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ルーイシュアンの宝石~3

5 ロブラガー平原

二人は、小一時間後、丘の下に広がっていた、果てしなく続くロブラガー平原を歩いていた。
赤茶けた大きな岩と、大地にへばりつくように生えている僅かばかりの草だけの、荒涼とした砂漠化した平原だった。
遥か遠方に雪をかぶる山並みが見える。
カーロの話だと、二人の目指す、スギライ・ロー神殿は、ポラッカ村から東の方の果てにあるらしい。ジーも詳しくは知っているわけではなかったが、持ち前のなるようになる精神で、カーロの話を信じて、東へ向かうと決めていた。
取りあえず、ここから東方にある、中規模の町リブソラへ行ってみることに決めていた。
黒豹の獣身に変化し、ひと思いに走り出したかったが、早足の自分の後を必死についてくる、イシュの姿を見てジーは気持ちを静めた。

「ジー、この平原はどこまで続くの?」
息を弾ませながら、イシュが言った。
「人間の姿のまま歩き続けるのなら、抜けるまで永遠に感じるでしょうね。」
ジーはそっけなく答えた。
「ごめんなさい、ジー。僕が歩くの遅いから…」
イシュはすまなそうに呟いた。
「大した問題じゃないわ。」
ジーは励ますように、イシュの頭をポンポンと軽く叩いた。

「ん…?」
いきなりジーは歩みを止めた。
イシュも不安そうに同じように立ち止まる。
ジーは何かを確かめるかのように、じっと耳を澄ませている。形の良い鼻をヒクヒクとさせた。
「ちっ。おでましになったか。」
ジーは吐き捨てるように言った。
「も、モルバブジ?」
イシュは蒼ざめた。
「いや、違うね。これはズンガだわ。」
「ズンガ?」
「退化した生き物たちを、ここではゼラゼラ種というんだけどさ。いろんな種類がいるのよね。どれもこれも皆野蛮で凶暴な下等生物たち。
その中の平原に蔓延っているやつらなの、ズンガは。まあ、ゼラゼラ種の中ではかなり巨体な方ね。」
「お、襲ってくるの?」
「奴らは一年中腹を空かせているんだわ。」
「人間も、その、食べるの?」
「もちろんよ。頭からバリバリと…」
イシュの蒼ざめていく白い顔を見て、ジーはニヤリと笑う。
「お、来た!」
ジーは叫ぶと身構えた。

不気味な地響きとともに、平原の彼方から土煙を巻き起こしながら、確実にジーとイシュのいる方を目指して一群が向かってくるのが見える。
ジーは近くにあった赤い岩のくぼみに、イシュの小さな体を押し込んだ。
「いい?私が片付けるまでそこに隠れているんだよ。もしもの時は、あんたに渡した剣を使いな。」
「ど、どう使えば…」
ジーは嫌な顔をした。
「どうって…自分が食われそうになったら、切り払えばいいんだよ。」

ジーがブツブツ言っている間に、あっという間にスンガの群れがジーを取り囲んでいた。
イシュは岩のくぼみの隙間から、そっと様子を伺った。辺り一面生臭い。吐き気のするような臭いだ。
初めて見るズンガという生き物の姿は、異様なものだった。
全身枯草色の荒い毛に覆われた巨体は、二本足を上手く使い、人間のように歩いたり、両腕を使い四つ足で走ったり。
丸太のような太い腕の先には不自然なほど大きな手と、鋭い爪。顔はぶよぶよした皴に覆われ、密集した小さな丸粒は目だろうか?一つ穴だけの鼻。長く伸びた顎に、避けたような大きな口、そこから突き出ている大きな牙。赤茶色の涎をまき散らしている。
数十匹はいるだろうか?口々に吠えながら、ジーを囲みつつあるその生き物の放つ悪臭と熱を帯びた瘴気であたりの空気は澱んで見える。
「ぐぉおおお」
ひと一倍大きく醜いズンガが、恐らく群れのリーダーだろうか、一声吠えると、それに合わせ、ズンガの群れは、一斉にジーに飛びかかってきた。

