20年前の記憶と18年前からの友情
花を飾れるようになりました。
免疫抑制が長かったので、カビや細菌感染で肺炎を起こすとかなり危険だったため、なかなか許可をしてもらえませんでした。
生花は花瓶の水や植物自体に発生するカビが、
鉢物は土の中に含まれるカビが、感染症のリスクになって厄介です。
昨年末の検査で、土を触った後の手洗いはいつも以上に念入りにと釘を刺されつつも、一応の許可が出たので、春に向けて植物を飾って気分を上げようと思い、小さな桜の鉢を選んでみました。
(親戚が花屋さんなのに、全く花に詳しくはないのですが、学生時代から部屋に花を飾るのが好きでした。)
咲初めの小さな桜は、後遺症のしんどさを一時忘れさせてくれて、精神的な安らぎを与えてくれます。
今日(3月10日)、北海道にいる友人が仕事でこちらに来るということで、久しぶりに会って話しました。
友人は外資の医療機器メーカーに勤めていて、白血病の研究機関にも出入りしていた時期もあり、私の病気のことはかなり熟知しています。
植物をさわれるようになったり、少しずつ日常を取り戻してはいますが、友人はGVHDや後遺症による生活の質の低下があることの理解も深く、理解があるからこそ、明るく楽しい時間を作ってくれるお喋りはとても良い気分転換になりました。
話しているうちに、20代の頃のことをお互いたくさん思い出しました。
20年前、大学の卒業を控えた4年時の10月に、内定をしていたブランド古着の会社で働き始めていました。
大好きな服に囲まれて、朝から晩まで働いて、オフの日は某有名裏原宿ブランドに勤めていた親友とお酒を飲んで、将来の目標に向かって語り合った日々。
Wyolicaのライブに行ったり、宇多田ヒカルのcolorsのリリースに合わせて、今じゃ当たり前になったオンライン配信イベントのために、会社に頼んでオフをもらったことなど、忘れていたことが鮮明に頭に浮かびます。
事情が変わって、地元に戻らなくてはいけなくなり、当初の夢であり目標であった、親友と立ち上げたかった会社起業をあきらめ、Uターンする前に必要な資格取得をするために転職した先で出会った友人。
同期ではなかったけど、同い年で、スポーツ好きで、ちょっと変わり者同士。
性別は違うのに、双子のように意思の疎通が取れる、いわゆるソウルメイトっていう存在だということに、お互いすぐに気づきました。
当時は今以上にジェンダー意識の低い時代で、異性の親友というのは、まったく信じてもらえなかったので、二人の関係を怪しまれることもありました。
入院当初すぐに連絡をくれて、検査データを送ってくれとLINEが来たので、病気発覚時のデータと抗がん剤投与が始まった後の毎日のデータを送りました。そして、彼女が出入りしている研究機関の医師にセカンドオピニオンを取ってくれて、1クール目が終わるまでには、迷わずに治療に臨める資料をそろえてくれました。
久しぶりに会って、思い出話から現在の状況など、たくさん話をしてとても良いリラックスタイムになりました。
話の最後に、「そろそろマルクやってもらったら〜?」と言われたのですが、出来たらやりたくない検査なので、主治医から求められるまでは、通常検査だけで済むように願うばかりです。
彼女は、「負担の大きい検査だし、しなくてもいいなら無理してしなくてもいいけど」と言いながら、「私としては友の予後の安心材料を増やしておきたいんだよね。」と言ってくれて、こころから心配してくれているのが改めてわかって、泣きそうになりました。(最近、何人かの友人に泣かされそうになってます。)
友との出会いは偶然でしかないはずなんですが、こうやって何年もあっていなくても気楽に安心して話せるということも考えると、奇跡的な出会いだったんだと思います。
こうやって、周囲の人たちに支えてもらっていて、病気になったのは不運だったんですが、不幸だと思いたくないというか、不幸と思わずに済んで、幸せだと感じられる私はかなり運が良いと思えます。
この先も大小の不具合やつらいことがあると思いますが、決して悲観せずにポジティブにいられるように心がけて生活していきたいと思います。