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全てを失いそうなので、ブログを始めてみようと思った(自己紹介記事)

初めまして。
30代半ば、会社員のなると申します。ギャンブル歴はかれこれ15年以上になります。

これまで主にパチンコと競馬をやってきて、借金を数百万円も抱えてしまっている現状です。
消費者金融に借り入れした総額は300万円以上、親への借金もすでに500万円を超えています。
(ちなみにこの総額は、借金からいつも目を逸らして生活をいたため、最近になって把握することが出来ました。)

ギャンブル依存症に関するセルフチェックをすると、ほとんどのチェック項目に当てはまるくらいに、自分が重度のギャンブル依存であることを自覚をしています。

そんな私は、自分が依存症であると自覚しだした頃からは、自分が歩んできた人生に対して後悔しても後悔し切れない感情が生まれるようになり、「こんな生活をしているくらいなら、刑務所で過ごしていた方がよほどマシだった」という考えもよぎるようになりました。

そんな調子なわけですので、このままギャンブルをやり続けていくと何も残らないと自覚するに至り、これから細々とブログを書いてみようと考えました。

今回の記事では、私の自己紹介を兼ねて、今までどういう風にギャンブルをしてきたかを綴っていきたいと思います。長文にはなりますがお付き合いいただけると幸いです。


私とギャンブル経歴(気が付けば依存症になっていた)


私は、20代で多くのものを失いました。親しくしていた友人、先輩・後輩、程よく付き合いをしていた人たち、当時付き合っていた彼女、20代の貴重な時間などあげればキリがありません。本当にギャンブルばかり熱中してきた人生でした。

私は大学を卒業後、例に倣って晴れて新社会人となりました。仕事が終わった後、パチンコ屋さんに頻繁に出入りしていましたし、徐々に朝から晩までパチンコ屋で過ごす休日も多くなっていき、そしてそれがいつの間にか当たり前の状態となっていきます。

頻繁なギャンブル行動を行うようになった初期の頃は、勝ったり負けたりを繰り返し適度な距離感(適切な表現か分かりませんが)を保っていたように思います。休日になるとパチンコ屋さんに行けることにワクワクしていましたし、実際にパチンコを打っている最中に関しても腹を立てることはありつつも、それなりに一喜一憂しながら、パチンコは楽しいものだと感じることが出来ていたように記憶しています。

ところが、仕事以外の時間のほとんどをパチンコに充てる生活になってくると、早い段階で負けが込んでいくようになっていきます。
次第に自分の給料からお金が回らなくなっていき、両親からお金を借りるなどをして生活を助けてもらう、という事も起こってくるようになりました。

そんな状態に陥っているのにも関わらず、パチンコ中心の生活に歯止めが効かない私はあるとき、会社の先輩から消費者金融なるものを教えてもらいます。聞けば、簡単に借金が出来るという事も分かりました。

もちろん、自分が無人機と向かい合っている未来が来るなど、この時までは想像した事もありませんでしたが、気が付けば借り入れをして、またギャンブルをしていた事を覚えています。

両親からはそれなりに厳しく育てられている私は、当然借金をすることに抵抗もありましたし、まさか自分が、という感覚を持ち合わせていました。
それでも借金をする決定打になったのは何だったのか、記憶を探りましたがはっきりとはいま思い出せません。
とにかくギャンブル中心の生活を送っていく中でしたので、他の支払いがあって困っていたかもしれませんし、これでまたギャンブルが出来るという高揚した感覚もあったのか、あるいはその両方だったのか、よく覚えていません。気が付けば、借金生活をスタートさせていました。

次第に借り入れ資金がそのままギャンブル資金になっていく事が当たり前となり、賭け金やギャンブルするペースが上がっていきます。この借金が増えるスピード感はかなりのものだったと記憶しています。
借金をし始めてからいわゆる多重債務者となるまでは、そんなに時間はかからなかったと思います。

さて、借金をするようになってからの私は「どうせ今日も負けるんだろうな」とギャンブルに対してネガティブな感情を持って、それでもパチンコ屋さんへと車を走らせていくことが多くなっていきます。
負けることを分かっていながら、あるいはやめなければならない、もうやめたいと思っていながらも、ギャンブルをしていました。

