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英語の頻度副詞の位置について:デマを正す

ガリレオの知る限りでは関 (2008: 190-193)が「頻度副詞は notと同じ位置」と流布して以来のことなのだが、数多くの塾・予備校講師連中が言語事実を検証するそぶりも見せず、まして出典も示すことすらなく無責任な伝言ゲームを繰り返した結果、最近では「頻度副詞」の「頻度」も無視されてデマ情報が蔓延してしまっている。

言語学的に「同じ位置を占める」とは何を表すか?

確かに、英語の頻度副詞が典型的に置かれる「助動詞/be動詞の後・一般動詞の前」というのは、表面的には notと同じように見える。しかし重要なこととして、それが本当に「notと同じ位置」と説明でき得るものなのだとしたら、関 (2008)などを待つまでもなく、遥か以前から英語学者が文法書に記載していてもおかしくない。そのように説明されてこなかったことにこそ理由があり、そこには先人の英語研究者たちの慎重な思考が込められているのである。

文法的に「同じ位置を占める」という事象の例は、実は多くの英語学習者が習う事項の中に含まれている。助動詞を学習した時、例えば「(これから)〜できるようになるだろう」という意を表したくても、*will can ~のように助動詞を2つ並べて同時使用することはできず、will be able to ~を使わなければならないとか、「(過去に)〜であったに違いない」も *must was ~とは言えず must have been ~のようにすると習ったことを覚えている人は多いだろう。こういった例がまさに「文法的に同じ位置を占める」という現象を示すものであり、大事なことは、たとえ意味として言いたいことは伝わるだろうとしても、英文法がそれを認めないのである。

notと頻度副詞の場合は?

翻って、notと頻度副詞の振る舞いはどうであろうか。関 (2008)では、always (100%) → usually, sometimes, seldomなどと頻度を下げていき、not/neverが 0%を表すというモットモラシイリクツを並べて not/neverを頻度副詞と同じスケールにのせているが、現実の英語に根拠を求めると、(neverはともかく) notと頻度副詞は、上に示した助動詞のような意味で「文法的に同じ位置を占める」とは言えない振る舞いを見せる。

(1) I do not often have headaches. (Swan, 2016: 200-2)
(2) Doctors do not always have good communication skills. (OALD)

(1), (2)に見るように、notと頻度副詞は同時使用可能であるばかりでなく、部分否定という重要な意味も担う。部分否定/全体否定の判断には notと頻度副詞の相対的な語順が重要であるため、「頻度副詞は notと同じ位置」などと覚えていたら混乱するばかりで、実害が発生することを見逃してはならない。

(1)' I do not often have headaches.
→「しばしば頭痛を起こす」ということを否定
(3) Politicians often don't understand the views of the man in the street. [OALD]
→「(政治家どもが)市井の人の考え方を理解しない」ということがしばしば起こる

伝言ゲームで歪められた情報は更に危険!

加えて、頻度副詞に限らないが、否定語と副詞の位置関係は大きなニュアンスの違いを生む。もっとも顕著な例は次のような場合だろう:

(4) I don't really like her. (mild dislike: そんなに好きではない)
(5) I really don't like her. (strong dislike: マジで嫌い/無理)

塾・予備校講師どもの無責任な伝言ゲームで「副詞は notと〜」などと更に歪められて伝染してしまうと、もう現実からの乖離が底知れぬものになるのが明らかとなる。

Swan (2016)は、アメリカ英語では(頻度)副詞が「助動詞/be動詞の」に“しばしば”置かれることも指摘している:

(6) ‘... the Labor Party often has criticized police actions.’
(BrE ... the Labour Party has often criticised ...)

(1)~(6)までの言語事実より、過去の英語学者たちがなぜ、わざわざ「(原則的に)助動詞/be動詞の後・一般動詞の前」というメンドクサイ言い方で説明を続けてきたか、真意が理解できたことだろう。

「例外は壁にブチ当たった時に覚える」の責任放棄

関 (2008)以来の一貫した逃げ口上が、「例外は出てきた時に覚えろ」というもの。特に初学者の耳に囁く甘言としては都合の良いものであろうが、現実にはこれも何の役にも立たない。

まず第一に、学習者が「例外」に出会う時というのは唐突なもので、「これは習った“ルール”とは別に覚えるべきものですよ」というガイドが得られることの方が少ない。実際に、ガリレオの元に届く質問は「〇〇と習ったんですけど××という英文に出会いました。これは例外なのでしょうか?」というタイプのものが多い。そして“たいていは”〇〇と習ったこと自体が混乱の元凶となっている。上で論じたような、言語事実を歪めた説明を聞かされているのであれば、遅かれ早かれ「例外」に出会うのは避けられない。その時に学習者自ら「あぁ、これは〇〇の例外だ」と判断して知識を updateできるのなら良いのであるが、そんな芸当ができるのなら最初から困っていない

その上、出会った「例外」が本当に例外(英文法的には正しい)なのか、単にそれ自体が間違いなのか、学習者は自ら判断できないという問題がある。特にネット上にある“英語”は厄介極まりないもので、あえてこういう言い方をすれば、「テストマニアや外国人がそれっぽく書いたアルファベットの羅列は初〜中級学習者には正しい英語に見える」のである。しかし当然ながら実際にはそんなことはなく、例外かと思ってさんざん悩んだ“英語”が、蓋を開けてみたら単なる間違いに過ぎなかった…というケースも“時折”見かける。「例外は出てきた時に覚えろ」というのは、ノリで一夜の快楽に誘い、いざ事が起こった時には一切責任を取らないタイプの野郎と全く同じ手口なのである。

参考文献

関正生. (2008)『世界一わかりやすい英文法の授業』, 中経出版, 東京.
Swan, M. (2019) Practical English Usage, OUP, Oxford.
Oxford Advanced Learner's Dictionary, 8th ed. (2010), OUP, Oxford.

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