見出し画像

未来の学校を妄想してみました

今日は未来の教育現場の様子を妄想してみたいと思います。

あくまでも私個人の妄想なので、物語を読む感覚で気楽にお読みいただけるとありがたいです。妄想なので、あたかも現実を語るようにお話してみたいと思いますので、よろしければお付き合いください。
また、今現在(2024.Feb)において、一部は現実化されている部分もありますので、そちらについては、日本の学校でも、こういうことがもう行われているんだよ…ということを探す感覚でお楽しみくださいませ。

まず、学校は「学校」という名前ではなくなっていて、「先生」も存在していません。学校は「場所」の選択肢の一つであって、行っても行かなくてもどちらでも良く、個人の選択の自由があります。授業も一斉授業ではなく、完全個別学習になっています。一人一人がタブレットのようなものを活用し、各自の理解や習熟に合わせて進められています。学びたいものは基本的に各自にゆだねられていますが、教育システムが研究され、構築されているので、どの選び方をしてもあらゆる学びに繋がるように網羅されています。
例えば理科の学習はあまり好きではない子がいたとします。将来、お母さんになることが楽しみで、家族のために家事をやって過ごしていくことに憧れているとしましょう。その子が家庭科の学習を進めていくなかで、洗剤について学ぶところがありました。そのなかで、この洗剤とこの洗剤を混ぜると化学反応が起こり、場合によっては命の危険性にも及ぶということを、理科で学ぶことをこちらに含めて学んでいきます。
また、石を集めるのが大好きな子が、石集めの趣味の先に、この石はどこからやってきたものなのか…など、地層を調べることがあるでしょう。または、地層を調べるなかから歴史に興味をいだいていくこともあるでしょう。興味の先に何かを測定するため、数学や化学、物理が必要になることもあるでしょう。こういった子どもたちの興味関心に応えていけるように、専門家の大人たちは、それぞれの専門性を発揮しAIを活用しながら、子どもたちの知的好奇心に寄り添っていきます。

このように学びは子どもたちそれぞれの興味関心が中心となり、学年というものも存在していません。大学入学の方法や道筋も2024年とは異なっていて、大学それぞれの運営方法も異なっています。こちらは長くなるので、ここは割愛します。

そして、その「学校もどき」には、いわゆる「先生」と呼ばれている人もいません。その場所にいるのは「サポートする人」です。もちろん担任の先生も存在していません。学校の情報はすべてネット上に掲載されるので、保護者の皆さんは、そこですべてを把握します。
一方で、子どもたちが過ごす日常生活のなかで、問題や解決すべき課題が生じた場合は、各専門家に相談して進めていきます。

学校もどきで開催される行事なども、基本的に子どもたちが実施計画を立てますが、安全面などの配慮で、多少の決まりごとはあります。ですが、それらは子どもたちとの合意の内容となっています。
学園祭や修学旅行や社会見学なども、子どもたちが知りたいこと、学びたいことを尊重し、子どもたち主体に準備を進めていきます。分からないことやできないことは、サポーターやその専門家が補助していくようになっています。ここでは、大人たちの都合や意図的なものが強制されることがなく、あくまでも子どもたちの学びと自主性が尊重されています。

またそこでは、テストというものは存在しません。個別化された学習では、一人一人の学習が整えられているので、成績という「結果」が重視される概念が存在していません。誰かと比較されるようなこともありません。学びは復習が必要であれば、何度でも立ち戻ることもできますし、興味の方向性により、学んでいく順番や内容、スピードも異なっていきます。
その積み重ねから、個人の特質が少しずつ形成され、少しずつ得意分野が浮き上がってくるので、自分のやりたい事が自然と見えてきます。そこには、「良い」も「悪い」もなく、さらに突き詰めて学習した部分に向かっていくことができます。

このような学びのスタイルが普通なので、誰かと比較するという感覚が子どもたちにはありません。それぞれの特質を認め、尊重していくことが環境にあるため、お互いの存在が自然とそこにただあるような感覚になっていっています。

学びが個別化されているので、得意な分野で抜きん出ている子どもは、つまずいているお友達にその考え方などを共有します。一人一人の得意分野をお互いに教え合うことで「学ぶ」ことと「教える」経験を積み、それぞれの中から社会性と尊厳を学んでいく機会があります。これらの体験の中に、違いや齟齬が生まれ、議論を交わすことも生まれるのですが、その都度、対話することで「その時」、「その場」での最良の答えを子供たちは出し合います。そしてまたそれらは、その場で一度決められたことも、永遠に確定されるのではなく、事あるごとに対話は重ねられ、その時々でより良い世界をお互いに構築していくことを学んでいきます。

学校という場は、「社会に出る」または、「世界に出ていく」前の、コミュニケーション能力を高めていくための、素晴らしい機会を得る場となっています。お互いの存在を尊重し、お互いの考え方や想いを共有し、より良い在り方を常に考えて進化させていくマインドが形成していく学びの場となっています。

民主主義とは何か? 世界に出たときに直面することは、多数決で簡単に決められない難しいできごとの連続です。そういった中で、歴史や文化、宗教を持っているかそうでないか、日常の習慣の違いや、食文化の違い、それらを凌駕して、アウフヘーベンして、そこに居る自分たちにとって、より良い在り方を学んでいく場が子どもたちに用意されています。

そんな未来の教育現場を妄想してみました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
今後も、新しい妄想劇場を描いてみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?