ジーは素早く腰の剣を引き抜くと、襲い掛かるズンガたちを、次々と薙ぎ払っていく。紫色の血飛沫をまき散らし倒れるズンガは、すっと空気に溶けて消えていった。
「中々の切れ味ね。」
ジーは満足げに微笑んだ。
とび色の双眸は、興奮でギラギラと輝いている。
手の中の剣はジーの動きとともに熱を持ち始め、やがて剣の切っ先からまばゆい光を放つ熱の帯が剣を包み、ジーの動きに合わせ、襲い掛かるズンガたちを容赦なく包み込み溶かし込む。その輝きに触れたズンガは、苦痛に悲鳴を上げ転げまわる。そこをすかさずジーはポニーテールを揺らし、剣とともにとどめを刺す。
「さすが魔法の剣だわ。」
ジーは感心して嬉しそうに改めて剣に目をやった。

ズンガの攻撃を軽やかにかわしながら、舞うように切り払うジー。
その時、目ざといズンガの一匹が、岩のくぼみに隠れているイシュに気が付いた。
「ホォッホオウ」
そのズンガは甲高く吠える。
その声に反応したズンガの群れの一握りが、一斉に赤い岩のくぼみに向かう。
「気をつけろ!」
気が付いたジーは叫んだ。
イシュは震えながら短剣を握りしめた。
ズンガたちの太い腕が、イシュを引きずり出そうと窪みの中に伸びてくる。イシュは目をつぶって闇雲に短剣を振り回した。
ついに一匹のズンガの腕が、イシュの細い足を捕まえた。
「きゃー!」
「イシュ!」
ジーが思わず叫ぶ。
イシュは岩の上で仁王立ちに立つ一匹のズンガによって逆さづりにされていた。巨大なズンガの前では、イシュの姿は小さな人形のように見える。そのズンガは得意げに笑い声のような吠え声を上げる。それに気が付いた他のズンガたちが、イシュを横取りしようと岩に殺到した。
「ちっ…」
ジーは悔し気に舌打ちをする。
イシュを掴まれているから、むやみに手を出せない。かといって、このままだと裂かれて喰われてしまうのも時間の問題だろう。

その時、イシュが全身の力を振り絞り激しくもがいた。ちょっとうろたえたズンガは、空いた片方の腕でイシュを抑えようと手を伸ばした。イシュはその手に思いきり噛みついた。ひるんだズンガは思わず手を放し、イシュは弾みで下に転げ落ちた。
ジーはその一瞬を見逃さなかった。
瞬時に獣身の黒豹に変化すると、見事な脚力で大きくジャンプをし、岩の上のズンガに飛びかかった。その鋭い爪の一撃でズンガの喉元を切り裂いた。紫の血をまき散らし、ズンガは倒れ消えていった。
振り返るや否や、ジーは岩の下のズンガの群れに飛び込んだ。
ジーの黒い毛皮は、不思議な青白い光を発している。その鞭のようなしなやかな尾は、興奮で膨らんでいる。その姿を見たズンガたちに明らかに恐怖が広がっている。そして我先に逃げ始めた。
アッという間にズンガたちの死体の山ができ、消えていく。
辛うじて数匹のズンガがボロボロになりながら逃げていった。ジーは深追いはせず、戻ってきた。
赤い岩の下で、イシュが震えながら待っていた。

「怪我はない?」
黒豹のままジーは問いかけた。
イシュはただただ頷いた。
瞬時に人間の姿に戻ったジーは、すまなそうに微笑んだ。
「怖かったでしょう?ごめんね。最初から変化しておけば怖い思いをさせずに済んだのに。ちょっと剣を試したばかりに、イシュに余計な危ない思いをさせてしまったわ。」
「黒豹になったジーを見て、ズンガたちはとても怯えていたよ。」
「奴らは獣身をとても怖がるの。敵わないことを知っているのよ。」
ジーは無表情に言った。
「だけどね、人間は馬鹿にしてるみたいね。特に武器を持たない人は格好の餌食に見えるんでしょうね。大概に獣身変化が間に合わず、襲われることが多いのよみんな。」
「逃げたの追わなくていいの?」
「まあね。なんだか全滅させるってのは、気が引けるのよね…」
ジーはぽつりと呟いた。

