記憶と感情の記録と音楽とエモ
最近、数秒前に聞いた人の名前も覚えていなかったり、とにかく固有名詞を記憶に定着出来ないことに焦りと老いを感じています。
これは困っている。
それはそうと、LinkinParkやSlipknot、日本ではPaymoneyTomyPainやCrossfaithといった、エモ&スクリーモの要素が強い音楽が好き。
それと同時に、日本昔話の歌を聴いても同様のエモさを感じる。音楽性はまるっきり違うし、音階も全然違うし、音質も表現方法も何もかも違うけど、同じような気持ちになる。
これは恐らく、多感な幼少期の記憶が結びついているからだと思う。
戦争の映像を観てハラワタが煮え繰り返る程の怒りを感じていたのは幼少期の時だけだし(大人になってからはやるせなさ)、仮面ライダーを観てワクワクしたり、カードゲームに想像と知力を費やして大学生とバトルしていたのも幼少期の時だけだ。
感情の起伏とその表現方法が沢山あり、沢山ある事が許されていた時代。
それを思い出させてくれる音楽が偶々日本昔話の歌だっただけである。
そんな訳で、その時代その時代に聴く音楽を恣意的に変えてみるという試みが面白そう。
20代でしか聴かない、とか、転職したら新しい音楽を開拓する、とか。
記憶に結び付きやすい聴覚の奥底に眠る感情の記録を意図的につくっていきたい。
L'Arcの明日の発表に胸騒ぎを覚えながら、なんだか古風なマーケティング手法に一種の興醒め感を覚えるドエルです。
坊や良い子だ寝んねしな、に育児ノイローゼという社会課題を感じてしまうくらいには大人になってしまった。
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