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自己ケアから共同体ケアへ

 毎日本を読む割に、アウトプットが仕事かクローズドなノートにしかしてこなかったので、特に3-4回読まないと人に説明できない程度の本を、来年の自分の為にnoteに記録しておく。

 ボリス・グロイスの「ケアの哲学」は、現代社会においてますます重要性を増しているケアについて、多角的で深遠な視点を提示する一冊。「利他とは何か」や「世界は贈与でできている」といった本とはまた違う視点で、本質的には同義的なことを述べていると感じた。

 本書は、ケアを単なる実践または行為から、個々人の生命、社会全体、そして人間の存在そのものを問い直す哲学へと昇華させる。それは、個々人から社会全体、さらには自然環境に至るまで、全体性を見据えたケアの必要性を強調する。このような視点は、特に現代社会におけるケアワーカーやヤングケアラーといった現場で深刻な問題に直面している人々にとって、有益な指針を提供するものになるかもしれない。

 本書の構成は、ケアからセルフケア、そして再びケアへという概念の旅路を描き出す。この書籍は、プラトンの賢人からヘーゲルの至高の動物、ハイデガーの存在論、アレントの労働と仕事の概念、ボグダーノフの革命のケアまで、多くの哲学者の思想を引用しながら、ケアの哲学を展開する。

 「ケアの哲学」は一冊の本であるだけでなく、それはケアという行為自体が私たちの生活の中でどのように組み込まれているか、そしてそれがどのように私たちの社会全体に影響を与えているかについての一種の解説でもある。これはケアがただの行為でなく、私たちの世界を理解し、関わるための哲学的な枠組みであるということを示している。

 本書は、ケアの哲学的定義とその実践について深く掘り下げている。ケアとは何か、それはどのような影響をもたらすのか、そしてそれがなぜ重要なのかを理解するためには、これらの問いに対する答えが必要だ。ケアは、一人一人が他者に対して行う行為であると同時に、社会全体が持つ倫理的な責任でもある。そして、ケアとは他者への関心と対話を通じて、社会全体が相互依存の関係を形成し、進化させるためのプロセスである。

 また、本書では触れられていないが、現代社会におけるケアワーカーやヤングケアラーの課題は、このケアのプロセスがどのように実践されているかを理解するうえで極めて重要だ。これらの人々は、私たちの社会の中でケア(の一部)を担当している。彼らの存在と彼らが遭遇している問題は、社会全体の問題であり、その解決が求められている。
 現代の日本では、介護職員の人材不足や高い離職率、ヤングケアラーの孤立や学業の遅れといった問題が報告されている。これらは私たちが直面している具体的な課題であり、これらを解決するためには、ケアの哲学的理解とそれを実践する方法が必要となる。

 本書は、ケアの哲学的な視点から、これらの問題を解決するための道筋を示している。それは、ケアが単に個々の生命の維持だけでなく、社会全体の発展のための行為であるという視点を提示することで、私たちが直面している現代の問題を深く理解し、それに対処するための新たな視点を提供している。

 セルフケアから始まる議論は、プラトンやヘーゲルの思想を引用しつつ、自己の健康や幸福をケアする重要性を強調する。セルフケアは単なる自己中心的な行為ではなく、自己を高めることで他者へのケアの能力も増す、という視点が提供される。特にケアワーカーやヤングケアラーは自己の健康や幸福を保つことが困難な状況に置かれることが多いが、自己の健康をケアすることが他者へのケアにもつながるという視点は、彼らのセルフケアの重要性を改めて強調する。

 セルフケアから始まり、ケアの社会へと視点を移していく過程で、我々はニーチェの「大いなる健康」の概念に出会う。ここでは、健康状態が他者や社会全体へのケアを可能にするという考え方が提示される。これは、ケアワーカーやヤングケアラーが自己の生命力を最大限に発揮することで、他者へのケアの質を高めるという視点を提供する。その後の賢人と至高の動物の概念を通じて、人間が自然界と共生しながら生きる重要性と、その一環としてのケアが強調される。ここでの視点は、人間だけでなく地球全体の生命をケアするというエコロジカルな視点を提供する。

 セルフケアの章では、私たちが自己の健康と幸福をケアする重要性が説かれる。セルフケアは単なる自己中心的な行為ではなく、自己を高めることで他者へのケアの能力も増す、という視点が提供される。そして、その視点が次の章、ケアへと繋がっていく。自己のケアが他者へのケアに繋がるという洞察は、自己と他者、そして社会全体との間の関連性を強調するものである。

