見出し画像

AIのもたらす飛躍と権利のゆくえ(第2回)

※「学友」224号(2019年3月発行)に掲載された、教員による連載対談記事です。Web向けに、一部修正してあります。

発想を飛躍させる/検索から跳躍へ

鵜川 さて、前回の話ですが、僕は「予測可能な環境から離れること」の大切さについて語り、一方で細井さんは「微細な違いに目を向けること」の重要性を指摘して終わりました。この二つは、「型」に対する全く逆の方針を示唆する結論でした。つまり、僕は「型」を離れることを、細井さんは「型」を注視することを訴えています。対談を終えてからの数ヶ月、この両者をどう繋げればいいのか、なんてことを考えながら過ごしていました。
 そんな折、東京オペラシティ アートギャラリーで開催されていた、建築家の田根剛さん ※1の「未来の記憶」と題された展覧会に行きました。そこで紹介されていた「考古学的リサーチ」がすごかったんですよ。まず、注目するのは場所の持つ固有性・歴史性――それを考古学的に掘り下げるんですが、その掘り下げのプロセスが普通じゃない。掘り下げの過程で見えてくる様々なキーワード――そこから連想される画像を、とにかく膨大な量、集めまくるんです。展示では、「考古学的リサーチ」によって収集された大量の画像が貼られている部屋もあったんですが、圧巻でした。そして、それらの画像の意外な組み合わせから、これまでにない建築のアイディアが生み出されていくわけです(新国立競技場のコンペで最終選考まで残った「古墳スタジアム」は、知ってる人もいるかもしれませんね)。

細井 建築家がインスピレイションを得る方法というのは人それぞれで、いわゆる素材から発想する人もいれば、実際に現地に行ってフィールドワークをして、という人もいる。そういう意味で、検索によってとにかくあらゆる方向を掘り下げるというやり方を方法のひとつとして取り入れているのは、とても現代的ですよね。

鵜川 そうなんですよ。僕たちは一日に何度もネット検索をしていますが、それは多くの場合、何かを知るための行為です。でも、その結果、僕たちの行動は検索結果の中に囲い込まれることになる。田根さんの「考古学的リサーチ」には、それを乗り越える可能性を感じました。

細井 なるほど。検索は多くの場合、「答え」を知るために使うツールですよね。例えば「あのドラマに出てた脇役の俳優、誰だっけ?」というような感じで。けれど、情報を掘っていくと、必ずしも一つの解答に収まりきらない部分が出てくる(それは田根さんの話のように歴史的な情報に顕著です)。その部分をノイズとして切り捨てずに扱っていくと、ある情報とある情報が化学反応を起こす、という感じでしょうか。その意味で言うと、一つの枠組みに捉われないということがキーになってくるのかもしれませんね。

鵜川 その「ノイズとして切り捨てずに」っていうのがポイントで、そこに画像であることの必然性があると思うんですよね。
 言語化するということは、程度の差はありますが、対象を抽象化することです。「犬」「動物」といった名詞や、「歩く」「動く」といった動詞は分かりやすいですよね。「鵜川龍史」なんていう固有名詞ですら、僕の実体を表現することはできません。せいぜい、実物を指し示すのが限界です。だから、「ノイズ」は必ず切り捨てられる。例えば、犬の毛並みや色、歩く時の足の出し方や腕の振り方の情報は、「犬」「歩く」という言葉に含まれません。犬がどんな場所にいるか、どんな服装で誰と歩くか、なんていう情報はなおさらです。
 ところが、画像はどこまで行っても具体的です。抽象的な概念は、決して画像にはならない。今、「歩く」を画像検索しながら話してますが、これらの検索結果を見ると、「歩く」という言葉からイメージできることが、いかに限定されているか、思い知らされます。

細井 (画像を見ながら)うんうん、そうですね。「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、「百聞=言語」「一見=視覚」と置き換えるとわかりやすいかもしれません。今、AIの世界でディープラーニング ※2という技術が注目されていますよね。あれはコンピュータの進化で、膨大な量の情報を処理することが可能になったために一気に発展したわけなんですが、正しい情報をいかに選び出すかとか組み合わせるかという発想でやっているから、現状では人間の思考のようなリープ(跳躍)は難しいと言われていますよね。将来どうなるかはわかりませんが。そう考えると、関係ない情報も取り込んでいくというのは重要な示唆を含んでいるように思います。

