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世界の終わりに柴犬と言語学|他動詞 walkと犬の性格

stand.fmにて音声配信も行いました:

世界の終わりに柴犬と」というアニメ動画で、主人公の柴犬・ハルさんが、洋犬と和犬における「賢さ」の意味合いの違いを解説する話があります:

洋犬の賢さは人の指示に忠実に従うところにあります
対して柴の賢さは自分の考えに従い行動するところにあるのです

動画 0:42頃〜

このハルさんの話に、『言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学』(西村義樹・野矢茂樹, 2013, 中公新書)p.109や『大改訂新版 英文法総覧』(安井稔・安井泉, 2022, 開拓社)p.332で言及されている、「英語では犬を散歩させるときに “walk”を他動詞として使える」という言語事実を絡めると、面白い考察ができるのではないかと思い記事にしてみました。

語彙的使役構文 (lexical causatives)の成立しやすさ

まず、「犬などの動物を散歩させる」の意味合いで用いる、英語の他動詞 “walk”は、“open”「開ける」や “break”「壊す」と同様の語彙的使役動詞 に分類される。

語彙的使役動詞を用いた文の特徴は、「太郎が窓を開ける」を例にとると、太郎が窓に対して何らかの働きかけを行い、その結果として窓が開く…という出来事全体を意味し、「開ける - 開く」のような自動詞と他動詞の対応関係(自他対応: causative alternation)が見られることにある。

「太郎が窓を開ける」が表す意味の図(『言語学の教室』p.104より)
『言語学の教室』p.104 より引用

つまり、英語の他動詞 “walk”についても、たとえば “I walked my dog.”ならば、飼い主 (I) が飼い犬 (my dog) に対して何らかの働きかけを行い、その結果として犬が散歩するという結果事象が生じる…という出来事全体を表していることになる。

迂言的使役構文 (periphrastic causatives)

英語の “I walked my dog.”を日本語訳するならば、「私は飼い犬を散歩させた。」と表現せざるを得ないが、「散歩させる」は1単語ではなく、「散歩する」+使役を表す助動詞「-せる」を組み合わせたものである。

“open / 開ける”のような、使役動詞1語で「対象に働きかけて何らかの結果を引き起こす(=使役)」出来事を表す語彙的構文に対して、“make my dog walk / 散歩させる”のように、複数の語を組み合わせて使役を表現する文を迂言的使役構文と呼ぶ。

『言語学の教室』では、「食べさせる・読ませる・笑わせる・泣かせる…」といった、結果となる出来事が行為を表す場合には、多くの言語で迂言的にしか表せないということが紹介されています。たとえば英語でも、笑いたくもないときに「笑わせないでくれ」と言う場合は “Don't make me laugh.”のようになり、“*Don't laugh me.”のように “laugh”を語彙的使役動詞として用いることはできません(念のため言及しておくと、“Don't laugh at me.”は「私を笑いものにするな」の意味)。

この言語事実に対し、著者の1人である野矢氏は:

「太郎は花子を歩かせた」だと、太郎が働きかけてはいるけれど、実際に歩いているのは花子だから、やはり歩く主体は花子だという意識が強いんじゃないですか。…(中略)…それに対して、「太郎はお湯を沸かす」だと、沸いた主体はお湯だなんて意識はないので、[…] 「(太郎が)沸かす」という太郎主体の動詞に変換される。そういうふうには考えられませんか。

『言語学の教室』p.109 より引用

とコメントしており、西村氏もそれに同意しています。

洋犬と和犬の「賢さ」の違いを絡めてみると

以上を踏まえて、改めて

  • 洋犬の賢さ=人の指示に忠実に従う

  • 和犬の賢さ=自分の考えに従い行動する

という犬の性格の違いと、日英の言語表現 “他動詞 walk” (= 語彙的使役) vs. “散歩させる” (= 迂言的使役)を絡めて考えてみると:

(1) I walked my dog.
→ 洋犬は、飼い主が働きかければ忠実に付き従う(散歩する)。
(2) 私は飼い犬を散歩させた
→ 和犬の場合、飼い主が働きかけたとしても、「散歩する主体は犬」という意識が強い。

というような考察が可能になるかもしれない。とりわけ、認知言語学のように、「話者の世界の捉え方」が言語表現に反映されているとする立場を取れば、世界中の様々な言語において、①「犬を散歩させる」と言う際に語彙的使役構文が成立するか?と、②その言語を母語とする話者が典型的に思い浮かべる犬種の性格の関連性を調べてみると、ひとつの言語研究のタネになりそうな気がする。

補足

上では (1) I walked my dog.は「飼い主が主体の表現」という趣旨で説明したが、英語表現どうしで比較した場合、迂言的使役構文で動詞に “make”を用いると「相手の意思にかかわらず、無理やり〜させる」の意味になるため、以下の2文を比較すると、次のようなニュアンスの違いが生じる:

(1) I walked my dog.
→ 犬が喜んで散歩している感覚
(3) I made my dog walk.
→ 嫌がる犬を引っ張って散歩させた

参考:『英文法総覧』p.332

その他、「私は飼い犬を散歩に連れて行った」の意味で、以下のような英語表現も可能である:

(4) I took my dog for a walk.

免責事項

今回の記事で考察した内容は、厳密に学術的根拠を追求したものではなく、「#言語研究のタネ」として、ことばについて、このような切り口で考えてみると、実に面白い世界が広がっていくかもしれない、くらいのノリで書いてみたものです。その1記事目のネタが「世界の『終わりに』柴犬と」になってしまいましたが…笑

今後、思いつき次第の更新になると思いますが、シリーズ化できればと考えています。お楽しみに♪

参考文献

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