なぜギャンブルをやめられなかった、やめようとしなかったかについての説明は、未だに整理がついていません。借金を取り返すためなのか、快楽や楽しさを味わいたいなのか、他に趣味もなくやることがないからやっていたのか、色々な理由が混在していたように思います。
(後述しますが、ギャンブルをやらなければいけないという考えも浮かぶようになっていきます)

とにかく、このような状態でギャンブルをして負けるわけですから、私の中でギャンブルに対する憎悪が募っていくようになりましたし、月日が経つにつれてその憎悪の強度が増していって、だんだんと感情のコントロールが難しくなっていくようになりました。
車を飛ばしてみたり、つばを吐いたり、ゴミをポイすてしたり、すれ違いざまに他のお客さんへ舌打ちしたり、やたらと自分の台を見てくる他のお客さんを睨みつけたり、あるいはパチンコ屋の店員を睨みつけたりなど、世間一般からすればあり得ないような醜態をさらけ出すようになっていきます。

以上が、私が新社会人になってから、20代半ば~後半あたり迄の記録です。自覚がありませんでしたが、この時点でもう立派なギャンブル依存症だと思います。

私は大学を卒業してから転職は一切せず、今現在も同じ職場でお世話になっています。仕事の時は当然ギャンブルの事を考える暇もなく、それなりに業務に打ち込んできました。なんとか仕事への影響を最小限にとどめてきたつもりです。(精神的な影響は確実にあったと思います。)

ただ、仕事の以外の時間の多くをギャンブルに費やしていましたので、いま現在も社会的にみて地位・収入、そしてスキルも高いとは言えません(単に能力が低いだけかもしれませんね。)

集中力も年々短くなってきていると感じますし、ギャンブル以外のほかの事への興味は、ほとんど持てなくなっている現状です。

全てを失うことになるだろう


こうして20代の貴重な時間をドブに捨ててしまった私ですが、現在もギャンブルをやめられないまま、30代も半ばになりました。当然結婚はしていませんし、彼女もいません。友人も少なくなりました。

そして、このままいくととうとう家族を含む全てを失ってしまうことになるのだと思います。

考えるだけで絶望します。一生独り身で借金に追われ続ける毎日です。
ギャンブルと借金に生かされている人生に終始する可能性が高いと感じますし、金銭面で迷惑をかけ続けている両親からもいよいよ縁を切られることになるのでしょう・・・。

ここから先は「借金と私」について詳細に書いていきたいと思います。私のギャンブル人生(というかほぼ人生そのものです)は、「借金」がとても深く関わってきました。そしてその借金は、消費者金融(サラ金)は勿論のことですが、特に私の両親とも深く関わっていくことになりました。

私が借金問題を抱え始めてから、両親にどう迷惑をかけてきたのか、どういうやり取りがあったのか、そして今現在はどういう状況なのか、それらを一気に綴っていきたいと思います。

私は過去に「金の縁は縁の切れ目。お前とは縁を切ることも考えている。」と両親に告げられたこと事があります。
(それでも優しい親に恵まれたようで、現在は私に協力してくれている関係で居続けてくれていますが。)

というわけで、ここからまた長文になってしまいますがお付き合いの程、よろしくお願いします。記憶があいまいな部分もありますが、なるべく詳細に書いていきたいと思っています。

私と両親のやり取り①


私の借金は、実家に催促通知が届いたことから発覚し、当然ながら私と両親での話し合いになりました。

これは借金をして間もないころ(30万円の借金を作ったときのこと)でした。この時の私は、実家へとなにか封書が届くという仕組みすら知らなかったわけですが、そうした理由からか、両親に早々に知られることとなりました。

この借金については、もちろんほとんどギャンブルで作った借金でしたが、話し合いの半分以上が父親の説教で終わったように思います。

説教はされ続けますが、「なぜ借金をしたか?」という理由については聞かれることはありませんでしたし、私自身これにはとても安堵した記憶が蘇ります。
なにせ、ギャンブルで作った借金だなんて言えるわけがありませんでした。私は言い訳をいくつか考えていましたし、そもそも両親は私がギャンブルをしていること自体、想像していなかったと思います。

こうして、両親にこの借金を肩代わりしてもらう事となりました。それでも私は、ギャンブルをやめる事はありませんでした。

この肩代わりしてもらったときの感情面は覚えていて、「これでまたギャンブルが出来る」とか、「ラッキーだった」とか、そんな考えは一切持つことはありませんでした。とにかく反省をしました。
しかし、その反省はすぐに消え去り、気が付いた時には今までと同じようにギャンブルをする日常へと戻っていきます。

