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人生死ぬまで勉強、???
人生死ぬまで勉強 という言葉を聞いたことがある。
不思議なことにある言葉を受け取った時のスタンスによって感じる印象は違ってくるようで、この言葉を見た時もまさにそうだった。
高校の勉強や受験勉強で必死だった時は、この言葉を聞いて「死ぬまで勉強かよ、つら 😇」と悲観的に思った。
しかし大学に入ってから、学びとは机の上だけで行われるものではないと体感的に分かったあとにもう一度その言葉を見た時は、「なるほどたしかに🤔」と興味深く感じたのだ。
勉強、もっと厳密には「学び」とは、なにも入試や学力試験が全てではない。今いる自分よりさらに幸福度高く生きるために、考え続け、新たに知識を取捨選択し、行動していくことが、学びの本質なのではないかと今のところ思っている。(キレイゴトっぽくてヤミツキになるくらいこの表現好き)
自分で考えることを放棄した、あるいは自分の経験則や自分が認めた事物にしか拠り所がない人に、そういった学ぶことの多幸感、成長はないと思う。
しかし、人生死ぬまで勉強、というワードにはどうもネガティブなイメージを連想させられる。勉強というと、どうしても机にかじりついていたり試験勉強したりといった、他者との競走や優劣を表す催しみたいな厳しいイメージを、死ぬまで、というこの上ない残酷な言葉で修飾しているからだろうか。
自分はいわゆる「勉強」に苦手意識がないほうだが、自分よりも試験勉強が得意な人は、そこまでこのワードにネガティブな印象は受けないのかもしれない。
ただ、今の自分のスタンスから思うことを書くならば、勉強がすべてなん?いや、違くね。とも思う。
もっと正直にいうと、試験の点数や学歴などを心の拠り所にしていたり、承認を得ようとしたりしている人を見ていると、なんだか自分のイヤな部分を見ているようで ウーンと思ってしまうのだ。
ただ、試験の実績が生活を豊かにするというのも頷ける。それなりに努力すればTOEICの点数は高くなるし、学歴や資格もその人の実績なので、称えられる側面があっても良い。
しかし、それだけではない哲学・思想みたいな、根本から考えを改め続けることを学ぶほうが、もっと重要視されるべきなのではないかなと。
みたいなことを、人生死ぬまで勉強、という言葉を見て思う。思いつきで書いてしまって何が主張したいのかまとまってないけど、いつもこんな感じなので、ご愛嬌ということで。
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