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ルーイシュアンの宝石~4

7 リブソラの町

陽も沈みかけたころ、ティックとイシュは、リブソラの町の入り口についた。町の入り口には、リブソラと彫られた大きな石のトーテムが立っていた。その少し離れたところに、木造の小さな小屋があった。イシュはその小屋が気になっているようだった。
「ねえ、あの小さな小屋にはどんな人が住んでいるの?」
「ははは…住人は精霊だよ。」
「えっ?」
「あの小屋は聖なる祠と呼ばれる、精霊を祭ってある聖域なんだよ。まあ、町を護る守り神のようなもんなのかな。姿は目には見えないけどなあ。」
「聖なる祠…」
「うん。一年の一番最後、十三月の最終日には、精霊に感謝を捧げる盛大な祭りがあるんだよ。そりゃあもう、凄いもんなんだ。」
「十三月?」
「イシュ、お前暦も忘れちまっているのか?気の毒になあ…」
「あ、ジーだ!」
突然イシュは嬉しそうな声を上げた。
遥か草原の彼方に、黒い影が見えたかと思うと、あっという間に大きな美しい黒豹が現れた。

「遅かったな、ジー。」
ティックが笑いかけた。
「ふん。大して変わらなかったでしょうが。」
ぶっきらぼうに答えると、黒豹は瞬時に女性の姿に変わった。
頭上高く結い上げた長い黒髪が、少々乱れて風に吹かれた。
「空の旅はどうだった、イシュ?」
ジーはティックに目を向けず、イシュに微笑みかけた。
「楽しかったよ。ちょっと目が眩んだけど。」
イシュも嬉しそうにジーの綺麗な瞳を見つめながら答える。
「感動の再会はそれくらいにして、これからどうする?」
ティックがジーに問いかけた。
「宿に行く前に、いろいろ情報を仕入れたいわね。そうね、情報屋のパオにでも当たってみるか…」
「ああ、それは良いアイデアだ。彼ならきっと酒場にいるはず。そうと決まれば、早速酒場に行こうぜ。」
三人は夕暮れの灯がともるリブソラの町に入っていった。

リブソラの町は夜になっても結構な人で賑わっていた。町の一角を盛り上げる市場の店先は、まだまだ昼間の活気が残っていた。
イシュは興味深げに初めて見る町の様子に魅入っていた。
そんな様子にお構いなく、ジーは町をどんどん進んでいった。幾つかの建物の間を通り抜け、路地裏を渡り、市場を抜け、やがてひっそりとした木々の間の小道を抜けると、人影もまばらな通りに出た。

「坊や…」
せっかちな二人に遅れまいと必死に歩くも、遅れがちなイシュに、声をかけるものがあった。
イシュは立ち止まり、声の方を向いた。
そこには、黒いストールのようなもので全身を包んだ人が、俯き加減で路上に腰を下ろしていた。黒い色のせいで、闇に溶け込んでおり、イシュの目には、闇からいきなり湧き出てきたように思えた。
イシュが気づいたことがわかると、その黒い影は、すっと顔を上げた。無表情で青白い顔をした女性だった。鼠色の瞳には生気がなく、唇も渇き切り、血の気がなかった。
「坊やには素晴らしい運命が待っているよ…」
女は低い声で呟いた。
「世界の裂け目の奥で、あの方が呼んでいるよ…」
「えっ?」
聞き覚えのある言葉に、イシュは思わず叫んでしまった。
女はニヤリと笑った。大きく開けた口の中は、紫色の歯茎がのぞく。
「イシュ!ちゃんとついておいで!」
その時、ジーの良く通る鋭い声が、イシュの意識を呼び戻した。
「興味があったら、後で一人でおいで…」
女はそういうと、また俯き闇に溶け込んでいった。
イシュは不思議そうに女を包むストールを見つめていたが、じれったそうな怒りを含んだジーの声に、慌ててその場を離れた。