前述したように私は借金をし始めてから、ギャンブルをする回数や投資スピードに歯止めを効かせることなく、というよりもむしろ加速し、あっという間に多重債務者になりました。

そんな生活を送っているので、再三返済を滞らせてしまう事になり、またしても実家に催促状がいく事態が起こっていきます。それも一度や二度ではありませんでした。

借金が増えていく過程で、経済的な状況が日に日に悪化していくのは当然でしたし、給料が入れば返済を後回しにした資金を使ってギャンブルをするしかないとすら考えていました。そんな状態ですので、借金を延滞することが当たり前になっていきました。

当然、これに対しては私自身悪い事だと考えていました。借金のことで頭がいっぱいになる日々も増えていきます。
しかし、先ほども書いた通り経済的な状況が日に日に悪くなる一方で、返済を先に済ませてしまえば、手持ちのお金が生活費以外ほとんど残らなくなってしまうという考えも生まれるようになりましたし、と同時にギャンブルが出来る資金がほとんどなくなってしまう、という閉塞感を感じることもありました。
借金の延滞なんて社会一般のルールからしてやってはいけないことだと感じ、もうギャンブルをやめなければいけないと考え、やめたいとも考えていましたが、具体的な行動は何一つ起こせず、ギャンブル中心の生活から抜け出すことはありませんでした。

ひと月くらいであれば借金の返済を滞らせることが当たり前になりましたし、ひどければふた月くらいの滞納をしてしまう事もありました。

そんな借金の延滞を何とかごまかしながらやり繰りをしてみるものの、返済が滞るようになる回数や件数も次第に増えていき、前述したように実家へと催促状や電話がいくようになっていきます。
両親にバレたくない感情があったのはもちろんのことですが、同時に現実から目を逸らすようにもなっていきましたし、「別にどうにでもなれば良いわ」という投げやりの感情を持ったことも記憶しています。

こんな状態ですので、借金の催促状が実家に届くたびに両親と私でよく話し合いを行うこととなり、実際に借金の肩代わりを三回程してもらったと思います。それにくわえて、携帯代や生活費、結婚式のお祝い資金などが捻出できないからと、ことあるごとに母親からお金を預借りる事にもなっていきました。

こうした借金と借金の滞納を繰り返すあり得ない状況の中、両親はなぜ私が借金を作ったのか、核心を突くような質問をしてきませんでした。
社会人として親元を離れている息子を信用していたからこそだと、今となれば分かります。端的にいって、とても良い両親だと思います。
そういうわけで私は、こんな状況になっているのにも関わらず、ギャンブルで作った借金だということを両親に打ち明ける事は最後の最後の最後までありませんでした。

私と両親のやり取り②


借金を繰り返し、借金の肩代わりを何度かしてもらっている状況にも関わらず、私はギャンブルをやめることはありませんでした。
給料が入るたび、返済に充てなければならない資金を使ってギャンブルをする日々を送っていきます。
そんな私は次第に「ギャンブルしなければ生活が回らない」という強迫観念も生まれるようになっていましたし、借金のことで常に頭がいっぱいの状態でしたし、日々がとても苦しいと感じるようになっていきます。

そんな生活をしている最中、100万円の限度額いっぱいに借り入れたカードローンの催促状が実家に届きました。

「お前はまた借金をしているのか?」と、父親に問い詰められる事になりました。総額も大きかったので、父親はとても驚いたと思います。
(ただ、私はほかのカードローンからも借金をしていましたし、この時点で借金総額はすでに300万は超えていましたが・・・)

謝罪するしかない私に、父親は「自分が100万円を支払うから、とにかく借金をすぐに綺麗にしてお前は婚活をしろ」と提案してきました。
父親は、良い年になってきた私に、とにかく早く結婚するべきだとずっと考えていた事は私も何となく理解していました。
そして父親の中では、私が結婚に対して後ろ向きな理由を「借金をしている事によるもの」という考えになっていたと思います。
実際に結婚に対して後ろ向きな私にとって、借金は一つの大きな要因である事は間違いありませんでした。他にも借金がたくさんあって、いまもなおギャンブル中心の生活を送っている私が、結婚など考えるわけがありません。

私は、父親が要望していた婚活をなんとなく頑張ってみる素振りを見せる事が精いっぱいでした。もちろん嘘を付きたくありませんでしたが、私のいま置かれている状況を正直に言うことなどは出来ません。

