのは、今のゲームシーンでは珍しいことではありません。

トレイラーをご覧になった方はわかるかと思いますが、基本的にはプレイヤーキャラクター、戦車、敵モンスターの紹介がほとんどで、フィールド(特に町)、ゲームシステム、ストーリー(カットシーン)の紹介に関してはほとんどされませんでした。ゲームのトレイラーでフォーカスされないということは「その部分ではアピールできることがない」というのとほぼ同義です。その点からも、今作がどういうゲームなのか、事前にある程度推測することはできました。

シリーズとして旬を失ったタイトルがリブートする際に、それほど予算や労力をつぎ込めるケースというのは稀だと私は思っています。大きなバジェットを投入できるほどの勝算があるタイトルならば、そもそもシリーズが長期にわたって止まることはありません。そういったタイトルをリリースする目的は「ある程度話題性のあるタイトルを使うことで、タイトルブランドを作り上げるための期間と予算を節約しつつ、少なめの予算でそこそこの結果を出す」という下心…もとい、手堅さが大半ではないかと思っています。

実際に遊んだ『ゼノ』はトレイラーを見て感じたその予感が的中した内容でした。感想としては「期待も不安もほぼ思っていた通り」という感じでしょうか。
シリーズを長く遊んでいる方は分かるかと思いますが、『ゼノ』は、本来『メタルマックス』シリーズが持つRPGの面白さの柱のうち、一部だけを選択して残りの柱を捨てたようなタイトルです。具体的には、「戦車の強化、カスタマイズ」と「戦闘メカニズム、賞金首(強敵)との戦闘」という2本の柱を残し、それ以外の「オープンワールドの探索」や「大破壊後の荒廃した世界について想像を広げる」といった要素はほぼスポイルしています。

『ゼノ』のゲームデザインの必然性

少し話は飛びますが、RPGというのは制作するのに結構な予算を必要とするジャンルだと私は思います。もちろん、削ろうと思えば削ることはできますが、そうすると、素人目にも如実にそれがわかってしまいます。
予算が一番かかる筆頭としてはカットシーン(イベントシーン)、ボイスがあり、続いてステージモデル作成、キャラクターモデル、モーション作成と続きます。シナリオや世界観構築もそれなりに時間と人材を要する作業でしょう。逆に、2Dグラフィックス(止め絵のイラスト含む)、テキスト作成やゲームデータ作成は、ある程度のマンパワーでどうにかなる部分だと思います。

『ゼノ』のゲームデザインは、上記の予算削減の観点では非常に理にかなっています。
まず、主人公達は「人類の最後の生き残り」ということになっています。こうすることでそれ以外のNPCをほぼすべて作らなくてもよくなります。キャラクターモデル、カットシーン、ボイスは不要になり、シナリオ的な掘り下げも不要になります。
これに関連して、過去のシリーズ作ではたくさんあった「街」と呼べるスポットがなくなりました。RPGにおける「街」というのは、ストーリー、キャラクター、世界観、新しい遊びが凝縮した言わば「見せ場」であり、プレイヤーがもっとも楽しみにする場所だと思いますが、これを廃しました。
シナリオも、開かない扉を開けるためのキーを入手しながら先に進み、最後の兵器を倒すだけ、という至ってシンプルなものです(初代もほぼそんな感じでしたが)。ただ、過去作と違い、様々なダンジョンや街で得られるフレーバーテキストやNPCの会話などからうかがい知れる、敵となる相手のバックボーンや世界観を知る要素がほとんど削られているため、そういう点において最終目的地を目指すモチベーションというのは過去作よりも低いです。

ネガティブなことを並べましたが、その代わりに、戦車を強くして賞金首と戦い、得られたお金でさらに戦車を強くする、といったゲームサイクルの部分については、きちんとこれまでの『メタルマックス』の面白さを引き継いでいると感じました。(逆にこれが全然できていなかったのが『メタルサーガ』でしたがそれはさておき)
極端な話、これらの要素がもともとのRPGのプリミティブな面白さであることは、『ウィザードリィ』のようなクラシックRPGが証明しています。

『ゼノ』は、私にとってはこのように『メタルマックス』の一部の血は引き継いだ亜流のゲーム、といった印象でした。

新世代『メタルマックス』シリーズって?

新世代『メタルマックス』の話と銘打って、ほとんど『ゼノ』の感想に費やしてしまいましたが、先日の発表についてです。

『ゼノ』が先述の通りの出来でしたので、ファンにとっても大喝采で迎えられた、というわけではありませんでした。それでも熱心で心優しいコアなファンにより一定の利益は出たようで、次作につながる道は出来たのは素直に喜ばしいことでした。

課題も多く残ったタイトルですので、前作からの反省点も活かしつつ、これからまたシリーズブランドとして育て直していく、というくらいの話であればよかったのですが、「2年後の2021年に向けて同時3作発表」とは、ずいぶんファンをナメたことをしてくれるなというのが、第一報を見た率直な感想です。

そもそも、同時3作発表などというのは、ファミコンやスーパーファミコン時代などに見られた、ゲーム開発に計画性のあまりない時代での話題性先行の「飛ばし」のような話です。
有名どころではスクウェア(当時)の『ファイナルファンタジーIV』、『V』の同時発表、さらにスクウェア・エニックスになってからの『FF XIII』の一連のシリーズがあり、どちらも途中で発売中止や計画変更がされています。その他にも「○○編」と銘打たれたゲームは大抵続編が出ていなかったりします。それくらい、「同時並行複数タイトル開発」というのはいい印象を持たれません。

