バーチャル空間の制作だけでは経済的価値を生まない
前から思っていたこと、すべて主観です。ヘッダーは何か学校のイベントで撮影したものです、問題があれば差し替えます。
人のいないバーチャル空間には何が欠けているか
先日、バーチャル大阪への人の入りが少ないことについて懸念する記事があったが、「人のいないバーチャル空間には価値が無い」という結論がよく出る。これは実際にバーチャル空間を制作・公開していた身からすると、あまりにも冷酷で非情に感じられるが、言葉の罠がひとつある。
「価値」は必ず特定の視点が伴うもので、それが何の価値であるかを定義しなければ、論点が非常に大きなものになってしまう。人のいないバーチャル空間であっても、そこに美術的価値や歴史的価値があるかもしれない。この点においては現実世界の土地や場所と同じである。人のいないバーチャル空間に無い価値のひとつは、経済的価値である。
つまるところ、「人のいないバーチャル空間には“経済的”価値が無い」と論じられるべきである。この点について、私が以前に書いた記事ではフックとして敢えて何の価値であるかを定義しなかった(いやらしいフックだったが引っかかって突っ込んでくれる人はほとんどいなかった)。
メタバースの発達がYouTubeより厳しい理由
なるほど人の集まらない場所にはお金も集まらないから経済的価値も無いわけである。逆にいうとバーチャルだろうがリアルだろうが、特定の場所に経済的価値を与えたくば人を集めること、さらにはお金を持っている(そしてお金をよく使う)人を集めることに限ろう。
バーチャル空間の制作において、ただ作って公開して人を呼ばなければ経済的価値は生まれない。バーチャル──もしくはメタバースクリエイターとして一心不乱にワールドを作っていても、ただ作っただけでは(もちろん美術的であるなどの価値からの評価はされても)経済的には評価されないのである。
YouTubeで動画を作る人もメタバースプラットフォームでワールドを作る人も同じようにクリエイターと呼ばれるが、YouTubeで作られるのは「コンテンツ」であるのに対してバーチャル空間では「場所」を作っている違いがある。YouTubeの動画はそれを視聴した人が多ければ評価されるが、バーチャル空間のワールドには実際に人が入室していなければ評価の対象にはならない。この点は私が昔からバーチャルワールド作者として大きなハードルに感じていることだが、誰でも簡単にブラウザで視聴できるコンテンツと、わざわざ専用のアプリケーションなどから訪問しなければ中身が分からない場所とでは、その価値を測るまでのコストに大きな差がある。面白いとお薦めされた動画をリンクひと押しで見るのと、面白いとお薦めされたワールドへ訪問するためエンヤコラとアプリを立ち上げたりポータルを探して飛び込んだりするのとではどちらが容易だろうか。それだけバーチャル空間:ワールドを制作し、そこへ人を呼んで経済的価値を与えることには高いハードルがあるのだ。
バーチャル空間へ経済的価値を与える者は誰か
バーチャル空間へ経済的価値を与えるのは場所を作る人ではない。人を呼ぶ人がバーチャル空間へ経済的価値を与える。
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