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理不尽な死が今を輝かせてくれる。「夏の雲は忘れない」

 「げんしばくだんがおちると ひるがよるになって ひとはおばけになる」(小学3年、坂本はつみ)

 「夏の雲は忘れない」の中で、原爆体験者の、児童の、詩をたくさん読むことができた。沢山とはいっても、それは残されたもののごく一部だし、原爆で亡くなった人達の本当の気持ちは誰にも分からない。

 それでも、たとえわからなくても、75年後のこの日くらい、真剣にその心に寄り添う事が、一瞬でもいいから、出来たら良いなと強く思う。

 小学4年生の時に、はじめて原爆ドームを訪れた。きっかけは「アンネの日記」を読んだ事、祖母が連れて行ってくれた。残念ながら、原爆ドームでの記憶と心の機微はうまく思い出せない、だけど帰宅してすぐ描いた一枚の絵は凄くよく覚えている。それが何かのコンクールで金賞を獲ったから覚えているのか、それを絵に描いた時、はじめて感情は形に残ると実感した衝撃からか、それすらも覚えていないけれど、戦争とアートの結びつきを感じたのは確かだった。(当時は自分の絵を「アート」だなんて認識ないけれど)

 大人になって、心を動かされるのは、大体戦争が絡んでいる。それは心を動かされてから、戦争のバックグラウンドを知ることが殆どで、文脈ではなく、そこにある具象化、形象化した何かが心を動かしてくれる。

 「夜と霧」を読んでから、毎日戦争の事を考えている。「アンネの日記」以後、それまでは一週間に数度、だったのが「夜と霧」以後、毎日数度、の頻度になってきた。そこには常に理不尽な死、と日常では目にしない人間の側面、が隣り合わせになっていて、戦中に生まれたアートが全てを物語っている。

 今日は誰もが戦争について一瞬でも考える一日。原爆について考えるというよりも、人間というものについて、そして死というものについて考える日だ。「夏の雲は忘れない」を読んで、アートだけではない、詩という形で、理不尽な死に直面した人間の心に触れる。そして心を動かされる。

 戦争、理不尽な死、人間の残虐性は常に心を動かす。心をどこに動かすのか、それは自分次第だ。

 私の場合、それは決して悲観的なものではなく、前向きで、明るくて、同時に絶望したものになる。理不尽な死が常に訪れる可能性への絶望、人間というものへの絶望、それと同時に、今ある幸せへの感謝と感動と人のやさしさが今を輝かせてくれる。

 戦争を経験した人々が残してくれるものに触れるとき、「今、ここ」の幸せと時間と人を何よりも大事にしたいと思うし、しなければいけないと思う。戦時中の記録や詩やアートは常に心を明るい絶望に導いてくれる。

 理不尽な死が今を輝かせる。

 過去でも、未来でもなく、今を輝かせてくれる。

 そして理不尽な死は、過去でも未来でもなく、今に訪れる。

 幸せは今にしかない事を気付かさせてくれる。

 


毎年、8月6日に自分の成長を感じる気がする。それと同時に、今の自分が作り出せる日常が戦争の中では有象無象のゴミのようなものに思えてきて、虚無感も凄い。日々是精進。理不尽な死にも消されないものを残していきたい。

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