結果的には、父親からは半ば強引に押し切られたような形もあって、この100万円を肩代わりしてもらうこととなりました。

もちろん私は、父親を裏切りたかったわけではありません。まだまだギャンブルをしたかったわけでもありません。実際に結婚に対して前向きになる事はありませんでしたが、「ギャンブルはもうやめなければいけないし、絶対にやめてやる」と強く自己宣誓をしたことを覚えています。
これ以上迷惑をかけ続けるのはもう止めよう、ギャンブルはここでやめてこれからの生活を立て直していこう、他にある借金は自力で返済し、墓場まで持っていこう、と強く決意することになりました。

この時ですら、父親からなぜ借金をしているのかと核心を突くような質問はされませんでした。繰り返しになりますが、聞いてこなかったのは父親のやさしさで、私はそれに見事に甘えてしまいました。

私と両親のやり取り③


既に書きましたが、20代後半~30代前半の間に、私の借金は実家に届いた催促状の100万円のほか、総額300万円以上に膨れ上がっていました。もちろんすべてギャンブル、主にパチンコです。父親からすれば私の借金が綺麗になって、気持ちが婚活に向かってくれるだろうと考えていたと思います。

私は結婚なんかよりも、ほかにある借金のことで頭がいっぱいでしたが、ほかに借金が残っているとはいえ、今回は借金総額の1/3程度の大金を肩代わりしてもらった事になります。当然ながら経済的にも精神的にも、少しだけ安定するようになったことを記憶しています。

このようにして、100万円のカードローンは父親がすべて完済してくれたわけですが、1か月もしないうちに営業の電話があったと記憶しています。またご利用の機会がありましたらぜひ、という軽いものでしたが、もうお世話になるつもりなどなく、軽くあしらい、キャッシングが出来るカードそのものもすぐに処分しました。

しかし私の自己宣誓は空しく、私がギャンブルをやめることは出来ません。父親とのやり取りがありながらも、当たり前のようにギャンブルを頻繁にするような日々へ戻っていきました。(そんな日々に戻るまで、そんなに時間はかかりませんでした)
ギャンブルをする日々に戻ると、今までとまったく同じようにすぐにお金が回らないようになっていきます。
そんな時に私は、父親が完済してくれたこのローン会社の事を思い出し、またしてもそこから借り入れを再開していました。

借り入れの始まりは「数万円なら大丈夫だろう、すぐに返せるから。」と、ギャンブルで回らなくなってしまった生活資金の為だったと思います。しかし、そこからほどなくすると、今までとまったく同じように借り入れ資金をそのままギャンブル資金に回すようになりました。

またしても借金をしてギャンブルをする生活に逆戻りし、ギャンブル行動に歯止めがかからない私は、半年もしないうちに限度額いっぱいの100万円まで借り入れてしまいます。

この時点で、私は末期のギャンブル依存症者であると本格的に自覚していったと思います。何度繰り返してしまうのだろうと、自分自身に失望しかありませんでしたし、一人でいる時に「もう死にたい」とよく口にするようになっていました。

自白


さらにあり得ないことに、私はまたしてもこのローン会社の返済を滞らせる事になるのです。結果として、実家にまた催促の連絡がいくこととなりました。
もちろん、借金の督促状が実家に届く事をなるべく避け続けてきましたが、ギャンブルを続けている限りそうもいきません。
私自身も、もう投げやりのような感情や死にたいという感情を持つ事が次第に多くなっていきましたし、催促状が届くこと自体に抵抗すらなくなっていった事を覚えています。
人生に対して一種の諦めを感じていたような感覚もありました。

こうして督促状を見るにいたった父親からすれば、肩代わりして完済した100万円がものの半年間で限度額いっぱいになっている、という現実をとても受け入れられなかったと思います。

そして今回ばかりは、とうとう両親から様々なことを問いただされる事になりました。今まで聞いてこられなかった「借金の理由」を、初めて両親に聞かれる事になったのです。

ここで私はついに「すべてギャンブルで作った借金」だという事を、両親へと打ち明けることとなりました。

その時の両親は、おおよそ検討が付いていたような返答だったと記憶しています。「ギャンブルか、女かのどちらかだろう」と父親は考えていたようでした。

このとき、私は両親の前で泣き崩れました。親に対して申し訳ない気持ち、誰にも言えなかった借金の事や私がどういう行動をしてきたか、どんな気持ちだったのかを、初めてほかのだれかに言えた事も大きかったのだと思います。自然と涙があふれてきました。