鵜川 確かにそうですね。AIは、積み上げ型の論理思考を得意としているので、フレームを設定して、適切なアルゴリズムを与えてやれば、正解に至ることができます。一方で、文字通りの「リープ(跳躍)」は苦手で、同じ論理思考でも、問題に対して仮説を立てたり、問題そのものを発見したりすること、それに、水平思考 ※3のような視点の転換や発想の飛躍を含むプロセスは、まだ難しいようです。
 にもかかわらず、ちょっと面白いのが、人間も決して「リープ(跳躍)」を得意としているわけじゃないということです。
 例えば、将棋のソフトウェア ※4の場合、膨大なデータを処理して総当たり的に先を読んだり、過去の棋譜や強化学習から駒の配置に対して評価を与えたりして、次の一手を選びます(この辺、本当にいろんな方法が試行錯誤されていて、面白いんですけど、正直なところ理解が追いついてないです……)。人間の場合は逆ですよね。ほとんどの手は経験的・直観的に切り捨てられる。だから、ソフトウェアが指してくる手は、これまで棋士が考えてもみなかったものだったりする。もちろん、名人と呼ばれる棋士たちは、常人には指せないすごい一手を指したりすることもあるわけですが、多くの人にとってはやはり難しい。
 このように、フレーム内部の問題に限定すると、AIの方が疑似的に「リープ(跳躍)」しているように見えてしまうところは、興味深いと思います。

細井 前にニュース記事にあったAI俳句 ※5の話を鵜川さんとしたとき、俳句も十七文字という限られたフレームの中で必要以上の説明をしない芸術形式なので、一見支離滅裂に見えるものでも「面白い!」みたいなのがあるっていう話になりましたけど、それと似ていますね。

鵜川 そうですね。俳句を鑑賞する場合、少ない言葉の間にある空白の領域を、鑑賞者自身が埋めていく必要があります。そうなると、言葉と言葉の間が離れているほど、想像力は喚起されることになり、それが面白さにつながるわけです。もちろん、離れすぎていると空白の埋めようがなくなってしまうわけですが、この「離れている言葉」を発想するのが難しいんですよね。例えば、「かなしみの片手ひらいて渡り鳥」というAI俳句に出てくる「かなしみ」「片手」「渡り鳥」は、簡単にはつながらない距離のある言葉です。こういう組み合わせは、普通の人の発想力では容易には出てこない。

細井 人間について言うと、よく「発想力の鍛え方」みたいな本がありますよね。要は「リープ脳」(今考えました・笑)を作るには、みたいな話だと思うんですけど、このタイプの本には笑いを分析するそれと似たものを僕は感じます。つまり、ある程度まではパターン化とか分析は可能だけど、それをすべてある一定の方法論の中で完全に処理できるというとそうではなくて、それこそあさっての方向からの一撃みたいなものにやられることがある。

新しい責任と権利

細井 それはともかく、もしAIがこのまま進化していって人間と同等の思考能力やコミュニケーション能力などを獲得した場合、新たに生まれてくる問題というのが論じられたりしてますよね。例えば、自動運転のクルマが事故を起こしたらどうなるか? みたいな話題や、ロボットに責任能力はあるか? みたいなことですね。そういった、これまでからすると想定外の事態が起きてくるという点に関してはどんな風に思っていますか?

鵜川 先に自動運転の話をしたいと思うんですけど、これは「責任」というものをどうデザインし直すかという話だと思うんですよ。
 そもそも、行為の結果生じた不利益の責任を、その行為を引き起こした個人が負う、っていう考え方はそれほど当たり前のことではない。例えば、アメリカで銃の乱射事件が起こるたびに、銃の所持に関する法規制の話が出る。乱射した本人が悪いんだから、犯人を罰して終わり、という話では済まない。つまり、銃の乱射事件が起こりうる社会を、市民として選択するか否か、という問題に拡大されているということです。
 2017年の交通事故死亡者数 ※6は3694人で過去最少だったそうなんですが、それでもこれだけたくさんの人が亡くなっている。話を単純にするためにさらに限定すると、歩行者と自転車乗車中の死亡者数のうち、法令違反が認められなかった人数は、633人です。統計資料を見ると、法令違反ありの死亡者数は減少傾向にあるんですが、法令違反なしの死亡者数は横ばい傾向です。つまり、ルールを守って生活していても、これだけの人が亡くなっている。言い方を変えると、毎年、600人以上の人命を犠牲にしないと、現在の自動車社会は維持できないということです。
 自動運転技術によって、この人数が減らせるんだとすれば、社会として自動運転を選択し、社会全体でその責任を負う、という発想があってもいいんじゃないか、と考えています。

