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ギャンブルを世の中からなくす方法。

「ギャンブルを世の中からなくす方法」

我ながらパワーワードだと思います。でも、一度は考えた事がある人は多いのではないでしょうか。恥ずかしい話ですが、僕自身「なくなれば良いのに、滅びてしまえ」などと思ったことがあります。

今回の記事では、僕が思うギャンブルを世の中からなくす方法を書いてみます。

・・・なんて勢いよく出発したものの、まあ結論、無理なんです。
その大きな要因の一つは、「どんなギャンブルにも歴史があるから」だと僕は考えています。歴史があるという事は、それらに携わる人間もたくさん生まれていき、産業が肥大化すればするほど利権も育っていきます。ことギャンブル産業においても、暗黙のルールが生まれ、そして成熟し、現代社会に溶け込むように存在しています。

もう一つは、産業に従事している人の数が多いという事です。これらは雇用の観点から、もしなくなってしまえば大きな問題に成りえるでしょう。
雇用を守るということは、社会保障や経済面からみても、とても重要です。

これ以上深くは言及しませんが、いまの日本の現状です。国や政治を巻き込んでいる以上、そんな簡単に無くなるはずはありません。不本意ですが保証します。

さて、ネット上では、ギャンブルに対して八つ当たりとも取れる意見をよく見かけます。Google口コミでパチンコ屋さんの評価を見ればすぐに確認できるでしょう。いや、ネット上に限らず、自分の周りにギャンブルをする人がいたときは、ギャンブルで負けた腹いせを聞く場面も多かったように記憶しています。

だれしもが「5,000円も負けた。まあそりゃそうか。」からのスタートです。負けて当たり前のモノ、と頭の中では理解できている上に、投資金額だって冷静に抑制できるのです。ギャンブルって基本的に楽しいものです。人間の本能的な部分を刺激するのだから、楽しいに決まっているんです。だからこそ、たとえ負けても納得がいくのです。

それでも、ギャンブルをする頻度が多くなればなるほど、また長く付き合えば付き合うほど、ギャンブルに対してネガティブな感情を持つようになっていきます。これはギャンブル自体、基本的に搾取されていく構造になっていることや、人間の脳の動きが大きく関係していて、ある意味当たりまえのことです。

僕はそんなネガティブな感情がさらに強度を増していき、最終的にはギャンブルなんて無くなれば良いのに、と思考するようになりました。「ギャンブルなんて滅びてしまえ」「単なる依存症ビジネスじゃないか」「死んでしまえ」と何度も心の中で叫びました。

それでも今はそういう暴力的な感情よりも、「ギャンブルなんてなくなった方が、世の中のため人のため、幸せな人の総数が絶対的に増える」という考えを持つようになりました。具体的に何か行動を起こすわけではありませんけどね。(せいぜい周りにいる人への注意喚起くらいしかしません。)

そんな考えをしているので、ギャンブルをなくる方法ってあるんだろうか?と思考してみるのですが、ギャンブルを世の中からなくす方法なんてない、というのが今のところの僕の結論です。理由は冒頭に書いた通りです。
と同時に、10年後や20年後は、その市場規模が極端に縮小しているかもしれない、とも考えています。もちろん、僕自身がそう願っていることもありますが、ギャンブルをなくす方法はないけれど、ギャンブルはなくなっていくのではないかなとも思えてくるのです。理由を書いてみます。

「ギャンブルがなくなった方が、幸せになる人が増える。」・・・実際、これに賛同してくれる人って、実は多いと思うんですよね。

身近な人がまさにギャンブルで不幸になっていたり、あるいは不幸になった人の話を人づてに聞いてみたり。わりとよく耳にすることではありませんか?(自分も結構耳にしてきました)
また、「ギャンブルなんて学生の遊び」と考えている、うちの親父みたいな考えの人だって一定数程度、いるでしょう。こういう人は、頻繁にギャンブルをする大人を「情けないヤツだ」と全力で見下しています。(見下している意見も、実際によく聞きますよね。)
また、ほとんど無関心な人も多いでしょう。自分はやらないけれども、あってもなくてもどうでも良い、みたいな人も多いのだと思うんです。

