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ここらへんの史跡をゆく① 〜桶狭間

細君、娘、孫(♂)といっしょに墓参りに行った。細君の両親の墓だ。墓は名古屋市緑区有松の長福寺というお寺にある。門前の立て札の斜め読みで、このお寺が "桶狭間の戦い" や "今川義元" と何か縁(ゆかり)があることは、かねてよりぼんやりと知っていた。

長福寺

お寺に行く途中に "桶狭間古戦場公園" の案内がある。ここも今までは横目で見ているだけだった。歴史への興味がその程度の私だが、今年のアクションプランのひとつに「戦国時代の史跡を巡る」と書いた。時間に余裕ができた今、この界隈にたくさんある史跡をなぞってみたいと思い始めた。いささか大仰に過ぎるが「戦国の世から江戸幕府が開かれるまで~」「いかに統一国家日本が形成されていったか」「その頃の人は何を思っていたのか」など考えたり空想したら楽しいかなと思った次第。

新しい趣味の手始めに、まずお墓のある長福寺を齧(かじ)ってみた。寺にいくつかある立て札の由緒書を読んでみる。するとここは‥‥
・打ち取った今川義元の首を織田勢が検証した場所 
・御本尊は今川方を供養するために駿府から奉安された阿弥陀如来像
・境内の池に湧き出る水で桶が廻る様が "桶廻間" の由来 (異説多数)
 ※江戸時代の "おけはざま" の表記は "廻" の字が使われています。
「そうだったのか。」由緒はかなりしっかりしているな。

長福寺 桶狭間合戦供養塔
長福寺 首検証之跡

墓参りを終え、長福寺から西300mにある桶狭間古戦場公園に行った。ここは今川義元が織田軍に討ち取られた場所だという。両公の銅像が建っていて、城や砦など合戦のポイントを示すジオラマがある。

織田信長像、今川義元像 と孫
ジオラマ
QRコードからアプリをダウンロードすると画像と音声で説明してくれます。

公園にはリーフレットが置いてあり、おもて面に地図、裏面に史跡の説明が書かれている。その地図に「むむ ⁈」の表記有り。下の画像右真ん中付近(赤丸と矢印)に、"桶狭間古戦場伝説地(豊明市)" とある。古戦場公園からは北東約1kmに位置する。「どういうこと?」家に帰って調べてみると‥

「そうだったのか。」名古屋市と豊明市どちらもが「今川義元最期の地!」を主張していた。ネット記事には「論争している」とあったが、実際はどちらも絶対的な決め手はなく、お互いを黙認しているというのが正しいようだ。現に名古屋市が作るリーフレットにも豊明市のそれが示されている。3万余人の合戦なのだから、どっちもが戦場ではあったのでしょう。

そう言えば‥  かなり前に読んだ本。司馬遼太郎さんが「街道をゆく」の中で桶狭間の戦いに言及された際、場所は豊明市を前提として書いておられた。名古屋市の有松付近という認識だった私は、少し違和感を感じたことを思い出した。「そうだったのか~」何十年か振りに不審が解けた。

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私の note 新趣向「ここらへんの史跡をゆく」の第一回は "桶狭間の戦い" とした。1560年のこの戦いの勝利で、織田信長は天下取りへの第一歩を踏み出した。ここから1600年の "関ヶ原の戦い" まではたったの40年。この激動の40年間に「ここらへんで何があったの?」をメインテーマとして、史跡を巡りながら勉強していこうと思う。

そんな中でたくさんの「そうだったのか!」が現れることだろう。そんな驚きや感動を楽しみたい。

< 了 >




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