 そして、アレントの労働と仕事の概念を引用して、ケアが個々の生命の維持だけでなく、社会全体の創造的な活動にも必要であると語られる。労働は個々の生命を維持し、仕事は社会を形成し、進化させる。それぞれが相互に依存し、連携して機能することで、健全な社会が形成される。ケアワーカーやヤングケアラーは、この二つの側面、つまり個々の生命の維持と社会全体の発展のためのケアを担っている。彼らの働きは、社会全体を動かす重要なエネルギーであり、その価値は計り知れない。

 それに続く賢人と至高の動物というテーマの章では、人間が他の生物に対するケアという視点を強く意識することで、自己の成長と社会全体への貢献を促進することが説明される。賢人と至高の動物という概念を通じて、我々が自然界と共生しながら生きる重要性と、その一環としてのケアが強調される。

 最後に、ボグダーノフの革命のケアの概念が、社会全体のケアの重要性を示す。個々のセルフケアは必要だが、社会全体の健康を保つためには、全体としてのケアが不可欠だ。これは、社会全体のケアという視点を持つことの重要性を示す。

 結論として、「ケアの哲学」は、ケアとは何か、なぜ重要なのか、そしてどのように実現すべきなのかについて、深遠で多角的な視点を提供する。各章ごとに哲学の巨人たちの思想が引用され、ケアの哲学を豊かに描き出す。この本を通して、ケアは単なる概念から深遠な哲学へと昇華され、私たちの日常生活や社会全体の中で重要な役割を果たすことが明らかになる。

 ボリス・グロイスの「ケアの哲学」は、単にケアを論じるだけでなく、その背後にある深遠な哲学と社会全体の視野を提示する一冊である。自己のケアから他者へのケア、さらには人類社会全体のケアへと視野を広げることで、私たちが直面している現代の問題、特にケアワーカーやヤングケアラーの問題を深く理解し、それに対処するための新たな視点を提供する。さまざまな哲学者の思想を引用しながら、ケアの本質とその社会的な意味を探求する本書は、ケアについて考えるすべての人々にとって価値ある読み物であると言えるだろう。この深遠なる「ケアの哲学」に触れ、私たちは自己と他者、そして社会全体との関係を見つめ直す機会を得る。

 敢えて、アート的立場にいる人間がケアについて論じることで、それがより抽象度の高い記述に引き上げられていると感じた。具体性を求めるのであれば「利他とは何か」を読むのが良いかもしれない。

 日本では恐らく「ケアワーカー」といった言葉が第一想起されるような「ケア」という言葉ではあるが、セルフケアは無視されがちな概念であるし、共同体ケアも本書で述べられるような能動的な状態で起こり得る可能性は非常に低いと思う。

 明確に答えが出るような本ではなかったので、これもまた繰り返し楽しみたい。最後に印象に残った部分だけ記録しておく。

知識を持った主体は強く、力にあふれた主体であり、潜在的に普遍的で絶対的な主体であるとわれわれは考える。しかし自分の物理的および象徴的身体のケアテイカーとしては、私は知識の主体ではない。

ケアの哲学

誰かに代表されたり代行されたりするだけの自己は、現実に存在する自己とはいえないし、だれかが取ってかわるとき、変わられた当人は形のない存在なのだから。

Ibid,.p359

実際、背後に何も残されないということ、努力の結果が努力を費やしたのとほとんど同じくらい早く消費されるということ、これこそ、あらゆる労働の象徴である。しかもこの努力は、その空虚さにもかかわらず、強い緊迫感から生まれ、何物にも増して強力な衝動の力に動かされている。なぜなら生命そのものがそれにかかっているからである。

ハンナ・アレント「人間の条件」

もし誰かが私に向って、私の目前にある宮殿を美しいと思うかどうかと尋ねるとする。これに対して私は、ー自分はこういう類のものを好まない、[••••]と答えるかも知れない。[••••]それどころかルソー流に、人民の膏血をかかる無用の事物に徒費する王族の虚栄心をなじることもできるだろう。[••••]私のこういう言分が全て承認され是認されるとしても、しかしここではそのようなことを問題にしているのではない。[••••]趣味の事柄に関して裁判官の役目を果すためには、我々は事物の実在にいささかたりとも心を奪われてはならない、要するにこの点に関しては、飽くまで無関心でなければならないのである。

カント「判断力批判(上)」

 成る程、ルーブル美術館の展覧会を見た時の違和感はここにあるのかと思った。判断力批判を読んだ時にはピンと来なかったが、今回の「ケアの哲学」の流れでは腑に落ちるものがあった。古典と新書の行き来はやはり大切だ。

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