「あ…」
「どうしたの?」
イシュはジーに駆け寄った。
ジーの右腕に、先傷が出来ていた。赤い血が流れている。
「ああ、いつやっちゃったのかしら。大丈夫,かすり傷よ。舐めとけば治るわよ」
ジーは笑いながら言った。
イシュはそっと腕を伸ばすと、手の平を傷の上に乗せた。イシュの手の平がほんのり輝きだすと、みるみるうちに傷口が塞がり、もとの滑らかな肌に戻った。その様子をジーは目を丸くして見つめていた。
「イシュ、あんた凄い力を持っているじゃないか…」
ジーは驚いて滑らかな自分の腕を見つめた。
「うん、なんかね、思い出したんだ。」
イシュが嬉しそうににっこり笑った。
「え!?まさかじゃあ、他の記憶も…」
嬉しそうにみるジーに、悲しそうに首を横に振るイシュ。
「まあ、いいや。この調子でだんだん記憶が戻ってくるよ。」
じーが明るく言った。

「おーい!」
その時

どこからか明るい男の声が響いた。
ジーはすっと空を見上げた。
イシュもつられて空を見上げた。
一羽の大きな猛禽類が、二人を目掛けて舞い降りてくる。
その姿に悲鳴を上げるイシュ。
鼻を不満げに鳴らすジー。

6 空から来た幼馴染

猛禽類の翼で影ができる。
鷲は一戦のあった先ほどの赤い岩の上に舞い降りた。
とても大きな赤い鷲だった。両翼を完全に広げたら、足元の岩を覆ってしまうだろう。太くしっかりとした足、その先の鋭い爪。シャープな嘴。山吹色の輝く瞳。胸元には渦巻き型の模様があった。

「手こずっていたみたいだな。」
鷲の声はどこか可笑しさをかみ殺しているようだった。
「ズンガ相手に苦戦するジーの姿、滅多にお目にかかれるものじゃないもんな。いつもだったらジーの鼻息だけでズンガ共は逃げ出していくもんな。手助けするか迷っていたんだが…」
「ふん。あんなの、変化する必要すらないわよ。」

ジーは不愉快そうに言った。
「ところでそのチビは?」
鷲は、驚いて目を丸くしているイシュを見た。
「わけあってね。」
「隠し子か!?」
鷲は言い終わる前に慌てて飛び上がり、ジーの繰り出す鋭い爪から逃れた。
「冗談だよ。爪を引っ込めてくれ。」
「ふん。この子をね、スギライ・ローの神殿まで送っていくところなのよ。」
ジーはしかめっ面をしていた。鋭い爪はもうそのしなやかな指に消えていた。
「なんだって!?そいつは剣呑だな。」
ジーは簡単に今までの話を説明した。