ジーたちは、一軒の古い建物の中に入っていった。
(獣身姿での入店はお断り!)
古ぼけた土壁にそのように書きなぐられていた。
”居酒屋ラン”
そこはちょっと変わった者が集まる、飲み屋だった。木の床は歩くたび妙な軋み音を響かせた。薄暗く、店の広さは左程でもないようだった。幾つかの丸テーブルと、カウンターがある。開店直後のようで客の姿は見えなかった。
「おお、ジーじゃないか。」
カウンターの向こうから嬉しそうな声が響く。
のっそり立ち上がると、白髪頭の男が丸い赤ら顔をジーたちの方に向けた。
「マスター久しぶり。」
ジーも気さくに答えた。
「おや、ティックも一緒かい。あれ、この子は?」
「言っときますけど、ただの旅の連れだから。」
「いや、その…」
マスターはちょっと首をすくめ、もぐもぐと言葉を口ごもった。
「それより、パオは今日は来てる?まだ早かったかしら?」
「オイラはここにいるぜ。」
部屋の奥からだみ声が響く。

部屋の一番奥の薄暗いテーブルに、一人の小柄な男がうつぶせている。寝てたようで、いることに誰も気が付かなかった。
くたびれた帽子を目深にかぶっているが、時折その下から、小さな光る眼がのぞく。上を向いた低い鼻がどことなく愛らしいとも思える。薄い唇の間から、時折赤い舌がちらっと出ては、せわしなく唇を湿らせている。子供のイシュよりちょっと大きいくらいで、椅子の上にクッションを3つほど重ねて座っていた。テーブルの上には、空き瓶が、いくつか転がっている。
ジーたちは、パオのテーブルに近寄り、腰を下ろした。
「パオ、あんたに教えてもらいたいことがあるのよ」
「あ…ん…何をだい?」
パオは興味なさげな声を出す。かったるそうだった。
「今日は開店休業だよ。残念だったな。また…」
パオは目にもとまらぬ速さで繰り出されたジーの片方手に襟首を掴まれていた。そして問答無用で宙に吊り上げられた。
ジーのもう片方の手が獣に変わり、鋭い爪を出したり引っ込めたりして見せていた。
「眠気覚ましに切り刻んでやろうか。」
ジーは意地悪そうに呟いた。
「く、苦しい…あ、危ないよ…爪をしまってくれお願いだから。じ、冗談だよ。ジーのためならいつでも営業中さ…だから、あ、お願い…」
パオは目を白黒させながら、口をパクパクさせて、必死に言いつのった。
どさりと元の椅子の上に落とされたパオは、安堵のため息をつく。
ティックはげらげら笑い転げていた。
「まあまあ、ジー。気を静めて、美人が台無しだよ。」
苦笑しながらマスターが、液体の入ったグラスをジーとティックの前に並べた。
「これはわしの奢りだよ。坊やはジュースでいいね、まだ酒は早いだろう。」
マスターは小さなグラスをイシュの前に置くと、カウンターの中に戻っていった。
「ありがとう、マスター。」
ジーはマスターにウインクを送った。
「イシュはいいのよね。」
ジーの問いかけに、イシュは小さく頷いた。
「おいらには?」
パオが物欲しげに問いかける。
「十分飲んだでしょう。酔い覚ましにこれ飲みな…」
ジーは、イシュのジュースのグラスをパオに送った。
「ちぇっ。」
パオはジーに聞こえないように舌打ちをすると、ジュースのストローを口にくわえた。

「スギライ・ロー神殿の場所を聞きたいのよ。」
「それは、ゾロゲイラ砂漠の北東の果てにあるという。ここかピア海を船で渡り、グリアナロッド山脈を越えて、その先…でも、今はやばいぜ。」
「危険は承知よ。」
「そうじゃない。スギライ・ロー神殿で、何か恐ろしいことが起きているらしいんだ。なんでもルーイシュアンの宝石に何か起きたのか、封印が破られそうになっているらしい。しかも、神殿に関係ある鍵が盗まれたんだってさ。だから邪が最近やたらとのさばり始め、モルバブジの野郎が、嬉々として力を強め始めているらしい。邪御本体を地上に取り出そうと、必死らしいぞモルバブジは。奴も盗まれた鍵をさがしているらしいがな。教えてくれた奴はそのあと邪に取り殺されたから、本当のところはよくわからないが。」
パオは時折ジュースをすすりながら語った。
「ありがとう。」
ジーは素直にお礼を言う。
「なんやら面白いことになりそうだわ。それにしても、イシュは一体神殿とどんな関りがあるのかしら。」
ジーは黙っている小さな白い顔をちらりと見た。
「神殿の封印が壊されたことによるショックで記憶が飛んだとか…」
ティックが呟く。
「じゃあ、イシュは神殿に住んでたとでもいうわけ?」
ジーが首をかしげる。