細井 少し補足的に話をすると、自動運転の自動車事故において、責任の主体となるのは乗車していた個人もしくはそれを開発・販売した企業というイメージを持つ人が多いかもしれませんが、現実的にはこのようなケースでは事前に保険に入っておいて、それによって補償されるという形が想定されているようですね。だから、さっき鵜川さんの話で出た、銃を社会的に容認するかという話とも繋がってくる。
 近代法のもとでは、基本的に責任主体というのは個人もしくはそれを集団化した組織という発想だったわけですが、これからはAIやロボットの問題も含め、脱人格化した主体というものを想定しないといけなくなってくるでしょうね。それは逆に言えば、近代社会が前提としてきた個人を基礎とした人間中心的なあり方の見直し=溶解という形でフィードバックされてくる部分もあるんだと思いますが。

鵜川 個人と法の話で言えば、責任だけじゃなくて権利についてのあり方も、変化を迫られているところですよね。例えば、現行の著作権の考え方だと、どうしても著作者の権利保護だけに重点が置かれている感じがしますよね。著作権法第一条 ※7には「文化的所産の公正な利用に留意しつつ」と明記されているんですけど、著作物の利用を促進するための法整備、という発想はあまりないように見受けられます。
 そこで登場したのがクリエイティブ・コモンズで(「C」を二つ組み合わせたマークを見たことある人も多いと思います)、このライセンスを提供しているクリエイティブ・コモンズ・ジャパンの説明 ※8では、「CCライセンスとはインターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が『この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。』という意思表示をするためのツールです。」とあります。つまり、著作権を放棄せずに、自分の作品の二次利用を促進する仕組みです。
 ちなみに、このような新しい「法」の考え方については、水野祐さんの『法のデザイン』 ※9という本が面白いのでオススメです。法やルールが行動を制限するものだと思っている人にとっては、この本のサブタイトルにある「創造性とイノベーションは法によって加速する」という言葉は、にわかには信じ難いかもしれませんが、看板通りのことが、多岐にわたって論じられています。

細井 ネット時代になって、アーティストの作品や著作権に関する意識も180度変わりましたよね。YouTubeやApple Musicなんかを見ていると、自分の作品が観られたり聴かれたりすることを第一に考えている。今や、フィジカルどころかダウンロードでも作品を売っていないアーティストがグラミー賞 ※10を獲る時代ですからね。
 法っていうのはスポーツにおけるレギュレーション(規制)みたいなものだと考えるとわかりやすいかもしれませんね。F1では毎年のようにレギュレーションが変わりますが、これは各チームの力を均衡させることを目的のひとつにしています。つまり、レースとして面白くするための改定という側面があるんですね(実際にそうなっているかは別にして・笑)。当たり前ですが、法や規則というのは絶対的なものではなく、時代や地域によって変化します(中世では畑を荒らしたイナゴが「動物裁判」で裁かれていたりしました)。その意味で、違反や逸脱を取り締まるという消極的な法のあり方から、積極的なそれへの発想の転換というのには、とても可能性を感じます。

鵜川 そうすると、AIの権利が法によって保護される、なんて時代が来てもおかしくないかもしれませんね。例えば、2016年にAIと人間が共同執筆した小説が第三回「星新一賞」の一次選考を通過 ※11したとか、2018年にはAIが制作した絵画がクリスティーズのオークションで43万ドルを超える高値をつけた ※12とか、こういう状況を見ると、AI自身が著作権の主体になる可能性がないとは言い切れない気がします。
 こんなことを言うと、AIがそこまで人間に近づくことはない! なんていう反論が聞こえてきそうですが、AIに主体を見出す上で人間に近づく必要なんてない、と僕自身は考えています。そう言いながら思い浮かべているのは、機械人間「オルタ」 ※13のことです。機械部分がむき出しになっていて、皮膚部分が最小限度にとどめられているにもかかわらず、奇妙な生命らしさを実現しているロボットです。
 これは、アンドロイド研究で有名な石黒浩さん ※14の研究室と、複雑系・人工生命研究者の池上高志さん ※15の研究室が共同開発したものなんですけど、この二人の共著『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』(講談社、2016年)に興味深いことが書かれているんです。長いんですけど引用しますね。
「もし、オルタに生命感を見出だせるのだとしたら、オルタは見た目ではなく、中身から生命らしいという、今までにないロボットになる。では、機械むき出しのオルタの『生命らしさ』はどこにあるのか。それは複雑さだと思っている。オルタの複雑さは、ニューラルネットワークの複雑さである。」
 これを書いてるのは石黒さんの方ですが、複雑さで生命を擬態できてしまうんだとすれば、例えば、むき出しの機械が絵画を描いていく様子は、きっと生命活動に見えてしまうんじゃないかな、と思うんですよ。

