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死についての意識(2021年度弁論大会高校3位)

 突然ですが、「今、生きてるな」と感じますか?

 僕はいろいろな時に「生きているな」と感じます。ごく普通の、なんてことない日常の中でも。例えば、自分の名前を言えること。体を自由自在に動かせること。そして食べたり、遊んだり、眠ったりできること。そして今この壇上に立ち、声を出せること。それらの行動全てが、自分に命があるおかげだと実感するんです。

 それは、コロナ禍に入ってから、より一層意識するようになったと思います。臨時休校の間、家から一歩も外に出ることがなかったとき。僕ら一人一人の命が危険にさらされている中で、自分に、そして自分の家族に、確固とした命があることを再認識し、いつものなにげない日常の中に、尊さとありがたみを感じるようになりました。

 それと同時に、「死」についても意識するようになりました。きっかけは、死に関するニュースが多くなったこと。コロナ禍の中で、様々な著名人が次々と命を落としてしまうニュース。そして連日のように、自然災害、戦争やテロ、事件で、一瞬のうちに多数の人が犠牲になったニュース。それらが多く飛び交う中で、悟りました。死とはすなわち、生きとし生ける全ての存在において不可避である運命なのだと。

 それはわかっているけれど、尊いはずの命にも拘らず、なぜそんなに簡単に失われるのかと、疑問に思うようになりました。

 その答えを探してみると、二つの側面からの理由が見えてきました。一つ目は、人間は身体的に脆く、思っている以上にいろいろな病気にかかりやすいということ。風邪や生活習慣病、がん、それから現在の新型コロナウイルスに至るまで、身近にある病気に侵されやすい体をしています。

 二つ目は、精神的にも楽観論に走りやすいということ。自分は絶対に助かる、巻き込まれないと嘯いて、根拠のない自信に満たされます。心理学的に言えば、「正常性バイアス」と称され、自分の行動における都合の悪い情報を過小評価する、といった偏見を抱えがちなのです。故にそれを省みる機会を逃し、そのせいで、なお一層簡単に病気にかかったり事故などに遭ってしまい、そして死に至ってしまう。東日本大震災における津波襲来の時に、自宅のことが心配になり、まだ大丈夫だろう。そう勝手に思い込んで家まで戻り、そこで犠牲になるというケース。またコロナ禍の中で、自分はコロナには感染しないだろう。そう思い込んで外出し、結局かかった挙句そのまま犠牲になるというケース。これらはまさに「正常性バイアス」の典型例です。

 またこれは、因果応報だという見方もできます。人間は「正常性バイアス」の傾向の強い思い上がった生き物です。神により誰かの命が無作為に選ばれて消えてしまわないと、反省をすることができない。という見解を立てることもできます。

 ですがその見解はあまりに残酷ですよね。亡くなった方々にとっては、望んでそうなったわけではないのだから、すごく可哀想です。

 仮に自分の大切な人が、そういったことで犠牲になったとしたら、どれほど胸が締め付けられるか、考えただけでもいたたまれません。先のことは誰にも予測できませんが、一つだけ言えることは、人間はいつか必ず死にます。でもそれが「いつ、どこで、誰に」起こるのかもわかりません。今日か明日か、あるいは明後日か、ここにいる私たちのうち誰かが死んでしまうかもしれません。

 幼い頃、一緒に遊んでくれた僕の祖父も、病に見舞われ帰らぬ人となりました。生きていた頃のように温もりを感じることはもう二度とできません。葬儀で冷たく動かなくなった祖父のことを思い返しながら、人の命が消えてしまうと、その人と当たり前のように「できた」ことが、一瞬にして「できない」ことに変わってしまう辛さを感じました。

 だからこそ、今自分に命があることを意識し、生かしてもらっているという、謙虚さを常に持つべきではないか。人間は誰しもが常に死と隣り合わせであるということを自覚し、いずれ亡くなる時に後悔しないためにも、今現在、精一杯命を大切に生きていくべきではないか、と強く感じています。それが命ある者の責務なのではないかと思います。

 いま一度皆さんに尋ねます。「今、生きてるな」と感じますか?

受賞コメント

 一昨年に続き、再び入賞させていただいたことを、まず心より感謝申し上げます。

 久々の弁論大会でしたが、一昨年の大会とは全く違うシチュエーションで開催されることに対しては、すごく緊張感を覚えました。それでも、前回同様、今回も成功させたいという前向きな心を抱き、練習の成果を思う存分発揮できたと思います。

 練習は毎朝早く学校に来て、担任の先生のアドバイスを頂きました。回を重ねるごとに、工夫も入れていきました。一度中間試験により大きく間が空きましたが、原稿の内容を忘れることはありませんでした。

 この弁論を聞いたことで、皆さんが普段何気ない日常を過ごしていく時に、改めて自分にある命に対するありがたみを感じ、そして他人と接する時にも、他人の命に対する尊さを感じるようになってもらえるなら、とても嬉しいです。

参考文献

避難を妨げる「正常性バイアス」の罠 東日本大震災 9割以上が「溺死」【宮城発】

2021年2月号 「正常性バイアス」をご存知ですか?-酒井病院

(高校1年)

Photo by Martin Sanchez on Unsplash

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