作り手からしても、どんな人気作にせよ「これが売れなかったら次はないかもしれない」といった気概で(実際のところは置いておいて)全力で開発に臨むのが、遊んでくれる、買ってくれるユーザーへの誠意だと思います。
プロの世界ですから、野球選手のように、次の大事な試合で本気を出すために、あえて力を抜いて肩慣らしのつもりでやる、なんてこともあるかもしれないですが普通はそんなことはしませんし、そのことを、観に来てくれた、応援してくれるファンの方に見せるのは非常に誠意を欠きます。

それだけでも随分と不信感を煽る発表だと思ったのですが、『ゼノリボーン2』とは一体なんでしょうか。もともと1本のゲームのリメイクするのに2本に分ける理由などありません。それをわざわざ2本に分かれるというのは、「半分までしか作る時間と予算がないので、もう半分作るために途中の体験版で資金を回収させてね」という魂胆にしか見えません。
ひょっとすると、『ゼノ』の時点でも、さらに半分ほどシナリオを予定していたが、あの内容で予算が尽きてしまった…ということなのかもしれません。しかし、それであればなおのこと、作り手が考えている「完全」な状態でリボーンしてもらいたいと私は思うのですが、それも放棄されています。
似たような例で言えば、『ファイナルファンタジーVII リメイク』が、複数作に分かれることが発表されており、賛否両論起きています。『FF VII』の場合は、十分なボリュームとクオリティを担保するため、と言えばまだ理解はできますが、『ゼノリボーン』を分割する理由については、(どこかで言及されているかもしれませんが)不明なままです。

まだあります。『リボーン』が今冬発売を謳っていますが、『リボーン2』はおそるべきことに「2020年中に発売」を謳っています。年内にリリースできるのであればわざわざ「今冬」という表記にはしませんので、「今冬」が指すものが、ギリギリ引っ張って2020年2月だったとすると、『リボーン2』だけに専念できる時間は10ヶ月程度しかありません。Twitterでは自虐的に「殺人的スケジュール」などと表記されていますが、同業者として全く笑えません。実際の現場を知らない外野がとやかく言うことでもないですが、もし本当にそのスケジュールでリリースするつもりがあるとしたら、現場のクリエイターがどれだけ酷使されているのか、想像に難くありません。
例を挙げると、RPGというのはジャンルの性質上、ゲームのプレイ時間が長く、プレイヤーの自由度が比較的高いジャンルになるため、バグチェックにかかる期間、労力が非常に長く、大きくなります。バグチェックがおそろかになれば当然ゲームもバグだらけの状態で出荷されるわけです。古い例では、自由度を売りにしていた『ロマンシング・サガ』のバグの多さが語り草になっていることからも明らかです。
まさか、『リボーン2』は2Dゲームかノベルゲームにでもしてリリースするつもりなのでしょうか?(「○部作構想」みたいな作品の中には、「残りは小説で補完」みたいなことをやっている前科もあるためあまり笑えない話ですが…)

『コード・ゼロ』については…特に何もコメントはないです。別の開発チームが制作しているのであればともかく、プログラムなんて1行も書いている状態とも思えませんし、多分今の形ではリリースされないんじゃないでしょうか。

※今回やけにスクウェア・エニックス社のことばかり槍玉にあげてますが、憎いわけではなく他に有名な例が思い浮かばないだけですのでご容赦ください。

懸念は募るが傍観に徹するしかない

発表に関しての懸念は以上となるのですが、仮にリリースが上記の通り、2020年2月だとすると、残りは4ヶ月強。ディスク版をリリースするのであれば、最低でもリリース1ヶ月前にはマスター状態、その1ヶ月前にはバグ修正以外の全要素が実装されている必要がある、と考えれば、あと2ヶ月でゲームの中身自体は完成している必要があります。
その状態で先日リリースされたティザームービーですが、今回も例によってまた具体的なゲームの内容は含まれておらず、どのようなゲームシステムになるのかすら明らかになっていません。

他にも、「自由度の高さ」に関する発言で、「ヒロインを見殺しにすることも可能」といったことをなぜか変にフィーチャーしていますが、そもそもの『メタルマックス』シリーズで、そのような選択肢はほとんどなく、ユーザーが求めている「自由度」の意味を履き違えている気がしてなりません。
シリーズが持っていた本来のシナリオ上の自由度の魅力とは、「次に行くべき箇所や倒すべき相手を好きに決めることができ、気になったところから攻略できる」というマクロな決定権の部分にあったはずで、用意されている目先の選択肢のどちらでも選べるといったミクロな話ではなかったはずです。

このように、情報が出れば出るほど募る懸念は枚挙にいとまがないわけですが、すべては今出ている情報からの私の推測に過ぎません。これらの懸念がただの杞憂であり、素晴らしいゲームが世の中に出ることと、開発スタッフの方の体力、精神両面からのご健康を心から祈っています。

(『マッドマックス 怒りのデス・ロード』になぞらえて、『メタルマックス 怒りのデス・マーチ』というネタを考えましたが、表題にするのはやめました。)

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