私の中では、心の中が少しだけクリアになった瞬間でした。不謹慎だと思います。何泣いてスッキリしてんだよ、と思われるかもしれません。でも確かに私は、すこし晴れやかな気持ちを持つに至りました。

父親からは、「情けない」「これからどうする」「弱いヤツ」・・・さんざんに責められる事になりました。私がやってきた事を考えれば当然です。その言葉に謝罪するしかありませんでした。

でも、最終的には家族に優しい言葉をかけられました。
「まだ間に合うから」という言葉は私を救ってくれました。この話し合い中、私は何度も何度も涙を流していました。

そしてこの時ばかりは、自分の中で「底」が見えたような瞬間となりました。自分の中でどこかで諦めが付いた瞬間だったと思います。

今までどういう行動をしてきたか、借金はどういうキッカケで作ったのか、どんなギャンブルをしていたのか、どれくらいギャンブルをしていたか、他に残っている借金はいくらあるのか、その洗いざらいをすべてを両親へ打ち明けることになりました。

2022年末に行ったこの話し合いは数時間に及びましたし、これからどうしていくのか、借金をどうしていくのか、家族会議を何度も開いてもらいました。

こうした話し合いを重ねた結果、私は給料を両親に管理してもらう事となりました。自身の力で借金を地道に返済していく方向も決まりました。

私にとっては今が「底」で、ここからはやるしかないと、改めて再スタートがきれると思えた出来事でした。

現在


私の人生の中で最も記憶に残るであろう自白を行ったのは、2022年の年末です。そして現在の私は、こんな経験を経てからも隠れてギャンブルをしています。借金はもう増える事はありません。借りれるところもありませんし、闇金に手を出すつもりもありません。また、人をだましてお金を借りたり、何かを盗もうという感情など当然湧きません。

返済へと充てるからと(私の給料を管理してもらっている)母親からお金をお金を預かってまたギャンブルに使ってしまうのです。

「いい年をして親の前で涙」・・・こんな体験をしてまでも、ギャンブルをしてしまうのです。さんざん迷惑をかけた親の前ですべてをさらけ出し、底が見えた気がしました。励ましてもらい、少し気持ちが晴れやかになり、そして負担を掛けながらも協力をしてもらう事を約束して頂き、再スタートを切った。にも拘わらず、ギャンブルをしてしまうのです。
20代の貴重な時間を取り返してやろう、そう意気込んでもギャンブルをしてしまいます。休日の晴れた日、車を運転しているととても気持ちが良いです。気分が乗るし、好きな音楽でも聴き、掃除をしてゆっくり本でも読もう、そう思っても、支払いがあるからと親にお金を預かり、またギャンブルをしてしまいます。どんなに小さな決め事さえも、ギャンブルが第一優先になることはまるで変化がありません。資金的な制約からたとえギャンブルが出来ないときも、どうにかしてお金を工面できないだろうか、と考えてしまいます。

自白した日に父親から投げかけられた「まだ間に合うから」という言葉は、その時の私を救ったはずですが、今となれば恐怖さえ感じます。
つまり、いよいよ間に合わなくなってしまうかもしれない、と思うのです。

大変にお恥ずかしい話ではありましたが、これが今の今に至るまでの私のギャンブル記録のすべてです。

最後に


私はいま現在生きていますが、でもこの先同じように生きて、とうとう全てを失ってしまったら、おそらく自分はもう死んでしまうしかないのだろうと思います。

でも、そんな人生はどう考えてもいやです。

ギャンブルをすることで、ネガティブな感情に左右される毎日ですが、私だって前を向けることもあります。明るい未来や希望を少しでも想像できる瞬間があります。
そんな時、私のギャンブルについて思っている事や体験した事を記録としてブログに残していこうと思いました。

今後については、病院への受診の機会を得ましたし、前向きに治療していこうと考えています。そうした記録もブログでつづっていけたら、と考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※今回の記事では、私の反省については深堀していません。何があったのか、どう過ごしたかを中心に書きたかったからです。
でも、反省は死ぬほどしています。何度も自己嫌悪を繰り返しています。だからそのことについては、また別の機会で書かせて下さい。

2023年5月30日 ギャンブル依存症 Naru


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