正欲 多様性とは刃なのかもしれない
自分は、小説が好きで、活字を主食にして生きているのですが、その中でも、つい最近読み終わった朝井リョウさんの「正欲」は際立つものがあったので、自分の思ったことを自由に書き留めていきたいと思います。
ネタバレなし
まず、この本を読んで感じたことは、自分が今まで、正しいものとして「多様性」と謳ってきたことへ対する烏滸がましさというか、多様性がこれほどの刃となって、誰かの首を常に突きつけているかもしれない、と初めて気付かされたことによる、「驚き」でした。
現代では、常に「多様性」への実現が正義として扱われ、ただ実際、今の私たちが多様性を実現しようとする際の対象として思い浮かべるのは、マイノリティの中でのマジョリティで、自分たちが想像もしない人たちへ対しては、もちろん眼中にないので議論もされないし、また、そういう人たちは「社会から排除されるべき」という共通認識もすでに根強く存在しているよな、と思いました。
(また、この本を読むと、マジョリティがマイノリティに対して、「してあげる」という前提が共有されている時点でおかしいことだよなとも気付かされました。んー、難しい。自分がいかに生ぬるい世界の中でぬくぬくと生きているのかが思い知らされます。)
登場人物たちのような、自分が自分であることを一番知っていて、その上で隠し通すという結論を出したのに対し、「多様性」という今の流行は、確かにスポットライトを無理やり当てるような行為で、苦痛でしかないのかもしれない。
ただ、実際、明日死にたくない、と思いながら生きている自分が分かったように語るのは許されないように感じるし、彼らのことの心情を完全に理解する(夏月と佳道のように)ことは不可能というか、分かっているような気、になるところまでしかできていないので、ご了承ください。
この本が、多くの人に読まれ、映画化もされたことにすごい大きい意味を感じます。今まで、考えたこともなかった、そして触れたこともなかったテーマで、確かに、昨今の現代社会が目指す「誰もが生きやすい世界」のやり方の視野の狭さというか、秩序を保とうとすることによって生まれている摩擦の存在に、この本のおかげで少しは気づけたような気がします。
10代のうちに、こういう世界もあることに少しでも気付けてよかった。常に、影へと押しやられ、そしてその影がすみかとなった人たちへ輪郭をつけるこの本の持つ力に感謝します。
追記
この本は中高の教科書に爆弾として載せてほしい作品第一位ですが、でも実際、知名度が上がることによってさらに苦しむ人も出てくるんだろうな、と思うと、秩序を保ちながらみんな幸せに、というのは不可能なんじゃないか、と思いますね。そういうところに気づかせてくれる本書はほんと、名作です。教科書ですよ、
なんだか、すごい抽象的で何が言いたいのかよくわからない文章になってしまいました。とにかく読んでみてください!
Teen.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?