細井 何をもって人間とするのか、生命とするのかというのはかなり根源的な問題になってきますね。ここで語るにはヴォリューム的にも足りないので、それは次回以降に構想することにして、せっかく「法のデザイン」というトピックが出たので、その観点から話をしたいと思います。
 鵜川さんが言うように、例えばAIが文学賞を取ったり、優れたアート作品を生み出したりというときに、その権利がAIに与えられるという場面は大いにありうると思うんですが、実際にそのAI=技術を所有しているのはある特定の企業だったりすると思うんですよね。結局、今まで人間に想定されていたような権利がAIにも認められるとしても、AI自体が自立して行動したりするのはまだ先の話だと思うので、それが結局テクノロジーの延長として位置づけられてしまうのはもったいないことだと思います。理想論かもしれませんが、AIというものが社会全体に貢献するようなデザイン=法制度を構築するとともに、それによってAIが人間という存在の再定義のきっかけや拡張に向かうような方向に進むことが重要なのではないかと思っています。

AIは誰のものか/公共財としてのAI

鵜川 自律型AIは確かに未来の話だと思うんですけど、AI自体が主体性を獲得するより前に、AIというリソースが主体として位置づけられることはあるんじゃないかな、と考えています。
 例えば、コンピュータ将棋のプログラムであるBonanza ※16は、営利目的での利用こそ禁止されていますが、ソースコード自体は公開されています。Unity ※17は様々なプラットフォームに対応したゲームエンジンですが、初心者向けのPersonalは無料で利用することが可能です。今後、AIの様々なアルゴリズムがオープンソース化されていくと、インフラやプラットフォームとしてのAIという考え方が出てきてもおかしくないと思います。そうすると、ウィキペディアを非営利組織であるウィキメディア財団が運営しているように、AIをNPOのような組織が管理運営することはありえそうな気がします。
 これを理由にAIを主体と称するのは、少し厳しいかもしれませんが、ここからはAIの別の側面が見えてきます。つまり、公共財としてのAIという側面です。さっき話に出た自動運転もそうですし、医療分野でのAIによる診断や、教育現場におけるAIの活用は、医師や教員が患者や生徒一人ひとりと、よりよく向かい合うことのできる環境を作ります。ビッグデータ ※18を対象にした論理思考をAIに任せることができれば、人間は仮説思考・平行思考を中心とした創造性の発揮に集中することができる。そしてそれは、大量のデータ処理と、それに伴う判断・決定プロセスに忙殺されている現状の働き方からすると、すごく人間的な気がします。

細井 「AIによって人間の仕事がなくなる」といった危機感を煽る議論がこのところ盛んですが、鵜川さんの意見としてはそうではなくAIと人間は棲み分けて、人間は人間だからこそ可能な仕事をする(もちろん、そのときに人間=個人には一定の技術や能力が備わっていることが前提ですが)、ということですね。
 その意見には概ね賛成ですが、その前のAIの公共的利用という側面には、ちょっと疑問を持ってしまう部分もあります。例えば、今Googleは音声認識分野のテクノロジーに関わるサーヴィスを前面に出していますが、この分野に関してはAppleも力を入れていたんですよね。ただ、Googleに遅れを取ってしまった。このように、トップの技術はクローズドで、ある程度一般化してきたテクノロジーはオープンに、という二層構造が出来上がってくるような状況への危惧を僕は抱いています(AIの話とはズレますが、いわゆる「GAFA」 ※19が個人情報を含む大量のビッグデータを持っていて、潜在的にはそれを政治的・軍事的にも利用できるというのも気になるところです)。
 現状ではまだ人間がAIやロボットをコントロールするという状況で、2045年にAIにシンギュラリティ ※20が起こると言われていますが、それでもいきなりロボットが自律性を持って人間に反乱を起こしたり勝手に戦争を始めたり、というようなことはちょっと想定しづらいですよね。となると、人間の側のシステムデザイン、法だけではなくて社会や世界全体を含んだ――というものがよりクローズアップされてくるのではないでしょうか。それは何よりも、現状では人間にしかできないものだと僕は思っています。

