資本主義からの脱出策

最近、SDGs17課題を見ても思うが、実は世の中の社会問題は表層的な現象で、根幹には資本主義による格差の拡大があるのではないかと感じている。別に私は共産主義者でも左翼でもないと自分では思うが、やはり持つ者の持たざる者への優位さは顕著ではないだろうか。

冷戦後の社会主義国の失敗から、社会主義は経済合理性の観点で他国に劣る恐れがあり、実現しにくいと考える。一方、ポストグローバル資本主義として、「評価経済」や「贈与経済」が提唱されている。前者は、他人からの信用や評価が資本に優先するという点がSNSの普及などで表面化しており、資本主義における「経済格差」から、「フォロワー(数)格差」に移行しただけであり、格差の問題はむしろ強まる傾向になると思われる。後者は、Aさんにとって不要なaを、aを求めているBさんに贈り、その逆も行うことで、ニーズを満たしあう関係が得られる。人間のニーズは衣・食・住+αなど、かなり共通部分もあるため、必須要素は国が管理し、娯楽要素は贈与し合う、修正社会主義になる可能性がある。しかし、その経済が資本主義と比べて、派手さという点で魅力があるかは疑問が残る。

私のこの問題―格差の根本原因の解消―について、まだ変革するのはすぐにできることではないと思っているが、目の前のニーズに合わせて、地に足の着いた対処を進めていく重要性も忘れず、対局も見失わない、短期的視点と長期的視座の両立が重要だと考える。

さらに、なぜ、資本主義社会でお金がないことが恐怖になるかというと、金が尽きると食べ物が手に入らなくなり、飢え死にする恐れを感じるからだと推測する。しかし、いくら金があっても、今回のコロナウイルス騒動における「マスク買い占め」や「トイレットペーパー買い占め」を見る限り、仮に食料自給率が(カロリーベースで)37 %の日本が、もし海外からの輸入が難しい状況になれば、すぐにでも買占めが多発し、食べ物が得られなくなる恐れはあるのだ。そう考えると、金が自分を助けてくれる保証もない。

資本主義では、さらに、人間の商品化も進める。今ではインフルエンサーの価値は爆上がりだが、一般的な就活市場でも能力の高い、即戦力のある人間でないと正社員になるのは現代日本では難しい。

フリーライターの鶴見済は、90年代では資本主義から抜け出すためには自殺しかないのではないかという観点から、生きづらさの克服のためにいつでも死ねる覚悟をしておくことの負担軽減の有用性を「完全自殺マニュアル」で説いたが、近年は「0円生活」など、資本主義社会から抜け出す道として、寄付や生活保護、不用品の回収、シェアリングエコノミーを実践している。

私は、以上の観点から、一般的な就職活動に希望を見いだせず(実は筆者はコミュ障であり、集団生活の難しい自閉症スペクトラム傾向がある)なので「農家=資本主義的システムから半歩抜け出し、自給自足の基礎となる生きる力を有する存在」を目指して活動をはじめた。農作業を通じて、資本主義経済を塗り替える仕組みに洞察することも期待している。さらに、以前にも書いたが、ポストモダン時代では「全員一致の共同幻想=ストーリーから、共通ルールに基づくゲーム」に移行する。結果、「ゲーム中毒的症状」が、どんどん拡大することを懸念している。こうした中毒緩和アプリの共通するイメージである、植物や魚の成長は一次産業を彷彿とさせる。こうした点で私はとりあえず新規就農などの調査を始めることにする。次回に続く。

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