・・・とまあこうやって書いていくとキリがありませんが、何が言いたかったかというと、どちらか選択するとすれば、「世の中にギャンブルなんてない方が良い」と考える人が圧倒的に多い、ということです。

冒頭に書いたギャンブルの歴史にも関連しますが、残念ながらギャンブルが身近すぎる世の中が、そうした声をかき消していると僕は考えています。どの世代からみても、とても身近な存在であることを否定するのは難しいと思いませんか。ギャンブルをする人にとっても、まったくしない人にとっても、とても身近で社会に馴染んでいるのが日本のギャンブルなのです。
(ちなみに日本は世界からみて、類をみないくらいのギャンブル大国です。)

だからこそ改まって「ギャンブルは必要ですか?不必要ですか?」という議論が生まれてこない。うちの親父のように、ギャンブルを頻繁にする人を見下している人でさえ、現状では「不必要」とまでは考えない、むしろ考える必要性もない、そんな人が多い社会なのです。

それでも世論がひっくり返って不必要論が生まれてくる、はあり得る話なのだと思うんです。僕が考える大きな要因は、日本経済の変化です。

僕の親世代や祖父母世代は、経済的な上向きのらせん階段を上がり続けてきました。結果的に僕は、金銭的に何不自由なく、大学まで卒業させてもらいましたし、同級生をみてもそうした人が多かったです。欲しいものは比較的買い与えてもらいました。高校生のときはアルバイトを両親から禁じられたくらいです。具体的にはその額を聞いたことはありませんが、良き時代の貯蓄だってたくさんあったのだと思います。(その一部を、僕自身がギャンブルによってまさに食いつぶしてきたのですが。)

しかし日本経済は21世紀に入ってから、そして今もなおずっと停滞しています。
(これには色んな議論があると思います。経済って難しいし、僕もそこまで詳しくないので。ただ、現状では昔のような高度経済成長期、バブル経済のような、そんな社会が訪れる可能性の方が低いと考えています。)

つまり、「(経済的には)恵まれない人が増えいく」という事です。そんな中で、身近にギャンブルがあり続ける、はあり得ないと思うんですね。色んな社会問題が生まれてくる中で、ギャンブルが今までと同じように存在することを世論が許してはいけないとさえ感じるんです。単に市場規模がゆっくりと縮小するだけに留まらず、本当に社会にとって必要なのかどうかを見直すキッカケが、どこかで生まれてくるのではないか、生まれるべきではないか、とさえ感じます。

また、経済的に恵まれない人がギャンブルをし続けるその結果は、悲壮なものだと想像できます。ギャンブルにのめり込んでしまう人の社会的環境や家庭環境が、今までギャンブルにのめり込んでいた人たちと比べて変化していくのです。そんな中で、いつどこでギャンブルに関連した凄惨な事件が起ころうとも、おかしくない世の中になっていくのではないか?そうしたインパクトは、世論を変えていくのだと思います。
(若干不謹慎で申し訳ございません)

というわけで・・・
ギャンブルは日本においてあまりにも身近な娯楽であって、しない人にとっても当たり前のように存在している。だからこそ、世論が動かず、議論が生まれてこない。
ギャンブルがなくなることなんて、もしかするとあり得ないのかもしれない。ファンもそれなりにいる。でも、経済的な観点からいけば、そんなことが未来永劫続いていくとも思えない。少なくとも身近にあることはおかしいのではないか。どんなキッカケからかは予測も付かないけれど、「ギャンブルによって不幸な人が増える」ことに多くの人が気付いて、ハッと目を覚ます。世論が傾けば政治が変わる、国が変わる。従事者の受け入れについてはなんとか解決策を講じる。そんな将来になることを、ひそかに願っています。

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