鵜川 細井さんの危惧はもっともだと思います。この点について、水野祐さんの『法のデザイン』では、こんな風に取り上げられています。
「OpenAIという非営利の人工知能研究団体が、テスラ・モーターズやSpaceXのCEOであるイーロン・マスクや、Yコンビネーターなどにより一〇〇〇億円あまりを投じて設立された。AIに関する知的財をオープンソース化していく活動になるという。これはおそらく成果物をオープンソース・ライセンスで公開する等の方法によって行なわれることになると予想するが、GoogleやApple、Facebookといった巨大企業に人工知能に関する権利を独占させず、個人やベンチャー企業であっても萎縮せずに使えるようにすることを目的としている。」
 とはいえ、Googleは既に、音声認識システム「Kaldi」やAIの機械学習ソフトウェアライブラリ「TensorFlow」をオープンソースで公開しています。水野さんも同書で指摘していますが、「Googleがやっていることは、まさに収益の源泉たる検索エンジン以外のあらゆる分野をオープン化し、コモンズを作り出し、商品やサービスをコモディティ化することで、あらゆる分野に破壊的イノベーションを起こす(とともに、そこに広告モデルを持ち込む)ということ」なんですよね。

細井 GoogleやAppleを肯定的に捉えるとすれば、それ以前の企業と比べて「新しい発明や商品によって社会を変革していこう、さらにそれを開かれたものにしていこう」という考え方が強いところだと思うんですね。その意味で、法の側も規制や独占の禁止という観点だけでない発想が求められているという気がしますね。

鵜川 そういう意味でも、細井さんの言う新しい「システムデザイン」には、これまでとは全く違う形で企業と個人が関与するのかな、と感じています。つまり、企業や行政が用意したシステムの内部で個人が動くというものではなく、個別の活動内容や目的に応じて柔軟に生成・変化するシステムを構築できるプラットフォームが、企業や行政によって整備される。
 だとするなら、現行のシステム下での最大パフォーマンスを目指すのではなく、人と人との、あるいは情報相互の新しい繋がりをイメージしながら、自分自身がシステムを構築するつもりで、様々な活動に取り組んでいくのがいいのかなと思います。

人名の項目にある組織名・役職名などは、原稿執筆当時(2019年1月)のものです。

※1 田根剛
建築家。2006年、イタリア出身のダン・ドレル、レバノン出身のリナ・ゴットメと「エストニア国立博物館」の設計者を選ぶ国際コンペに参加、いきなりの優勝を果たす。独立を機にパリに移住し、三人の頭文字を取ったDGT(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を共同主宰(2016年に解散)。現在は自身の設計アトリエをそのままパリで立ち上げ、世界各地で様々なプロジェクトを進めている。「場所の記憶」を重視し、「考古学的リサーチ」と呼ばれる膨大なリサーチを行い、そこから具体的な建築のアイディアを作り上げていくという特徴的な手法を採っている。

※2 ディープラーニング
コンピューターによる機械学習で、人間の脳神経回路を模したニューラルネットワークを多層的にすることで、コンピューター自らがデータに含まれる潜在的な特徴をとらえ、より正確で効率的な判断を実現させる技術や手法。音声認識と自然言語処理を組み合わせた音声アシスタントや画像認識など、パターン認識の分野で実用化されている。それまでは認識する対象の特徴を人間が手動で設定・入力していたが、ディープラーニング登場以降はコンピュータがビッグデータから自動的に学習を行うことが可能となり、パターン認識の大幅な性能向上とコストダウンに成功した。直訳では「深層学習」。

※3 水平思考
イギリスのデボノが唱えた創造的思考法。問題解決に当たって、あらかじめ設定された既成の枠組みに従って考えること(垂直思考)を離れ、さまざまな角度から自由に思考をめぐらして解決の手がかりをつかむこと。

