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学びのてんびん
僕が学ぶようになったのは幼稚園の時。とはいっても、これは家での通信教育の話だ。
そして本格的に学ぶことを始めたのは、みんなと同じ小学校1年生。この頃は、どんな学習も「面白かった」という記憶がある。
しかし、学年が上がり、学習に慣れていくにつれ、理科、社会などの好きな教科や校外学習は「楽しい」と感じる反面、苦手な教科や好きとも嫌いとも思っていない教科は「面倒くさい」と思うようになった。
やがて高学年になると、一部の好きとも嫌いともとも思っていない教科は、不思議と「面白い」と思うようになった。この「面白い」は授業のことである。しかしいくら面白いと思っても、自分からやろうという気にはなれない。「面倒くさい」からである。
今にして思えば、学年が上がるたびに「嫌い」「つまらない」が増えていってしまった。学び始めた当初の無邪気な楽しみというものは、小1以来感じたことはない。
もう二度と感じることはないのだろうか。
一方で、そうなってしまったからこそ生まれた考えがある。
それは、「てんびん」である。
「面白い」と思うものもあれば、「面倒くさい」「つまらない」と思うものもある。「面白い」と思うものは全力で取り組めるけど、「面倒くさい」「つまらない」と思うものは、「それでもやらなければいけないのか」と嫌な気持ちになる。その気持ちが変わることは滅多にない。
だから僕は、「気持ちは変わらない、だったらせめてつり合うようにしよう」と考えるようになった。
「学ぶ」というのは、「楽しい」と「つまらない」が両方ある「てんびん」のようなものではないかと考えたのだ。たまに「つまらない」や「楽しい」に傾くことがあっても、すぐに戻してつりあいを保つ。「楽しい」と「やりたくない」どちらか一方だけに傾くことはない。そのようなてんびんが、「学習」「学ぶ」という行為を続けていく上で大切なことではないかと思ったのだ。
「好き」「楽しい」だけに傾かせたら、それ以外の教科に手をつけなくなってしまう。
だからといって、「面倒くさい」「つまらない」「嫌い」だけに傾かせる、つまりそっちの教科を長くやり続けることはかなり難しい。というより、そんなことを続ければ、すぐにやる気が失われてしまう。
だからそれをつり合わせる。好きな教科を長くやるのはいいが、いやな教科が終わってから、とことん楽しめばいい。嫌いな教科はすぐにやる気が落ちてしまうかもしれないが、勉強する時間を分ければいい。好きでも嫌いでもない教科は、少なくとも授業を「面白い」とは思えているから、定着は早い。自分からやるときは、「面倒くさい」と思っていても、「嫌い」と同じように時間を分散させてつり合わせよう。
「学びのてんびん」をつり合わせていくのが一番の理想だ。
僕はこの考えを持って、また学習と人生の1歩を踏み出していこうと思う。
S.K.(生徒編集委員・中学1年)
Photo by Tingey Injury Law Firm on Unsplash
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