「そうだ、言い忘れた。グリアナロッド山脈に入る前に、モンティアのところに寄るといい。」
パオが言った。
「ああ、魔法使いのおばさんね。」
「彼女は、スギライ・ロー神殿の生き字引だ。きっと役に立つことを教えてくれるだろうぜ。あ、おばさんの好物は蜂蜜だ。持っていくときっと口も滑らかになるぜ。」
「マスター、パオにコクア酒お願い。」
「えっ?」
「情報ありがとう。私からのお礼よ。」
「そうこなくっちゃ」
パオは嬉しそうに言った。
「そうだ、ジー。噂なんだが最近、グリアナロッド山脈に、聖獣が現れるらしい。」
「聖獣?」
「ああ。修業したのか、マニの実を食べたのか分らんがな。いつ翼が生えてこの世とおさらばしてもいいのに、なぜか山脈をうろついているらしい。」
ジーはパオが目の前に置かれた新しい酒の入ったグラスを、大事そうに抱えるのとぼんやり見ていた。
「ふーん。変わった聖獣さんだわ。会えるかしらね。会えたらいろいろ聞いてみようかしら。」

その時、けたたましく話す一団が店の中に転がり込んできた。
派手な感じの美し女性一人と、大柄な男性が二人、もうすでにお酒が回っているらしく、上機嫌だった。
「あら、ジーじゃない!久しぶりね。愛しのシャクティーアは見つかったの?」
派手な女性が、目ざとくジーを見つけるとふらふらと近づいてきた。女性の額には渦巻き模様が浮かんでいる。
「サーラ、相変わらず飲み歩いているのね。」
ジーはわざとらしい女性の抱擁に苦笑した。
「人聞き悪いわね。今日はいいことがあったのよ。うふふ。だから、お祝い。」
サーラというその派手な女性はクスクス笑った。
「さあ、今日は私のおごりよ。みんな好きな物頼んで!マスター聞いてる?」
わっと店内がどよめいた。
ぽつりぽつり入り始めた客の中にもジーの既知の者もおり、久しぶりの再会を喜び合った。
その騒ぎの中、イシュが店をそっと抜け出したことに、誰も気が付くわけもなかった。

8 邪の影

段々賑やかになるに反して、イシュはなぜか寂しさを感じていた。
イシュはそんな心を持て余していたが、ふと、先ほど会った黒いストールの女を思い出した。彼女は確かに”世界の裂け目”と言っていた。もっと詳しく聞けば、何か役に立つことをが分かるかもしれないと、イシュは考えた。それが自分の記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないとも考えたイシュは、いてもたってもいられず、ジーに言えば怒られそうな気もしたので、そっと一人店を抜けだした。
暗い建物の間を抜けて

幾つか細い路地を折れると、見覚えのある通りに出た。
黒いストールの女はそこにはいなかった。なぜかいないことに安堵したイシュは、店に戻ることにした。
振り向いたその瞬間、イシュの心臓は口から飛び出そうになった。
目の前に黒いストールの女が、立っていたのだった。

「やっぱり来たね…」
女の黒い口の中から、臭い息がシュウシュウと流れ出し、イシュの顔にかかる。
「あ、あのう、世界の裂け目…」
イシュは、嫌悪感と恐怖感を押し殺し、女に聞いた。
「僕を待っている運命って何?世界の裂け目で呼んでる…」
女は血の気のない口をカッと開けると、紫色の舌を突き出して笑った。
「スギライ・ローの奥深く、あの方は、永久の中でずっと待っておられた。お前はあの方をこちらへ誘う導となる者。あの方の力を開放する力を持つ者…」
「僕…」
「我らの司祭様が探しておられた。司祭様のてをすり抜け何処へと消えていったお前を…お前なら鍵のありかを知っているはず…」
「鍵の在り処…」
「私とおいで。さもあれば、お前はあの方から最高の名誉を与えられる…未来永劫のな…」

「あの方って。」
イシュは息を飲みこんだ。
女は、ぐっとイシュに近寄ると、ニヤリと笑った。生臭い息がさらにイシュの顔にかかる。骨のような細い萎びた手が、イシュの細い肩を掴んだ。
「邪…」
カーロの言葉がイシュの脳裏をよぎった。
”邪が変化しているものは影がない…”
イシュははっとして、目を下に向けた。イシュの足元には、黒々としたイシュの影が伸びている。女の足元には影はなく、ただ、地面が見えているだけだった。
イシュは渾身の力で女を突き飛ばすと、走り出した。