※4 将棋のソフトウェア
大渡勝己「Ponanzaにおける強化学習とディープラーニングの応用」

※5 AI俳句
藤家秀一「AI俳句、人間の五感に挑む 秒速40句の世界」(朝日新聞デジタル)

※6 2017年の交通事故死亡者数
警察庁交通局「平成29年における交通死亡事故の特徴等について」

※7 著作権法第一条
「著作権法」(公益社団法人著作権情報センター)

※8 クリエイティブ・コモンズ・ジャパンの説明
「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは」(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)

※9 水野祐『法のデザイン』
2017年にフィルムアート社より刊行。筆者は弁護士・法律家。「法律や契約は私たちの自由を規制し、創造性やイノベーションを阻害するものだと思いがちだが、逆にそれらを加速するための「潤滑油」のように法を捉え、そのような視点で上手に設計することはできるのではないか」という問題意識を出発点とし、音楽、出版、アート、写真、ゲーム、二次創作から、金融や政治、家族までの領域において、よりよい社会や文化を法によって設計=デザインしていくことの可能性が示されている。

※10 作品を売っていないアーティストがグラミー賞
シカゴ出身のラッパー/プロデューサー、チャンス・ザ・ラッパーは、メジャー・レーベルに属さず、無料で聴けるミックステープ(アルバム)をアップロードするという形態で活動を行い、2017年のグラミー賞で「最優秀新人賞」など3部門を獲得。このことは、音楽業界のみならず大きな話題を呼んだ。

※11 AIと人間が共同執筆した小説が第三回「星新一賞」の一次選考を通過
2016年、松原仁・公立はこだて未来大学教授が率いる「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」、鳥海不二夫・東京大学准教授らによる「人狼知能プロジェクト」が第三回「星新一賞」にそれぞれ二編ずつを応募、その中の一部は一次選考を通過した。「作家ですのよ」の二作品は、登場人物の設定や話の筋、文章の「部品」に相当するものを人間が用意し、AIがそれをもとに小説を自動的に生成、「人狼知能」の二作品は、「人狼ゲーム」をAI同士にやらせ、面白い展開となったものを選んで、それを人間の手で文章にしたという。

※12 AIが制作した絵画がクリスティーズのオークションで43万ドルを超える高値をつけた
2018年10月に、ニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションで「エドモンド・ベラミーの肖像(Edmond De Belamy)」が43万2000ドル(約4800万円)で落札された。この絵画は、フランスのアーティスト3人組「Obvious」が開発したAIシステムによって描かれた。14~20世紀の間に描かれた約15000点の肖像画のデータをAIに学習させたという。本人たちが予想した落札価格は7000~10000ドルだったが、実際の落札額はそれを大きく上回った。

※13 機械人間「オルタ」
石黒浩と池上高志の共同研究によって開発されたアンドロイド。AIを搭載し、2016年に日本科学未来館で一般公開された。外観は機械むき出しであるが、顔と手には皮膚が取りつけられており、自律的かつ反応的に動作したり、声のような音を発したりするように設計されており、見る者に「人間らしさとは何か?」「機械と生命体の違いは何か?」を考えさせるようなものになっている。2018年にはオルタの進化形「オルタ2」がオーケストラの指揮をするというプロジェクト、アンドロイド・オペラ『Scary Beauty』が開催された。

※14 石黒浩
日本のロボット工学者。大阪大学教授。専門は知能情報学。これまでのロボット研究では、ナビゲーションやマニピュレーションといった産業用ロボットにおける課題が研究の中心とされてきたが、インタラクション(相互作用)という日常活動型ロボットにおける課題を世界に先駆けて提案し、研究に取り組んできた。そして、これまでに人と関わるヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど多数のロボットや、それらの活動を支援し人間を見守るためのセンサネットワークを開発、人間酷似型ロボット研究の第一人者とされる。バラエティ番組『マツコとマツコ』(2015年放映)に登場したマツコ・デラックスのアンドロイド「マツコロイド」は、石黒の監修による。『ロボットとは何か』(講談社現代新書)など著書も多数。