「随分謎めいた話だな。スギライロー神殿に、モルバブジ、それにシャクティーアまでからんでくるのか…」
鷲はため息をついた。
「私の願いが一気に全部叶いそうな気がするわ。」
ジーも苦笑した。
「でも、獣身に変化できないんじゃ、かなり厳しい旅になるだろうな。さすがのジーも泣きべそをかくようじゃないか?」
「でもさ、この子不思議な力を秘めてるの。私の傷を一瞬で治したのよ、今。」
「ふうん…」
鷲は、イシュの菫色の瞳を覗き込んだ。
「よし、仕方ない。俺もちょっとだけ手伝ってやろうか。」
「いらないわよ。あんたなんかの手を借りなくたって、私一人で十分よ。」
「じゃあ、その黒豹の背に乗せていくのか?」
「私の毛皮は誰にも触らせないわ!」
「なら、この調子で人間の姿で、ロブラーカ平原をちまちま行くのかい?」
「……」
ジーは悔しそうな顔をして黙った。
「よし、決まりだ。リブソラの町までイシュを運ぶ、俺の任務はそれだけだ。それならいいだろう?」
鷲はそういうと、人間の姿になった。
「坊や、よろしくな。俺はティック。ジーとは幼馴染なんだ。」
ティックはイシュにウインクした。
「あの、僕はイシュ。よろしくお願いします。」
イシュはペコリと頭を下げた。そしてティックをみた。
柔らかそうな赤い髪は、鶏冠の様に登頂に向かってまとめられている。色白で、均整の取れた良く引き締まった身体をしている。高い鼻と澄んだ山吹色の瞳が印象的だった。
「いつもジーには泣かされていたんだよ子供の時は。喧嘩はあいつの方が圧倒的に強い…」
ティックは小声でイシュに言った。
「あんたが泣き虫で、大げさだったからでしょう。」
耳ざとく聞きつけて、ジーが言う。
「まあ、悪い人じゃないのは認めるわ。一回手伝ったからって、あとで大きな顔をしないでよ。」
「はいはい、お姉さま。」
ティックはニヤリと笑い、肩をすくめた。

「俺が来なきゃ、このまま平原で野宿する羽目になったんだろうな。ジー姉さん一晩中戦って眠るどころじゃなかっただろうな…」
ジーの睨みに気が付き、慌てて咳ばらいをするティック。
「さて、出発しようか。」
「私は獣身でいくわ。イシュをお願いね。町の入り口で待ってて。」
「了解。」
ティックは頷くと、瞬時に鷲に変化した。
「イシュ、背中に乗りな。しっかりつかまっているんだぞ。」
ティックの言葉に、イシュは思わずジーを振り返った。
ジーは頷いた。
イシュはおっかなびっくりティックの背に乗った。ティックの大きな背の羽毛にイシュの姿は包み込まれるようだった。
ティックはさっと大きな翼を広げた。
「じゃあ、お先。」
ティックはそういうと、ふわりと舞い上がり、イシュを載せて大空に消えていく。
ジーは、飛び去って行く鷲の姿を見送ると、黒豹に変化した。
「さあて、思いっきり走れるわね。」
ジーは、鷲の向かった東の方へ、気持ちよさそうに走り出した。

イシュは鷲の背中にしっかりにしがみついていた。
目の眩むような空の上では、ティックの背中しか頼るところはなかった。
「どうだい?気持ちいいだろう。空は自由だろう?」
「は、はい…」
イシュの震え声にティックはおかしそうに笑った。

「ティックさん。」
「ティックでいいよ。」
「ティックも聖獣を目指しているの?」
イシュの問いかけに、ティックはしばらく黙り込んだ。
「いや、俺はこのままでいいんだ。」
ティックは言葉を選ぶように言った。
「確かに、聖獣は素晴らしい。だが、霞を食って生きるなんて俺は御免だ。本当の世界なんてどうでもいいよ。この世界だってとても素晴らしいんだ。ああ、若干血なまぐさく厄介なところもあるけどな。獣身だって結構楽しいんだぜ。こうして空も飛べるしな。獣身の力を味わい尽くし、そのままこの大地に溶けて死んでいくのも悪くない。この世界では普通のことだ。普通こそ一番大切で、素晴らしいことなんだと思うよ。」
「ジーは何で聖獣になりたいんだろう?」
「あいつは、いつでも上を目指しているからな。ま、そのうち本人に聞いてみるといいよ。」
「上を目指す…」
「まあ、人の夢は自由さ。イシュも早く記憶が戻って、獣身になれればいいな。イシュの獣身はなんだろうな。」
「うん!」
イシュは元気よく返事した。
力強い鷲の羽ばたきは風を捉えると、ゆっくりとリブソラの町を目指し飛び立った。

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