「お待ち…」
女は笑いをこらえたように言う。
イシュは後ろを振り返った。女は、宙をすべるように追いかけてくる。イシュの脳裏にいくつかの映像が浮かんでは消える。
”姿は見えないが、邪悪なものが確かに存在し、追いかけてくる。それは陰湿にしつこくどこまでも追いかけてくる。僕はそれに絶対につかまるわけにはいかない。心正しき光の者に出会うまで、逃げおおさなければならない。僕がつかまれば、その瞬間世界は闇に堕ちてしまう…”

イシュは激しい恐怖に襲われていた。
その時、カーロの言葉を思い出した。
”聖なる祠に飛び込め…”
イシュは先ほどのティックとのやり取りを覚えていた。
力を振り絞って、走るイシュ。女の生臭い息がすぐそこに感じられる。沼の中を走っているかのように、足が重く感じた。
どのくらい走ったのだろう。ようやく町の入り口のトーテムポールが見えた。
女の細い指がイシュの方にふれたが、それを全力で振り払った。
「ジー!助けて!」
イシュは大声で叫ぶと小屋に飛び込んでドアを閉めた。

「…!」
ジーの耳が、微かな音を捉えた。
酒場のものすごい喧騒の中、ジーの獣身の耳は、イシュの叫び声を確かに捉えていた。
ジーは周囲を見回す。
おとなしく座っていると思い込んでいたイシュの姿は、どこにもなかった。
「イシュ!」
ジーは勢いよく立ち上がった。
「どうしたんだい?」
ティックが酔った調子で聞いてくる。
「イシュの声が聞こえた。胸騒ぎがする。」
ジーはそういうと、瞬時に黒豹の獣身をとった。
「お客さん、店内で獣身変化はお断りですよ~」
酩酊していたマスターの間の伸びた声がする。
ジーはものすごい勢いで店を飛び出した。
「ジー、待てよ~」
したたかに酔ったティックが、同じく間の伸びた声を出した。

「畜生…」
女は聖なる祠の前で地団太を踏んでいた。
「おのれ…」
女は唸り声を上げ、大きく口を開ける。その口は耳まで裂けると、どろりとした空気を吐き出した。濁った空気は、イシュの飛び込んだ聖なる祠を包み込んだ。聖なる祠は不気味な軋み音を出したが、辛うじてその役目を担っていた。
「どうしてくれようか…」
女は歯ぎしりをした。

「穢れた者め、消え失せろ!」
良く通る声とともに、黒い力強い影が、女に飛びかかる。
「ひゃあっっ…」
叫ぶ女の中から澱んだ気が噴き出してきた。
いきり立つ黒豹の全身から、青白い燐光が発せられた。その燐光が一瞬スパークすると、澱んだ気を包み込む。澱んだ気は一瞬で燐光の中で消え去った。
同時に黒豹の鋭い爪が、女を切り裂いた。
女はみるみるうちにしぼみ、乾き、塵となり、消えた。

「イシュ!」
ジーは叫んだ。すぐに人間の姿に戻り、祠へ駆け寄ると、そのドアを蹴り開けた。
中ではイシュが小さく蹲って震えていた。菫色の瞳がジーの姿を捉えると、安堵したかのように、涙が溢れだした。
「イシュ、大丈夫か?」
ジーは問いかけた。
イシュは無言で泣きながら頷いた。
静かに泣くイシュの小さな姿を見ているうちに、ジーの心のどこかが、ふわりと熱くなった。今まで感じたことのない感覚だった。
「ごめん。ごめんね。怖かったでしょう?私が悪かった。」
イシュは、涙を一生懸命手で拭いながら頷いた。
「あいつは邪の欠片よ。こんなところにまで入り込んでいるなんて。油断したわ…」
「僕…役に立ちたくって…」
「何も言わなくていいわ。」
ジーが優しくった。
「でも、よくあいつが邪の欠片が化けた姿だと気が付いたわね。それによく祠に逃げ込むことを思いついたよ。邪は祠の聖なる気には近づけないからね。」
「カーロに教えてもらった…」
「カーロ爺もたまにはいいことをするわね。」
ジーが感心したように呟いた。
「さて、疲れたでしょう。もう宿に戻って休もう。」
ジーはそういうと、イシュが立ち上がるのを手伝い、小さな体を自分の方に引き寄せ祠を後にした。

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