※15 池上高志
複雑系研究者・理学博士。東京大学教授。複雑系と人工生命などを専門とし、1998年以降には、身体性の知覚、進化ロボットの研究を展開。近年は音楽家・渋谷慶一郎や写真家・新津保建秀とのプロジェクトなど、アートとサイエンスの領域を繋ぐ活動も精力的に行っている。

※16 Bonanza
コンピュータ将棋のプログラム。物理化学者、知能情報学者の保木邦仁が開発した。2006年5月に行われた第16回世界コンピュータ将棋選手権大会に初出場、初優勝の快挙を成し遂げた。Bonanzaの革新的な特徴は、「全幅探索」(可能な限りすべての手を読む)と機械学習による評価関数の調整というコンピュータの長所を生かした点である。プロ棋士の棋譜を手本にして同じ手が指せるよう、5000万個の評価項目の値を自動で調整した結果、評価関数は人間の将棋における大局観にぐっと近いものになった。Windows用のフリーウェアとして公開されており、無償でダウンロードして利用できる。ソースコードも公開されている。

※17 Unity
ユニティ・テクノロジーズが開発しているゲームエンジン(エンジンは情報処理機構のこと)。Windows・Mac・iOSなど多様なプラットフォームに対応している点や、専門的なコンピュータの知識なしに手軽な操作でゲームを制作することが可能なため、企業から個人まで多くのユーザーを獲得している。「Pokémon GO」もUnityを使用して制作されている。

※18 ビッグデータ
情報通信技術(ICT)の進歩によってインターネット上で収集、分析できるようになった膨大なデータのこと。スマートフォンを通じて個人が発する情報、コンビニエンスストアの購買情報、カーナビゲーション・システムの走行記録、医療機関の電子カルテなど、日々生成されるデータの集合を指し、単に膨大なだけではなく、非定形でリアルタイムに増加・変化するという特徴を持ち合わせている。このようなデータを扱う新たな技術の開発により、2010年前後から、産業・学術・行政・防災などさまざまな分野で利活用が進み、意思決定や将来予測、事象分析が行われている。

※19 GAFA
Google・Apple・Facebook・Amazonの四社のこと。いずれも米国を代表するIT企業であり、世界時価総額ランキングの上位を占めている。また、世界中の多くのユーザーがこれら四社のサービスをプラットフォームにしている。ユーザーはこれらのサービスを利用する際に、少なからず個人情報を提供している。GAFAは、これらビッグデータを分析し活用しており、個人情報を独占していることが世界各国の懸念材料になっている。日本では、2016年12月にGAFAへの対抗策ともいえる「官民データ活用推進基本法」が成立した。同法によって、特定の企業や団体がデータを囲い込むことがないように、国や自治体のデータを積極的に民間へ公開すると共に、企業間でも互いのデータを共用し、分析効率を高めようとする「オープンデータ」による戦略を推進、実践している。一方、欧州連合(EU)では、2018年5月に「EU一般データ保護規則GDPR(General Data Protection Regulation)」が施行され、個人情報の収集、開示、保管などを行う事業者は、データ保護に関する多くの義務が課せられることになった。

※20 シンギュラリティ
技術的特異点。人工知能(AI)が人類の知能を超える転換点。または、それがもたらす世界の変化のこと(として理解されることが多いが、異論もある)。米国の未来学者レイ・カーツワイルが提唱した概念で、2045年にシンギュラリティが到来すると予言するとともに、AIは人類に豊かな未来をもたらしてくれるという楽観的な見方を提示している。AIを巡る議論は、2010年代に入り、ディープ・ラーニング(深層学習)の飛躍的な発達やビッグデータの集積などに伴う「第3次人工知能ブーム」が起こるなか、シンギュラリティが注目を浴びるようになった。シンギュラリティには懸念の声も多く、世界的な理論物理学者スティーヴン・ホーキングやマイクロソフト創業者のビル・ゲイツも批判的な見解を出している。日本では2015年末、野村総合研究所が「10~20年後、国内の労働人口の約49%がAIやロボットで代替可能になる」という報告書を発表し、雇用の消失という面から注目された。報告書は、601種の職業について、創造性や協調性が求められる非定型の業務は人間が担うが、一般事務・配送・清掃・警備・運転・製造業務などの約100種は代替可能性がきわめて高いと指摘している。

細井 正之(ほそい まさゆき・国語科)
鵜川 龍史(うかわ りゅうじ・国語科)

Photo by Drew Graham on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?